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黄昏色の夢を見る(くれとー)完
感動を追求したけっかがこれだよ!
 シャッターを切るという行為の意味を、君は考えたことがあるだろうか。
 人に何かを伝えるため、大切な思い出を保存するため。それは、時と場合と、カメラを構えるものによって違うのかもしれない。だが、そこにどんな意図があっても、消えてしまうはずの一瞬を写真という形として捕らえるということはどんな時と場合と人だって同じだ。人が写真を撮ろうとするとき、カメラは必ずそのように使われる。

 あるところに世界中を旅して回っている男がいた。まだ見ぬ世界や会っていない人たちにあこがれて自分の故郷を飛び出した男は、必要最低限の荷物と一眼レフだけを持って、その日の気分で街から街を渡り歩いていた。その道の途中、自分の心を震わせたり、喜ばせたりするものに出会うと男は必ずカメラのシャッターを切った。それは例えば、沢山の人にその美しさを認められる自然の奇跡だったりした。道端に咲いている名も知らない小さな花だったりもした。疲れて空腹でどうしようもなくなって、地面にひっくり返って眺めた空の色だったりした。ひょんなことから助けてくれた人々の、曇りのない笑顔だったりした。どうしてシャッターを切るのか、そう聞かれたら、男はこう答えただろう。「どうしてって? それはもったいないからさ。だって、どんなに美しいものでも、ずっと眺めていたいと思うものでも、ずっと眺めてたらお腹が空くし、慣れたら感動も薄れちゃうだろう? そのときこっきりのものだってあるしさ。だから、そのときに感じた気持ちとそこにそんなことがあったってことを一緒に撮っておくために、僕は写真を撮るんだ。もちろん、ファインダー越しと自分の目で直に見る出来事には絶対的な違いがあるってことは僕もわかってる。僕だって長年カメラを構えてきたからね。でも、その切れっ端は写真の中に留めておけるし、自分で直に見たときのことを思い出すきっかけにはなる。それに、この光景を誰かに見せたいと思ったときもとても簡単だからね」
 男には友達がいた。男は友達に自分が撮った写真を送っていた。どんなに美しい風景を見つけても、それを自分だけの中に閉じこめてしまってはつまらない。
 友達は小さい頃からずっと病院に入院している少年だった。学校にも行っていない少年の世界は病院の中だけで、彼は病室から空を見上げてはいつも外を見たいと言っていた。だから男は自分が少年の目になって、外の世界を届けてあげようと約束をしたのだった。
 男は大きい街に寄る度、郵便局に行く。大きい封筒を買い、撮り溜めた写真と手紙とを入れて彼の病院に送るのだ。手紙の中で、男は写真について語った。これはいつのどこそこで撮った写真。誰々と撮った写真。彼にそのときの景色が少しでも伝わるように。彼に世の中にあふれている喜びを伝えるために。
 封筒をポストに入れるとき、男は必ず彼と約束をした日を思い出す。それは彼が男の前で初めて笑った日でもあった。男との約束を交わしたとき、少年はずっと暗かった顔を初めて輝かせたのだった。その笑顔は、男が「撮ってもいいかい」と聞いたらすぐに消えてしまいはしたが。
 この写真を彼は病院のベッドの上で受け取るだろう。痩せた白い手が、丈夫に糊付けされた封筒の端を破る。色とりどりの写真が清潔な白い布団の上にばらまかれる。お世辞にも上手とは言えない字で書かれた手紙を横に置きながら、少年は写真を見てあの笑顔で笑うのだろうか。その想像は男の心を暖かくするものだった。男自身にも明日自分がどこにいるかはわかっていなかったので、少年からの返事は全く返ってこなかったが、男が写真を送る理由はそれだけで十分だった。
 長い旅をして、何度も写真を送って、いつしか旅をする男の心には一つの望みが生まれた。もし故郷に戻るときがあったら、そのときは少年にもう一度「撮ってもいいかい」と頼んでみよう。あのとき彼は「撮られたくない」と言って笑顔を引っ込ませたけれど、あの笑顔は僕にとっては君に送った写真と同じぐらい大切にとっておきたいんだ、と言って。彼は頼みを聞き入れてくれるだろうか。聞き入れてくれなくても、何度も頼んでみよう。諦めなければ大抵のことは何とかなる。これは旅の間に学んだ教訓だ。
 ずっと旅を続けている最中、男はある日いつの間にか自分が故郷の近くに戻ってきたことに気がついた。気づいた途端男は友達の顔が見たくていてもたってもいられなくなったので、そのまま故郷へ戻った。
 故郷を出てからもう何年もたっていた。街は昔の面影を残しながらも、様変わりしていた。男は迷いそうになりながら、少年の病院へと行った。
 受付の女性に少年の病室の番号を告げると、違う患者の名前が返ってきた。少年の名前を告げても、彼女は心当たりがないと言った。
 そんなことは絶対にない。おかしい。そう苛立つように吐き捨てると、受付の女性は少し考える風情をしてから奥へと消えた。しばらくして戻ってきたときには、少し年輩の看護婦と一緒だった。
 なんとなく顔を合わせたことがあるような覚えのあるその看護婦は一言、その患者さんは亡くなりました、と言った。
 男は耳を疑った。
 ずっとこの街を離れてらっしゃったのでしょう、と、看護婦は男のことを知っているようだった。男が胡乱げな目を向けると、よくあの子があなたのことを話していたので、と言った。そうでなくても、男は土埃にまみれ、無精髭も剃っていないような姿だったから旅人だというのは一目でわかっただろう。
 呆然と立ち尽くしていた男に、看護婦は一つの住所を手渡した。あの子の生家です、看護婦は言った。行ってあげてください、と自分の気持ちも同時に手渡すように、男にその紙片を握らせた。
 少年の家はそこから電車を二、三駅乗り継いだところだった。男は何も考えることができないまま、惰性のように電車に乗り込んだ。旅慣れた体は自然に動くが、まだ精神はあの病院の受付に釘付けになって動けないでいるような気がした。その内に目的の駅に着いた。心を伴わないで動く男はそれでも少年の家を探していた。
 少年の家は小さな一戸建てだった。小さな女の子供が欲しがるようなミニチュアの家をそのまま大きくしたような家だった。男がドアベルを鳴らすと、白髪交じりの男が扉を開けた。旅人の小汚い風体に男は最初眉をひそめたが、看護婦に渡された紙片と愛用の一眼レフを見せると驚いたように目を見開き、上がっていくように勧めた。
 場を持たせるように、家内は今出かけているのですよ、ともごもごと言った少年の父親は、彼が大切にしていたという封筒の山を男に見せた。その封筒には全部違う街の消印が押されていた。全部男が送った写真だった。その中には、まだ開封されていないものもあった。そんなに前に、君は。男の口から掠れるような呟きが漏れた。
 男は時間をかけて写真の束を繰った。それはかつて自分が喜びと共に撮った写真だった。今は全く違って見えた。まるでモノクロの写真のように、色合いをなくしている。男の置いた写真を、今度は向かいに座った父親が追いかけるように繰っていた。彼はこの写真の中に何を見いだしているのだろう。
 ただ静かで静かな沈黙のなか、写真を繰っていた男の手を止めたのは、束の一番最後に入っていた写真だった。
 白い病室の中、色とりどりの写真に囲まれて、一人の少年が笑っている。
――あなたにお礼を言いたい、と。
 気がついたら少年の父親も、他の写真を置いて男の手元の写真を見つめていた。表情を隠すように、少年の父親は瞑目する。
――この写真は私が撮りました。息子に頼まれて。これまでずっと、病室にこもっていることしかできない自分のみっともない姿を残すのが嫌だから、と写真を絶対にとらせてくれなかった子が、嘘のように。この写真を撮った後、息子の病状は急激に悪化しました。
 淡々と告げられる言葉に、男はまるで息が詰まるような思いを覚えた。ずっと望みとして掲げてきたものがここにある。けれど、それは。
――写真というものを知ることができた、と言っていました。自分の姿を残すのはやっぱり嫌だと言っていましたけれど、写真が焼き付けるのはそのものの姿形そのままではないから、あなたへの感謝の気持ちを残すためにはこれ以上ふさわしい方法を見つけられないからと。
 父親は泣かなかった。少年が死んでから、しばらく年月が経っていたからかもしれない。客の前で泣くわけにはいかないというの矜持のためかもしれない。それにつられたように、男の目からも涙は流れなかった。ただ、この写真をもらってもいいですか、と父親と同じように淡々と聞いた。どうぞ、元々あなたのための写真です。それに、家にはネガがありますから、父親はそう答えて、あなたにこれを渡せてよかった、と穏やかに少しだけほほえんだ。
 家内がすぐに帰ってきますから、というお茶の誘いを断って、男は少年の家を出た。父親はもう少し息子の話をしたかったのかもしれないが、男は約束を交わしたあとの少年は知らない。その後のやりとりは、あくまで一方的だった。そんなことはないように思えていたとしても、やっぱり事実は変わらない。
 男はまた電車に乗った。向かう先は隣町だった。かつて意気揚々と旅だった自分が最初に訪れた小さな街。彼に最初に送った写真は、その近くの草原で見た夕日だった。
 草原に着いたときには、今まさに、まるで男を待っていたように夕日が沈みかけるところだった。前に見たときと同じような、美しい夕日だった。かつての自分は、隣町を散策し尽くしてからこの草原にたどり着き、夢中でカメラを構えた。だが、今はどうだろう。
 男は胸元にいれていた少年の写真をとりだした。少年は笑っている。
「俺が欲しかったのは違ったんだよ」
そう言って、男は少しだけ泣いた。


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