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短編
淋しがり屋の群青
*とらあなED





空気は冷たい。
風だって相変わらず横殴りだ。
吊り下げた釣り針になにかかかる気配もない。
季節柄なのだろう、普段より色を濃くした海の先には、空気が澄んでいるからか対岸のビル群が見えた。
汚い空気の中にあって、それでもよく見える。
秋と異なり冬は、寂しい街を更に寂しくし、情け容赦なく海辺に立つアキラを揺さぶる。
それでも彼の連れは、春がもうすぐ来ると断言する。
なにを根拠としているか、アキラには到底判らない。
ただ連れは意外と博識である。
ほとぼりが冷めるまで、と逃げてきた異国の地でも彼は不自由がないようだった。
そんな彼であるから、きっと何らかの根拠があるのだろう。



「釣れたか?」



からかうようにシキは背後で笑う。
釣れていないわけではない。
ただ人数分ないだけで。



「アンタにはやらないからな」



やや語気を強めて返す。
男の低い笑い声が耳を打った。



「お前が処理しろ」
「だから食べるって言ってるだろ」
「それをか」



確かに、形状からして食えるのか甚だ疑問である。
塒が海に近く、仕事も片手間なものばかりなせいで釣りが生活習慣になりつつあるアキラも初めてみる魚だ。
更にいうと、市場で見た記憶もない。



「…なんだろうな、これ」
「春先の魚やも知れんな」



春か。
アキラはぽつんと呟き、バケツの中身を海へ放る。
春が来たら帰国する。
それは最初から決めていた。
この穏やか過ぎる生活も、飽きていたし。



「肉を買ってきてやったぞ?」
「ああ」



魚は見えなくなった。
あの明るい光の方へ行ったのだろうか。



「来い」



促されて、踵を返す。
起伏の激しい磯から浜辺へ降り、シキの背中を見た。
恐らく彼は今の生活は不満だらけだろう。
常日頃穏やかさなど望めない生活をしているのだから仕方ない。



「肉、焼くのか?」
「お前はそれが好きなのだろう?」
「…アンタ、たまにおかしくなるよな」



シキから借りた厚手のコートから少し出た指先で、彼の手首を掴む。
少し体が跳ねた。
間を置いて、硬直していた手が、こちらの手首を握り返した。
それきり会話もなく、二人は塒へ戻った。
ドアを閉める間際、アキラは海を見た。
日が完全に没し、夕闇が迫るその中にあって、対岸の国の放つ光が眩しい。
春になったら、もっとここから見える景色は眩しくなるのだろうか。



「なにを考えている」
「…冬だな、って」
「それで腑抜けた面になるのか貴様は」
「静かだからな」



アキラは自嘲して、冷え切ったシキの指先を撫でた。

春はまだ遠い。
いきなりこの安寧を奪い去ったりもしない。

そう判っていても、難しいものだった。
シキはなにも言わず、ただ手は解かないでアキラを見ていた。
それが彼なりの優しさであると知っていたから、アキラは曖昧に笑い、目を閉ざした。









淋しがり屋の群青






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