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短編
きず
*とらあなED





酷い雨だ。
月は見えない。
だから電気のともっていないこの浴室は、恐ろしく暗い。
違法に違法を重ねて巨大化したアパート群はすべての造りが粗雑で、雨の只中にいるような錯覚すら覚えてしまう。
アキラは、ぼんやり浴室の床に流れる血を見ていた。
シキと殴り合いの喧嘩をした結果、鼻血が止まらない。
瞼が腫れ上がって右の視界も不良だ。
体に複数ある鬱血も、その喧嘩がじゃれ合いでないことを示していた。
血が混ざった唾液を吐き捨てる。
今日の喧嘩は、きっと源泉にでも話して聞かせればまたあの気の抜けたような、呆れた笑いを浮かべるのだ。



「出て来い」



そう呼びかける声を、何度か無視している。
ドアの一枚など彼なら簡単に壊せるだろうに、こういうときだけ気を使うなと、逆に苛立ちすら覚えた。
鼻からこぼれた血が、排水溝に流れていくそのさまは、川のようであった。
こんな川はありがたくもなんともない。
アキラの顔は本当に酷い有様で、汗も血も、一緒くたに流れていた。
それが傷に沁みて、つい泣いた。



「出ろと言った」



段々と、シキが苛立っていることが声音から知れた。
出るつもりはない。
少なくとも、シキがこの部屋からいなくなるまでは。
そんな風に思っていた最中、いよいよ業を煮やしたらしいシキが、ドアを蹴破った。
脆弱なカギが飛んできて、アキラの足元に転がる。
顔を上げて、威嚇するように睨みつけたシキの姿も、かなり酷い有様であった。
殴りも蹴りも、噛みつきもしたから当然だ。



「なんだその有様は」
「アンタに言われたくない」



シキの持ってきたタオルが、情け容赦なく顔面を拭う。
力加減というものを知らない男は、傷口すらも乱暴に触るから、手を振り回して適当に殴る。



「野良猫だな」



笑いながら、タオルが引かれた。
視界は先程よりも開けた。
すぐそばにあるシキの顔に傷はない。
一発入れてやろうかとも思うのだが、どうにもこの顔を傷つけることは忍びなかった。
顔しかいいところがないのだ。
それを傷つけたら、何も残らない。
その綺麗な顔が近づいてきたから、額を叩く。
口の中が切れていることくらい、きっと判っているだろうに。
態とか。



「何だ」
「血、飲む」
「今さら何を」



低く笑う男は、アキラの血によって己に何かが起こるだとか、そういう考えはないようだ。
確かに、血がどうこう言ったら、傷の血を吸いだしたり傷口に触れてしまったりはよくある。
そしてそれ以上に。
そこまで考えてしまうと、確かに今さら血がどうこう言うのもいささか遅い気がしてくる。



「化け物になっても知らないからな」
「貴様の血に負けるほど俺は軟弱ではないぞ」
「そういう問題かよ」
「違うか」
「…好きものだよな」



アンタも俺も。
そうささやきながら、覆いかぶさってきた男の背中にアキラは手を回した。






きず






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