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小話


 シーズィは指先で花をいじる。

「そりゃまたなんで?」
「僕を………おとしたから」
「は? シーゼルは自ら進んで堕天したって、こっちでは言われてんのに……」
「あなたには、もう関係ないこと。堕ちてしまったんだもの、もう白へは帰れない」

 プツン、と花を一輪手折る。
 薄桃色の花びらは可憐に健気に開いていた。

「それでよくハバにされないな」
「みためがきれいだから、あいされてる。らしい」
「は?」
「堕天使は単純なように見えて、難解なの。僕にもよくわからない」

 本当は白に戻りたいと願っている。
 けれどそれは一生叶わないだろう。
 一度黒に染まってしまったら、あとは堕ちていくだけ。
 際限のない闇に身を染めて、導くことをやめ、人を貶め陥れるだけ。
 天上の清浄なる気高い存在が、名実共に堕ちる。
 それが堕天使だ。
 けれど、シーズィは人を陥れるなんてことはしない。
 他の堕天使と同じにされてはたまったものではないからだ。
 同じ堕天使に見られるだけで不快なのだ。
 本質まで同じように堕ちてたまるか、という半ば意地である。

「ま、きれいだってのはうなずける」
「君は僕に触らない方がいい」
「は? 何でだよ」
「僕は穢いから」

 あの白濁にまみれた瞬間。
 あのイヤらしい男たちに貫かれていた時間。
 髪が白銀から黒に染まっていく絶望。
 さっき摘んだばかりの花がもう枯れている。
 こうして美しい花園にいるだけで、すこしでも黒が抜けないかと、淡い希望を持っているが、花を弱らせるだけで一向に黒は抜けない。
 それどころか、自分の汚さが顕著になっていくばかり。
 天使はシーズィに伸ばした手を引っ込め、じっと見つめた。
 そんな視線に気付かないのか、うつ向いて顔が見えない。
 聞いていた話では、シーズィは天使同士の、しかも同性で淫行に耽り堕ちていった、というものだった。
 けれど目の前にいる存在は何だろうか。
 かつての、色こそ違えど、形は敬愛したシーゼルそのものだ。
 神々しさは鳴を潜め、禍々しさもなくそこにいる。
 ほっそりとした体は華奢で、顔色はかなり悪い。

「何で、弁明しなかったんだ?」
「…………神は見ているようで、何も見ていないよ。地上のことも、天上のことも、現状も。だから、そんな相手に弁明しても、意味がないから。しなかった」

 普通の天使なら、頭に血をのぼらせて激怒するだろう。
 神を冒涜するな! と。
 けれどここにいる天使は普通ではない。

「まぁ、確かに、な」
「…………あなたは本当に変わっている」
「まぁな。自分でもそう思ってる。俺も天使嫌いの天使だから」

 サラッと投下した爆弾は、シーズィには効かなかった。

「本当に、変。変だよ変」
「そうやって変変言うなって。俺も堕天したくなる」
「やめたほうがいい。こっちもそっちと変わらないから」
「自由気ままにやってるんじゃないのか?」
「みんな自分の欲ばかり。堕天した理由も大したことがない奴らばかり。大義名分を掲げて堕ちたのは、僕よりももっと上の天使たちだけ」

 シーズィは言い終わると、静かに立ち上がった。
 そろそろ帰らなければ、同じ穴の狢の阿呆共が騒ぎ出す。

「ここが君のテリトリーなら二度と来ないよ」
「おいおい、冗談だろ? こんな美しい場所を俺が独り占めしたら、バチが当たる」
「……また、来ていい?」
「許可なんて必要ねぇだろ。だってここは誰のものでもない」

 天使も同じように立ち上がり、純白の羽を広げた。
 美しい天使だ。
 シーズィは無意識にほう、と息をついた。
 それから微笑を浮かべ、漆黒の翼を広げる。

「じゃあ、ね」
「おう。俺はアールゼル。一応覚えておいてくれ、シーズィ」
「気が向いたらね」

 なんて言ったが、もう覚えていた。
 純白の羽と、翡翠の目をした、うつくしい天使。アールゼル。


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