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短編
君と僕の幸せ
・とらあなED




その街は蒸し暑さに支配されている。
滞在一週間で晴れた日はおろか雨が降らなかった日がないのだ。
そのくせ気温ばかり妙に高い。
衛生状態が悪く、虫が湧く。
飯が不味い。
むやみやたらに人間の生活できる最低限のラインの家が立ち並んでいるせいで息が詰まる。
どこに行っても人間だらけで気が休まる瞬間がない。
風が吹き抜けたところで、こちらに届くころには生暖かく不快な臭いすら運んでくるのだから、いい迷惑だ。
かといって団扇で扇いだところでたかが知れている。
冷房器具など、戦後復興がまだ進んでいないこの街に期待してはいけない。
氷やアイスは、もういい加減飽きた。

つらつら文句ばかり垂れていたアキラに、顔なじみの、というより腐れ縁に近い情報屋は、茶封筒を差し出した。
中身は思いのほか、重い。



「バカンスなんかどうだ?」



厚意からの発言だったことは疑いようがない。
船に揺られること数時間、日が沈んだころに到着した島は、この国の中にいくつかあるらしい離島の中の一つだった。
その中でも特に情報屋が選りすぐった、賞金首が滞在してもわからない島。
それが、そこだった。
島に到着し、夜が開けるまでは情報屋を神の如く崇め奉ったものだ。
きっと本来ならば、初日、船からかすかに見えた、夕日を受けて輝いていたように美しい島なのだと思う。
だが、何か祟られているとしか思えないタイミングで、天候が崩れた。
美しい筈の島を散策することはできない。
暴風雨と高波でもう何が何だかわからない状況である。



「…いつ止むんだろうな」



アキラはもはや起き上がることも、服を着ることも億劫になったようで、少々かび臭い毛布を被ったままぼんやり窓の外を見ていた。
季節外れの嵐が、ちょうどアキラたちの滞在している島付近に停滞すること数日。
台風はまだ動かない。
古めかしいこの廃屋も、そろそろ吹き飛ばされそうである。
無人島ではないが、人口の少ないこの島に来ること自体は容易だった。
本土と違い、何食わぬ顔で食糧も買える。
その幸福を享受できたのも、たった数時間であったが。



「さて」



シキは、3日目にして読むものがなくなったらしい。
無駄に広いこの家の中で、いきなり素振りを始めるのだから相当なものだ。
既定の回数に到達すると、シキは物干しざおを下す。
呼吸を整え、なにをするかといえばとりあえずアキラの毛布を剥いだ。
それくらいしかすることがないのだ。
こんな雨では、表に出ることもかなわない。



「ここに来た意味、あるのか」



アキラはシキの肩を小突いて言った。
確かにこれでは街での生活と変わらない。
むしろ、仕事をしていない分余計に自堕落である。
いつかシキがにやにやしながら差し出した本に載っていた40以上ある体位を、あのじめじめした街にいたころから数えてそろそろコンプリートしそうである。
新しいものを開発できそうだった。
シキはそんなアキラの指を邪魔そうに払い、鼻を鳴らした。
そして馬乗りになったまま、特別表情を変えずに返した。



「知らん」



アキラは、妙にその答えに納得してしまった。




島に来て一週間、街に帰る二日前になってようやく台風は去った。
綺麗な青空が広がっていた。
とはいえまだ波が高く、砂浜にはたやすく近づけない。
どうにか服を着るという文化的行為くらいはするようになったアキラは、この島の住人たちの話に耳を傾けながらアイスを咥え、ゆるやかな坂を下りていく。
この道は海へ通じている。
波打ち際から離れた岩場にある大きな水たまりには、魚やらカニやら貝やら、いろいろなものがいる。
それらを捕まえるために、わざわざサンダルまで買ってしまった。
Tシャツにジーンズなら水に濡れても問題はないだろう。
意気揚々と磯に立ったアキラはまだまだ高い波が岩場に当たって砕けるのを尻目に、アイスを一息に平らげてさっそく水たまりの中へと足を踏み入れた。
水は冷たい。
気温そのものは夏に近しいので、丁度よかった。
多くの生き物がいるものの、慣れていないせいだろう、捕獲までは至らない。
そのうちむきになって追いかけていたら、アキラはあっさり足を滑らせた。
着水の衝撃よりも、足首に走った痛みに意識が持って行かれた。
年甲斐もなく磯遊びをしていたら海藻に足を取られて全身ずぶ濡れ手、挙げ句捻挫。
どう考えてもシキにバカにされる。
しかし馬鹿にされることを覚悟してでも、ここでシキを待たなければならなかった。
なにしろ、歩けないのだから。



「馬鹿が」



シキはそう時間を待たずにやってきた。
吐き捨てるように言った言葉と視線には、あからさまな侮蔑が込められていたものの、抗議できるような身分ではなかった。
だからアキラは押し黙ってそっぽを向いた。
彼は軽装が似合わない。
あの恰好であからさまに浮かれるよりはましだろうが、それにしても。



「波で、ちょっと転んだんだ」
「海は向こうだぞ」



あっさり引き上げられたアキラは、そのまま抱えられて移動する。
そうしないと動けないから抗議はしない。
ただ、軽い抵抗代わりに胸板は叩いておいた。



「子供か貴様は」
「知るか」
「口答えか?いい度胸だ」



笑ったシキの足は、現在滞在している家屋へ至る道ではなく、ぽっかり口を開けた洞窟へ向かっていた。
この変態は、変態らしくどうも変態的な行為を好む。
例えば、野外とか。



「アンタはいいだろうけどな、」
「悦んでいるのは誰だ?お前だろう」
「人の話を聞けよ」



しかしシキの足は止まらない。
決めたことを変えるような男ではないとわかっているから、アキラも諦めてしまった。
そのうち、捻挫した足に引っかかっていたビーチサンダルが落ちた。
シキが珍しく足を止めて、わざわざそれを拾ってくれた際には、小声で礼を言った。



シキに背負われて塒に戻るまで、アキラはずっと夕日を見ていた。
白昼に出てきたはずなのにもう夕日。
また一日を無駄にしてしまった。
そう思いながら、アキラはシキの項あたりに額をこすり付ける。
捻った足はもちろんのこと、慣れない場所だったせいか体中が痛い。
疲れと暑さで頭がぼんやりする。



「シキ」



とりとめもなく名を呼ぶ。
先程からいたずらに呼びすぎたせいか、シキは何も言わず黙々と坂道を登っていく。
暑い筈なのだが、ここから離れたくなかった。
他人の体温に安堵を覚えるようになるとは思いもよらないことだった。
シキに好意を抱くことは非常に困難だ。
アキラでも、人として好きかと言われれば答えに窮する。
ただ、こうして彼のそばにいて、ときたま鼓動の音を聴けたらいいとは、思う。



「まだ足りんのか」
「そればっかりだなアンタは」



シキは普段と変わらない。
こんな場所でも、彼だけは動かないのだと思うと、なんだかおかしく思えてきてしまう。
アキラはシキに回した腕に、さらに力を込めた。
笑っていることがばれないようにしたつもりなのだけれども、すぐさまシキの鋭い声が飛んできて、ますますアキラは笑ってしまった。




恐ろしく腑抜けた生活をしていたという自覚はある。
この島の恐ろしいところは、どんどん緊張感が消えて行ってしまうことだろう。
これでは仕事に戻るのに苦労する。
今日街に戻るというのに、これでは困る。
アキラはそういいながらもその日もシキの背中に背中を預け、適当に雑誌を広げていた。
ねんざの痛みはまだ残っている。
しかし、無視できる程度であった。
それが何故かさびしかった。
そう、少々はぐらかしながら訴えると連れはそっけなく言った。



「ここに残っても構わんぞ」
「…冗談だろ」



笑ったのだろう。
シキの背中が揺れた。



「だろうな」



シキの傍らには、刀がある。
それはアキラも同じだった。
いったいどこから嗅ぎ付けたのか、妙な連中が島に来ていた。
絶対に安全な場所は存在しない。
たまたま嵐のおかげで連中の探索が遅れていただけだろう。
そういう意味では、あの嵐にも感謝しなければならないのかもしれない。



「アンタもそろそろ飽きてただろ」
「お前の体にか?」
「そっちはいい加減飽きてくれないか」



この島で、数か月分は抱かれた気がした。
それが嫌というわけではないから困るのだ。
怒っていいのか笑っていいのかわからず、とりあえずアキラはため息をつくだけにとどめた。



「しばらくこういうのはいいな」



近づいてくる気配を感じながら、雑誌を閉じる。
どうにもこういう生活は性に合わないらしい。
きっとこんな美しい島より、あの様々なものが混ざり合った汚らしい街のほうが肌に合うのだ。
わざわざ見つけてきてくれた情報屋には悪いけれども、実際そうなのだから仕方がない。
刀を手に立ちあがったシキを見、アキラも倣って立つ。
敵は近く、慣れ親しんだ緊張感やら殺気やらがすぐそこにあった。
盗み見たシキの表情も、ここ数日と比べたら段違いに輝いて見えた。

平穏な生活は、どうにも難しい。

刀を抜いたアキラは、内心つぶやき、笑った。






君と僕の幸せ





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