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短編
愛と呼ぶには重すぎる
*ED2





血を出し尽くせば、この身体に潜むものは消えてなくなるのだろうか。
今思えば馬鹿な話を、かつて何度か考えたことがあった。



指先に血がついていた。
それをまじまじと見つめていたアキラは、もう一度唇をなぞる。
深く切れたのか、血はなかなか止まらない。
舌先で舐ると、あの嫌な味が広がった。
そういえば最近この味からも遠ざかっていた、意識の片隅で考えている最中も、周囲の空気は瞬く間に変わっていく。
アキラを殴った張本人は補佐官に取り押さえられて、床に縫い付けられた。
反乱だ乱闘だと、どこかで誰かが煽っているようにも思える。
それをどこか遠くのことのように聞きながら、アキラは手袋を外した。
晒された指先を、傷を抉るように滑らせる。
やっと痛みが走った。
何の感情も浮かべないアキラの顔に何を思ったのか、襲撃犯は何事か叫んでいるようにも見えた。
すぐにでも処分しようとする補佐官の動きを制し、無理矢理口を開けさせて血を滑り込ませる。
それで死ぬのだから、あっけない。
もがき苦しむそれをしばし見ていたアキラは、傍らの部下に言った。



「始末しろ」



己の血について悩んだことがないといえば嘘になる。
この国の土台となっている圧倒的な力を簡単に抑制できるこの血は、恐らくシキにとって唯一の弱点だ。
それを排除するどころか笑って受け入れるシキは、やはり少々おかしいのかもしれない。
襲撃の一報をいつ受け取ったのか、執務室に着いて通常通り報告業務に入ろうとしたアキラの言葉を遮ってまで、彼は言った。



「美しいものが毒を持つと知っても、人はそれを欲する」
「…は?」
「やはりお前が高嶺の花とは、よく言ったものだな」



シキは時折、アキラの理解の範疇を超えたことを言う。
そういう時は流してしまうに限る。
目を伏せたアキラは何も答えず、手元の資料に目を落とした。
シキもそれ以上は何も言わずに、黙ってその日の予定を聞き、頷いただけだった。



先程男が捕らえられた場所にはもうなにもなかった。
行って損だったかもしれない。
ただ階級の高い何人かが、襲撃に関して安否を聞いてくるだけであった。
それも、どこか怯えながら。
改めてアキラの血に秘められた毒を意識したのかもしれない。
どちらにしても、アキラにはどうでもいいことであった。
補佐官すら置き去りにして、早々にその場から立ち去り自らに宛がわれた部屋へ戻る。
ドアを閉めて一息吐き、不意にアキラは笑い出した。
この血は、シキにとって致命的な毒である。
この血だけがシキを殺せる。
そして試したことはないが、その逆も言えるだろう。
命を握り握られ、その関係性が恐ろしく甘美なものであるように思えてきていた。
その感覚はこういうやり方でライン兵の命を奪うたび、心の奥底から湧き上がってくる、普段秘めている醜いものでもあった。


血を出し尽くせば、この身体に潜むものは消えてなくなるのだろうか。
今思えば馬鹿な話を、かつて何度か考えたことがあった。
シキと己を繋ぐ、命を懸けた絆をむざむざ捨てる必要などない。
シキがアキラの命を奪う毒を持つと知っても、アキラはシキが欲しかった。



「アキラ様?」



外から、補佐官の呼ぶ声がする。
いきなり消えた上官を追ってきたのだろう。
律儀なことだ。



「今行く」



次の瞬間普段どおり感情を殺した声を発し、アキラはドアを開けた。
それでも、唇に刻まれた暗い笑みは隠し切れなかった。








愛と呼ぶには重すぎる






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あきゅろす。
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