色は匂へど散りぬるを



やがて真選組は一同総出で出掛けていき、屯所は水が差したように静かになった。唯一賑やかなのは必死に鳴き続ける庭の蝉たちのみ。

残ったごんみ(名)は、一人縁側に座り夏空を仰いでいた。帰りが遅くなるだろうから今日一日自由にしてていい、という近藤からの話だった。


「…自由、かぁ…」


青空に映える白い入道雲を見つめて独りごちる。

つい数日前までは目の前にあるのに掴めない、掴もうという気も起こせなかった自由。

――いや、本当は欲しかった、喉から手が出るほど。
昔から自分は城の中に籠るだけの人間にはなりたくないと思っていたが、そんな思いとは裏腹にごんみ(名)を待っていたのは束縛された日々だった。それに耐えるのが残された自分がするべき事だと言い聞かせていた、否、それは最初だけで、時の経過と共に思考力も脳内で霞んできてしまっているようだった。


「っ、、」

頭を左右に大きく振った。嫌な事というのは、考えないようにしようと意識している時にばかり思い返されるものである。
江戸(ここ)にいること自体、あまり心から喜べることでは無かった。少なからずの後ろめたい気持ちは否めなかった。元来の城主であった父親がいなくなって天人による統治下に国民を残して来たというのは、無責任とも言える行為だとごんみ(名)には思えた。


「…みんなどうしてるのかな…」


一つ大きく息を吐いて、西の空を仰いだ。



『――ごんみ(名)さま早くッ!』


あの時彼女の手を引っ張ってくれた時の人々の眼差しを、ごんみ(名)は忘れられなかった。藁をもすがるような、自分に添えられた期待を感じさせるような瞳だった。このまま城にいてはいけない、という。
ごんみ(名)はさらにその時、生まれつき持った“自由”に対する執着心が胸底から大きく跳ね上がった。
もしあの時城下の民が自分の手を引いてくれなかったら、今ごろ本当に“自分”がいなくなっていたかもしれない。何となくそんな気がしていた。


『ここの主は代々、絶大な信頼を得て国を統治してきたと聞いています。特に先代の城主の娘であるあなたを、民衆は見捨てる事などできはしない』

『だからこそ、あなたを必要としているのです、姫』



「……言われなくとも…」

分かっていた。なぜ奴等はあたしを城から追い出さず何年間も閉じ込めていたか。



『ごんみ(名)様!?…なぜっ、』


ごめん、みんな…
もう戦は嫌なんだ、勝利だなんて目に見えない物ばかり手に入れたって、形のあるモノばかり失う戦なんて、もうまっぴらだ。だから、こうするしかないと思ってきた。あたしには選択肢など無いと思った。これ以上この国の大切なモノを失いたく無かった。

城門をくぐり天守閣へと上がるごんみ(名)の背中には、どうしてという民衆の視線や叫びが突き刺さった。
かつての城主が腰掛けてたくさんの家臣たちに明るく微笑んでいた御座敷には、今は真っ白な肌に薄緑の長髪をした、“若”と臣下たちから呼ばれる美しい顔立ちの天人が、静かに、その口元を緩ませている。


『お父上様のこの国を守りたいですか。無血な平和な国を、何より民を思うなら私の懐においでなさい』


ごんみ(名)は頷いた。まるで血の通ってないかのような冷たい指で触れられ、それは感情を吸いとられているのではとも思ってしまうくらい無機質で無情なものだったが、耐えた。
国のために耐えればいいのだと思っていた。それが一家一人残された城主の娘らしくてかっこいいじゃないか、と自分に言い聞かせたこともあった。

だが現実は次第に違っていった。
耐える苦しさなんてどこかへ消えてしまった。天人の言うとおりに動き、物を言っていた自分がいた。そんな己が怖ろしかった。魂を抜かれたような籠城生活は、震えを感じるほど長い長い年月のように思えた。



『魂だけは絶対折られるでないぞ。
折られたが最後、お前の本当の負けだ』



頭や心では分かっているのに、そうできない苦しさ。天守閣の窓枠から夜空を見上げて亡き父親に何度謝ったことか。


…そして、

「ごめんなさい父様…」


江戸へ来てしまった、故郷を捨てて。
高い城から引っ張り出されて幾年振りかに国の土の上に降り立った時、ごんみ(名)をたくさんの笑みと感涙が取り囲んだ。手を握りしめてくれたたくさんの手の温かさに、涙がこぼれた。
ごんみ(名)は抑えきれない幸福感に息をするのも困難なほど、胸がしめつけられた。

ごんみ(名)様が笑わない世なんて誰も望んでない、この国のためなら戦う事も躊躇わない。人々は口々にそう言った。


『ここを出て、どこか奴らの手の及ばないところへ!!…』


いつか必ず戻る、と手を握り返して、海路に出た。行く先の現実というものを想像するよしも無いまま、ごんみ(名)は船に揺られて来た。



…それが、どうだろう。
道を歩けば天人と肩がぶつかる。
見上げる空は異形の船が飛び交う。

思いもしなかった江戸の日本の現代模様。そのあまりにも故国と異様なる風景に、ごんみ(名)は脱力した。
父親が、故国の民たちが必死になって守らんとしてきたことは何だったのか。自分たちは時代錯誤なばかりであったのか。


『…全く、時世はもうすっかり変わったというのに、ここの人間どもはいつまで経ってもその変化を受け入れられない。馬鹿なままですのぅ』


江戸(ここ)へ来て、ようやくその言葉が身に染みて分かった。悔しくて仕方がなかった。



「……っ…」

顔を覆った。強く、額の皮膚を握るようにして。
そして思いきり立ち上がった。


「お散歩にでも行ってこよう」


人々が与えてくれたこの時間を、自分に残された限られたこの時を有意義に、…それこそ自由に生きようと、ごんみ(名)は誰もいない屯所を出て歌舞伎町へ向かって歩き出した。





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あきゅろす。
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