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高杉/胡蝶の夢


「高杉…っ」

いつもより早い時間の逢引。
とはいえもうじき日が暮れるが。

廃屋の陰でひっそりと落ち合って、会えなかった分の体温を少しばかり堪能する。
しがみついてくる零の頭を撫でていた高杉の手は、ゆっくりと顔に添えられた。

「まだ明るいな…」
「そうだな…笠被って来たほうがよかったかな…」

夜の闇が味方していない今、どこで誰に会うかわからないこの町をプラプラと歩くのは危険だ。
零としてはこのまま陰に隠れて高杉と過ごすのも悪くないと思っていたが、高杉は違うらしい。

「零、いい案が。」
「ん?」



人目のつかない路地をしばらく歩いてたどり着いたのは花街吉原。
独自に体制を整え、幕府の介入さえ遮断している閉ざされた町だ。

「よ…吉原…」
「初めてか」
「あ…あぁ…自警団が張ってるここに真選組が来ることはないし…」
「女にも縁がないと」
「…うるさいな…買わなくても困ってないんだよ」
「フ…どうだ、今日は吉原で…趣向を変えて遊ばないか」
「趣向を…変える…?」

ある店の前で立ち止まった高杉は先に暖簾をくぐって、奥から出てきた女将になにやら話をつけている。
時折その女将が零の顔を見てなにかを確かめているようだった。
二人の会話が聞こえず、零は少しばかり妬いてしまう。

「零。行ってこい」
「は?」
「さあさ、お客様。奥へご案内します」
「え?」
「いいから」
「なにが!?なに!?高っ……じゃなくて…お前は!?」
「旦那様もどうぞ奥へ。お隣でお待ちいただけますよ」
「……俺は」

じっとこちらを見つめてくる零に仕方ない、と観念した高杉も共に店の奥へと進んでいった。
長い廊下を歩いている間、零は高杉に説明を求めたが高杉は口角をあげるだけで何も喋らない。

「ではこちらで」
「あぁ。じゃあな零」
「だから説明は!?」

ピシャン、と女将が襖を閉ざし、テキパキとなにやら準備が始まった。
部屋には大きな化粧台と姿見があり、頭につける女物の飾りが棚にたくさん並べられている。

「始めましょうか」
「……」
「うふふ」


「嫌だあああアァァァアアアアァァアアアアアッ!!!!!」


事を把握したらしい零の耳をつんざくような雄叫びに、高杉は隣室で笑っていた。


(やかましい)


どたばたと暴れる音が聞こえていたが、それはすぐに止んだ。
待っている間暇をもてあます高杉が煙管を優雅にふかし、窓辺からぼんやりと吉原の大通りを眺めていた。
華やかに着飾った遊女を連れて歩く男達。
どの女も上玉であるが、高杉の好みではない。

(…どいつも同じツラに見える…)

見る目がないわけではないと思うしむしろ目は肥えている方だが、道行くどの女にも魅力を感じられなかった。

高い着物を着ていることもわかる。
価値のある鼈甲の簪をさしていることもわかる。
唇の紅も、瞼の紅も、艶やかだということもわかる。

「…」

紫煙を空へ漂わせ、くすりと笑う。

(零……)




しばらくぼうっとしていると、再び襖で仕切られた隣室が騒がしくなった。
何やらまた揉めているようで、零と女将の声が聞こえる。

「やっぱり嫌だああああ!!!脱ぐ!!」
「なにを仰いますか!旦那様にお見せしないと!」
「いやいやいやいいから!あの眼帯に気つかわなくていいんで!あの人の趣味おかしくて困っちゃうなあも〜!!!」


「俺がなんだって?」


「ギャァァアア!!」

襖を軽快に開けて突然姿を現した高杉に零は慌て、着物の袖で顔を隠しそのままうずくまった。
かつらの長い毛と、簪の飾りが揺らめく。

「旦那様!ちょうどよかった、仕上がったんですが駄々をこねられてしまって…」
「おい、見せろ」
「嫌でありんす!!堪忍してええええ」
「なりきってんじゃねーか」

高杉が笑いを堪えながら零の肩を掴み、顔を上げろと催促する。
しかし零は全力で抵抗し、一切顔を上げようともその場から動こうともしなかった。
言いくるめられてこんな姿になってしまったが、よくよく考えればなぜ自分が遊女の恰好などしなくてはならないのだろうか。

「まじで嫌だ…あっち行って…」
「…その姿を見て、誰がお前だとわかろうか。」
「!」
「此処は吉原。そんな姿の奴は何処を見てもうじゃうじゃいやがる」
「……」
「俺と堂々と歩けるぞ」

そりゃあそうだけど、と言いながらふわりと垂れた長い横髪を耳にかけ顔を上げた零。
自分を見下ろしている高杉の瞳に自分が映っている。

元から中性的というよりやや女性的な顔をしていたが、女将の化粧によりそれがより際立つ。
かつらを結い上げた髪には簪や花の飾りが愛らしく彩り、絢爛華麗たる前帯姿の零の姿を見た高杉は口をうっすら開けたまま固まり、言葉を発することを忘れていた。

「うげっ!!しまったっ!!勝手に見るなよ!!」

零の声にハッと意識を取り戻した高杉が再び顔を隠そうとする彼の腕を掴んでそれを阻止する。

「勝手にだと…?…もう遅い。よく見せてくれ、想像以上だ」
「女を連れて歩きたいのか!?お前だったらいくらでも…」
「阿呆。俺がただの女を連れて歩きたいとでも思ってるのか」
「………」
「白椿だな…美麗たるその花を、孤独なこの男に添えてくれ。どの女よりお前がイイんだ」
「………っ」

男だとわからぬように咽元につけられた首飾りに触れながら微笑む高杉に零の顔がみるみる紅潮していく。
そんな二人を見ていた女将がくすくすと笑い、照れる零にお綺麗ですよと声をかけた。

「喜んでいいの?」
「ふ…喜んでおけ」

高杉が零の手をとって二人でゆっくりと立ち上がると、女将が部屋の襖をあけて頭を深々と下げる。

「行ってらっしゃいませ。よい夜を」



後々聞いた話よると、あの場所は変身処だったらしい。
吉原には様々な事情をもった人間達が集まる為、あのような変身処は必要だそうだ。

(……俺達みたいなのが他にも大勢いるってことか)

許されない恋慕の情。
夜の闇とて歩くことを赦されない二人。
ぼんやり浮かんだ月を見ていると、ぎゅうと胸が痛くなる。
隣を歩いている高杉の手を握り、彼に寄り添うように身体を近づけると高杉はどうしたのかと零にたずねた。

「俺…今すごいかっこしてるけどさ。どんな姿でもこんな風に歩けるの嬉しいなって思うよ」
「……」
「なあ、女に見えてるかな?」
「どいつもこいつも色をこめた目でオメェを見てるだろうがよ。それが答えだ」
「じゃあ」
「!」
「“男女”ならこんなことしても自然だよなっ!」

笑顔で高杉の腕にしがみついて、肩口に頭を預けるようにべったりと身体をくっつける。
一瞬驚いたような表情を見せた高杉だったが、腰に手をまわして更なる密着を促す。

「そうだな。ごくごく自然だ」

機嫌がいいのか、今日の高杉はしきりに笑っていた。
それが嬉しくて零も同じように笑う。

「どうした」
「ん、なんか髪が落ちてきて邪魔…」

歩いているうちに少し髪型が崩れてしまったのか、ゆるやかに巻かれた毛先が顔にかかって鬱陶しい。

「飾りが足りてないのか?」
「さあ?ああー…でもこの辺留めたらマシかも」



「お〜いそこの旦那〜別嬪さんに今宵の思い出の贈り物はどうだい!」



「別嬪だとよ」
「真選組クビになったら吉原で食っていこうかな…イタタタタタ!!!冗談だって!!」

むっとした顔で尻をつねってきた高杉に詫び、普段なら素通りするところを今日は素直に客引きに応じる。
店内ところせましに飾られた煌びやかな髪飾り。
知識のない零でさえ、その物の価値がわかった。

「綺麗…」
「簪か」
「すご…これ鼈甲だよな」
「お目が高いね。それはこの店で一番高いものだよ」
「……買うか?髪が邪魔なんだろう」
「ハア!?いいよこんな高いの!!」
「なあアンタ達。こんな歌を知ってるかい。“おかしなことよな はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た”」
「え…坊主が簪?どういう意味?」
「聞いたことがある。土佐の歌だったか」
「おお、粋だねぇ旦那。その通りだ。坊主が禁忌を犯してまで好いた女に簪を贈り、その女と駆け落ちしたんだが最後は…という悲恋の歌さ」
「へえ…」
「男が女へ簪を贈るというのは特別なことなんだよ。どうだい、あんたらも。」
「アンタ商売が下手だな、その話を聞いた後に誰が買う気になるんだ」
「ホントだよな。行こ行こ」

興の冷めた零がさっさと店を出たのだが、高杉は一本の簪に目を奪われていた。
主人がその簪を手に取り、高杉へと差し出す。

「惚れてんだねえ」
「……椿に香りはないと言うが…俺ァ微香に誘われた“その”蝶と同じだ。坊主と同じ禁忌の恋慕だろうが悲恋にはせんさ」
「あの子…あんたに想われて幸せ者だね。」
「どうだかな…それを貰おう」





「どこの女郎だお姉ちゃん」
「じょ…女郎じゃないですゥ…」

先に店を出た零は酔っ払いの中年の男に絡まれていた。
冷や汗をだらだらと流し青ざめた顔を伏せ、執拗に絡んでくる男を拒絶する。

「おいおい、前帯しといてよく言うぜ!アッハッハ!いい所知ってるんだ、行こう!」
「さわんなっ…!!」

(なにやってんだよ高杉イイィイイ!!助けてくれエエエエエ)

男に腕をつかまれ、強引に連れて行かれそうになる。
思わずいつもの癖で公務執行妨害と言いたくなるところだが、今は公務中でもましてや男の姿でもない。

「よしな。そいつを買いたきゃ一国ブッ潰すぐらいのタマじゃないと駄目だ」
「なんだお前!」

(高杉…!)

「何億積もうがコイツはお前と床入れなんてしない。さっさと失せろ、こいつァ俺の“花”だ」
「なんだ先約があったのか…仕方ねえ…悪かったな」

すんなり零の腕を放して侘びをいれた男。
想像していたよりあっさりと事なきを得たのは場所柄なのだろうか。

「大丈夫か」
「ななななななにしてたんだよばかやろおおおおおおおーーー!!」
「やめろ、叩くな。悪かった…零、これを」

和柄の細い包みを懐から取り出した高杉。
零は目を丸くさせ、その包みと高杉を交互に見る。

「ええ!?もしかして買ったのか!?なんで!?」
「気が変わったんだ。さしてやる、動くなよ」

いつまでも受け取らない零に痺れをきらした高杉が自ら包みをあけて零の背後へとまわった。
垂れていた髪を手に取り、器用に編みこんで纏め上げる。

「なあ…そうやって何人口説いてきたんだ?」
「聞きたいか」
「や…やめなんし…」
「その廓詞…笑えるからやめてくれ」
「笑わせてるんだよ」
「…出来たぞ」
「鏡ないかなー…あ、あそこで見れるかな」

呉服店のショーウィンドウのガラスが反射して、きらきらと自分達の姿が映し出された。
零が簪の見える角度を探している横で、高杉が煙管に火を落とす。
簪の揺らめく心地のいい音が耳に届き、高杉は密かに口角をあげていた。

「…椿と蝶……?」
「そうだ」

簪がよく見えるいい角度を見つけたらしい零が、ガラスに映る自分の姿をじっと見つめる。
丁寧な細工の施された紅椿に垂れ下がる蝶。

「もしかして…俺と…高杉…?」
「さあな」
「…馬鹿だな…俺、簪なんて“させない”のに…」
「いらなきゃ捨てろ。」

ふう、と煙をはいた高杉に零が眉をひそめる。

「捨てられるわけないだろ。墓まで持っていってやるわバーカ」
「ありがてえ話じゃねーか」

零が簪を揺らしながら高杉に寄り、彼を抱きしめた。
背中に腕をまわし、愛しげにその背中を撫でる。

「……ありがとう。」
「……零。俺はお前に…永遠に一緒にいてやるという大層な約束をしてやれん」
「あぁ…それはお互い様だ。俺たちの身を置く場所はこの先も変わらないのだから。」

零に煙がかからぬように煙管を持つ右手を後ろに下げ、左手で零の体を抱え込む。
そして耳に唇をあてがい囁いた。


「…“あの羽織”に嫉妬したと言えば笑うか」


肩に埋められていた零の頭が動き、高杉の瞳を見つめる。

「…笑うもんか…」
「泣く奴があるか…紅が落ちる、こするな」

ぼろぼろと泣き出した零がいつものように手で目をこすろうとするので、高杉はそれをやめさせようと手を掴んだ。

「勝手に…っでてくるんだよ…っ…」


指でそっと彼の涙を掬い、愛しげに頬を撫でる。


「今宵はこの街に二人だけだ…笑った顔を俺によく見せてくれ」
「…高杉も…っ…わらって…っ」
「…仰せのままに、椿太夫。」
「っ!馬鹿ッ!」
「ククッ、」


こんな一夜も悪くない。
吉原の街を咎を背負う二人が寄り添いながら歩いていく。



夜はまだ長い。




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