春の足音@




春の足音が近づいて来ていると言ってもまだ肌寒い日が続く3月。私はせっかくの日曜日だからと散歩に出かける事にした。

ぽかぽかと暖かい日差しのせいか、歩いているとうっすらと汗が滲んでくる。それでも夏とは違う心地良い暖かさに足取りも軽く、いつの間にか結構遠くまで来てしまった。

知らない道を歩く時は妙な高揚感のせいか無性にドキドキしてしまう。ふわふわとした浮ついた気持ちの中川沿いに歩いていると、桜並木と出会った。
桜の木が橋の両側にずらりと並び、まだ蕾がポツポツと付いているだけの状態だったけど、あと半月もしないうちに見頃を迎えるはず。それが見てみたくて、咲き誇る頃にまた訪れよう思った時だった。

「あれ?春ちゃん?」

聞き慣れた声が背後からして、まさかと思い振り返るとそこにはケンジさんが立っていた。
ケンジさんは私のバイト先の先輩で、時間が違うから数回しか一緒に働いた事がないけど天然そうなのにどこかミステリアスな雰囲気もあって、密かに気になっている人。
そんな人に思いもよらず出会ってしまったものだから、動悸が止まらない。

「ケ、ケンジ……さん!どうしてここに!?」
「ん?公園までの通り道だから」
「公園?……ですか?」
「そう、公園」

柔らかく笑うケンジさんを見ると、右手にはギターケースを持っている。

「ギター……?」
「ん。僕の家、すぐそこなんだ。今日は暖かくて気持ち良いから公園行って、弾こうかなって」

なんと!ケンジさんはこの辺りに住んでいるというの!?それは良い事を知ったんじゃないかしら。なんだか嬉しくなって、ちょっとだけわくわくしてしまった。

「春ちゃんは何してるの?」

不意に尋ねられて驚いて体がビクついてしまった。
ケンジさんとまともに会話した事なんか仕事以外ではほとんどない。真っ黒い瞳がじっと私を捉え、恥ずかしさで顔が熱くなっていくのがわかる。胸の高鳴りも激しくなった。

「えっと……、天気が良いから散歩しようかなーって思って、気づいたらここに」
「遠くから来たの?」
「ん〜、一時間位は歩いたかも」
「そっかぁ。まだどっか行くの?」
「どうしようかなーって思ってます」

そうは言いつつも、せっかくケンジさんと出会えたんだから、記念にこの辺りを探索しちゃおうかなーなんて考えてしまった。
家を調べたりストーカー行為をやる訳じゃなくて、純粋に嬉しくて。本当だよ。

そんな私を余所にケンジさんは思いもよらない提案をしてきた。

「だったら春ちゃん。僕と公園、行かない?」

その提案が本当に予想外だったせいか、私は訳がわからなくて一瞬真顔になってしまったらしく、それを見たケンジさんの表情がみるみる変わった。

「あ、いや、あの……春ちゃんが嫌なら別にいいんだけど。ご、ごめんね、嫌だよね」

目を伏せ、困惑したような寂しいような複雑な表情のケンジさんは、慌てて発言を撤回しようとした。
そんなケンジさんを見て我に返った私も、自分の行動を否定しようと慌てた。

「あの、嫌じゃないです!むしろ嬉しいです。ごめんなさい、びっくりしちゃって」
「……無理、しなくて良いよ?」

疑わしそうな黒い瞳が私を覗き込む。この瞳は人の心の中を見透かしてそうで、この人に嘘は言えないなぁなんて心底思った。

「無理してません!嬉しくて泣きそうです!」

つい大きな声を出して本気でそう言ったのに、ケンジさんは「大げさだなぁ」なんて笑った。

「春ちゃんは優しいね。誘ってて何だけど、つまらなかったらごめんね」

そう言うケンジさんは苦笑いを浮かべている。少しだけ赤い頬がなんだかかわいくて、つい笑ってしまった。


桜が咲く頃にまたここを二人で歩けたら良いな、なんて思いながらケンジさんの隣に並び、公園に向かうべく歩み出した。







[次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!