色は匂へど散りぬるを



屋敷の広さにフラフラと迷いながら屯所の廊下を進む。
目を擦ったときの力が強すぎて、目尻がヒリヒリしていた。


賑やかな食堂に足を踏み入れると、明朗な朝の挨拶がいくつも自分に投げ掛けられた。


「おはよーございま〜す」

腕を振り上げぐぐっと伸びをしながら、ごんみ(名)は先に朝食を頬張っている沖田の隣の椅子を引いた。


「おはよう。眠れたかィ?」

「うん、そりゃもう」

「ならいーや」


たとえ眠れなくても家主にそう聞かれたらいいえとは言えないだろう。けれど嘘では無かった。嫌な夢は一日の始まりの合図にはなるが、睡眠の邪魔はしなかった。彼女にとっては寝付くまでが問題だった、江戸の夏の夜はジメジメして仕方がない。


好きなモン選んできて朝飯食いな。ここの卵焼きと味噌汁はオススメでェ、と沖田は座ったまま上体を捻って、料理の並ぶ厨房のカウンターの方を指差した。


「うん、まだいいや。胃が寝ぼけてる」


一度腰掛けて賑わう食堂内を見渡した。隊士のほとんどが身支度を整えてこの場に集まっていた。
どこか、忙しそうな様子。


「…今日みんな揃って何かあるの?」

「幕府の官吏の護衛でさァ。身の回りの動きが気になるんだってよ」


フナのお頭みてぇな奴のガードマンなんざ、と沖田は卵焼きを箸で半分に割り口に放り込んだ。


「天人の護衛?…大変ね」

「……」


ごんみ(名)の若干ぶっきらぼうな声に沖田はちらりと視線を隣に向けた。


「…ごんみ(名)は相当天人を好かねぇみたいで…」

「おはよございまースッッ」


食堂の暖簾をくぐった人物への挨拶が飛び交い、沖田の言葉が遮られた。上着を肩に掛けて髪を掻きながら入ってきたのは土方副長。


「おはようございますっ」

「…オウ」


短く視線が合わされただけでそのまま厨房の方へ向かっていく背中を見ながら、ごんみ(名)は小さく鼻でため息をついた。


「気にしなさんなァ。いつもああでィ」


沖田がズズッと味噌汁を啜りながら言ってくれたが、ごんみ(名)は「うん、」と返すだけだった。
昨夜の夕涼み会でほとんどの隊士たちと会話を楽しんで親睦を深められたのに、それ以前から顔を合わせていたはずの土方とは何となく一番距離を感じていた。
それはあたしが身の上を濁らしているから仕方ない、と自分に言い聞かせながらも。


カチャン、と盆を手にやがて戻ってきた土方は、ごんみ(名)の隣を一つ空けて席に腰かけた。


「―――…」

「土方さん。ごんみ(名)が呆気にとられてますぜィ」

「あ゙ん?…何だよ」

「何だよじゃねーです、」


土方はこちらを覗き込むように突っ掛かって来た沖田に目線をやると、少し視線をずらしたところに自分の朝食を凝視してくる娘がいた。ごんみ(名)は土方の前に置かれたメニューに目を丸くしていた。


「……」

「…オイ…」


非常に食べにくいんだけど、と箸を持ち、ちっとも目線を逸らそうとしないごんみ(名)を横目にしながら仕方なしに味噌汁を啜った。


「毎度ながら土方さん、自分の食おうとしてるモンちゃんと見えてんですかィ」

「うるせー総悟。食うもんくらい好きにさせろ」

「他人が飯済ませるところでその犬の餌にもならねぇもん見せられると環境権に反しますぜ?」

「今に始まったことじゃねぇだろーが。堪えろ」

「アララ、開き直りやがった」


沖田と土方がいがみ合っていると、娘がようやく口を動かした。


「…マヨネーズってさ、お酢じゃん…?」

「「……は?」」

「土方さん、あたしもソレ食べたい!」


ごんみ(名)が突然、机に乗り出すように土方の茶碗を指差してきた。目をいっぱいに輝かせて。そして椅子から飛び降りると、厨房のカウンターへと駆けて行った。
席に残った二人はその行動を呆然として見つめていた。

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あきゅろす。
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