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小話


 梓は恐る恐るほおずきの部屋に向かった。
 きっと起きているはずだ。
 静かに襖を開けると、思った通り窓辺にいた。
 居心地が悪くて、廊下に正座したまま待機する。
 ほおずきがゆっくりと振り返り、苦笑した。

「情けない顔。こっちおいなぁ」

 おずおずと立ち上がり、近くによった。
 膝がつきそうなくらい近くまで来いといわれ、言われるがままにそこに座る。
 白い手が昨晩叩いた場所を撫でた。

「痛かった?」

 痛くはなかった。けれど、胸が痛かった。
 ほおずきの手を握って胸に当てた。

「堪忍なぁ、怒鳴ったりしてしもて。心配やったんや」
「……ち…がう……悪いのは、おれ。ほおずきに何も言わなかったから。しんぱい、かけてごめんなさい」

 初めて梓は涙をながした。
 しゃくりあげ、止めどなく流れる涙に驚く間もなくほおずきに抱き締められる。
 人の温もりと言うものをこんなにも間近に感じたことはなかった。
 人というものがこんなにも暖かいとは知らなかった。
 ひとしきり泣いたあと、くったりと眠ってしまった梓を撫でながら、ほおずきは微笑んだ。
 昨日の一件で千華楼に腕利きの用心棒がいると知れただろう。
 これから梓はどうするのだろうか。それが不安でならない。

「ほおずきさん、あの、朝餉の用意ができました」
「そう、ここに持ってきてくれへん?」
「はい。……梓さん大丈夫ですか?」
「さぁ、どうやろ」

 大丈夫かどうか、まだわからない。
 禿は慌てて台所に朝餉を取りにいった。
 梓は不思議な人だと思われている。
 口数は少ないし、表情はピクリとも動かない。
 たまに見かければボーッとしていたり、何かをジッと見ていたり。
 本当に不思議だ。
 けれど目撃回数は限りなく少ないが、笑うときがある。
 梓の笑いは本当に微妙な機微なのだが、かわいいのだ。
 年下から見てもかわいいなんて思ってしまうくらい、梓はかわいい。
 店の中でほおずきの後ろをひっそりついていく姿はまるで鴨の親子。
 ひそかにほっこりしているのは、ほおずきにも秘密だ。

「ほおずきさんと梓さんの朝餉って持っていってもいいですかぁ?」
「あの二人どうしたのさ」
「仲直りしたみたいですよ」
「あー、よかった。でも、ほおずきもいい加減赤山の旦那のところにいっちまえばいいのに」
「そう言うこといっちゃダメですよ!」
「そうしたら、梓ちゃんもしっかり色んなものを見れるだろ? 今はほおずきに頼りきってる部分があるし、自分から学びに行くって言うのがまだないからねぇ」
「いずれは梓さんもほおずきさんから卒業するんです! ただ、今は時期じゃないだけなんです!」

 イーッ、と歯を剥いて朝餉を二つ持っていった。



 それから梓が変わった。
 それはもう萩原がポカンとしてしまうくらいに。
 同伴の護衛に出る前は、必ず自主的にほおずきに報告しに行き、お使いでも行ってきますとほおずきに言いに行き。
 親鴨の後ろをついていく子鴨は卒業したが、忠犬になってしまった。
 それはそれで面白いが、ますますほおずきが身請けを引き受けなくなってしまう。
 これは萩原には頭の痛い問題で、なかなかすんなりと事が運びそうにない。
 店で働いている下女にも心配されてしまった。
 そんなとき、赤山が一人の男を連れてやって来た。
 いつも通り赤山をほおずきの部屋に通す。

「おや、梓に字を教えていたのか?」
「へぇ。けど、梓は頭がええからすぐにうちなんて要らんようなってまうわぁ」
「い、いる。ほおずきはまだおれに必要だ」
「わかっとるよぉ」

 ほんまかわええねぇ、と言いながらほおずきは梓の頬を撫でる。
 照れながら荷物をまとめ、部屋から出ていこうとした。
 赤山が連れてきた男が梓の道をふさぎ、腕を引いて押し倒した。

「っ、く」
「お前っ、なんでここにいんだよ!」

 紐で閉じてあった本がばらまかれ、部屋に紙が散らばった。
 精悍な顔立ちに軟派な雰囲気。
 ほおずきにとっては初めましてで、梓にとっては二度目ましてなこの男。
 赤山の従兄弟で、最近一家を暗殺されてしまった生き残りだった。
 三笠屋が後見人になり財産や親がやっていた商売を遣り繰りしているらしい。
 男の名前は中村屋宗次郎。
 そして彼の家族の命を奪ったのは、梓だ。
 それに気づき、梓は体から力を抜く。

「………お前には、おれを殺すけんりがある」
「なんだと?」

 懐から短刀を出し、梓の首に切りつけた。
 ほおずきは赤山にすがり付きながら必死に宗次郎が梓を殺さないように訴えている。
 そんなに声を出してしまったら、喉がつぶれてしまう。
 憎しみに満ちた顔で睨んでくる宗次郎の頬に手をあてた。
 唇だけで、殺せ、と呟いた。


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