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黄昏色の夢を見る(くれとー)完
三 朽ちた都で再会を果たす
都の中心には、私の住んでいる街と似たような石造りの噴水と広場があり、あの日と同じ吟遊詩人が噴水の縁に腰掛けていた。ありもしないものを見ているかのようにうっとりと中空を見つめながら、声帯を震わせて黄昏に似合う旋律を生み出していた。
「もし」
 私が呼びかけると、詩人はまるで夢から冷めたばかりといった風に目をしばたき、ややあってにっこりと微笑んだ。
「こんばんは、よい黄昏ですね」
「こんばんは」
 挨拶を返し、私は躊躇いがちに訊いた。
「もしかして、お邪魔をしてしまいましたか?」
「いいえ、構いません」
 吟遊詩人は無造作に竪琴を掻き鳴らし、気を悪くした様子もなしに首を傾げた。
「どうしてこちらに?」
「あなたの歌が聞こえたので、気になって」
「私の歌、ですか」
「ええ、前にあなたが広場で歌っているのを聴いたので」
「成る程。気に入っていただき光栄です」
 詩人は興行でお捻りをもらった場合にそうするように、立ち上がって大仰な会釈をした。私は何となく会釈を返してから口を開いた。
「あの歌はあなたが作ったのですか?」
「ええ、私が作りました。ある街のために」
「ある街?」
「そうです、【永遠の黄昏】という名の街のために」
 吟遊詩人は穏やかな口調で答えると再度水の枯れ果てた噴水に座り、竪琴を構えた。どうやらこの吟遊詩人は座って竪琴を演奏するらしかった。
「この歌が気がかりでここに辿り着いたあなたにならば話してもいいかもしれませんね。これから私が語ることは信じてもらえずとも結構。放浪の吟遊詩人の繰り言と思って聴いてください」
 細く長い指で繊細に竪琴を爪弾き、詩人は語り始めた。
「私があの都に出会ったのがいつなのか、それは私にもよく分かりません。物心ついたころにはもう、私はあの都のことを知っていました。夢を見るのです。私が黄昏の都の住人の一人になったという。夢を見ている間、私の心は不思議な充足感と安らぎに包まれました。きっと、この世に存在するどんなものに出会っても得られないだろう、幸福な感覚です。けれど、夢には必ず終わりがあります。そうでしょう?」
「ええ、人間ずっと眠ったままでは死んでしまいますから」
「目覚めるたび、私は焦がれるばかりに都のことを思いました。こちらにはこちらの生活があるというのに、それもなおざりにして。けれど、黄昏の都は決して毎晩眠れば訪れることができる場所ではないのです。あの都はどこまでも自由で、束縛を嫌います。まるで、風のように、猫のように、前触れも感じさせずにふらりとある晩訪れるのです。だから、私はずっと眠っているわけにはいかないと思いました」
「それで、あなたはどうしたんですか?」
「暇がある時間に、黄昏の都に思いを馳せ、空想の中に出来上がった街に一人で繰り出していくようになりました。けれど、一人の想像など所詮あやふやなもの。私は確固としてその姿を形として留める手段を欲しました。その頃、幸いにも私は歌と出会った。やがて、私は歌を作ることを覚え、黄昏の都についての歌を作るようになりました」
 終わりと鳴る音を高らかに鳴らして、詩人は言った。
「これが、私がこの歌を作った理由です」
私は、詩人の語りの余韻に浸りながら尋ねる。
「あなたはこの歌を歌い続けるんですか、ずっと?」
「そうですね。これからも私はずっとその都について歌い続けると思いますよ」
「誰かにその都の存在を知ってもらうために、ですか?」
「いいえ、他人に知らせるためじゃありません。私は私のために歌っているんです」
「あなた自身のために?」
「ええ、私はあの都へは時たましか行くことが出来ませんけれど、歌を歌えばあの都について事細かに思い出し、思いを馳せることが出来るのです。歌を通じて、私はあの都の住人になれる気がするのですよ」
 吟遊詩人はそれから、詩人が先程まで見ていたという黄昏の都の夢を――詩人の言葉を借りるなら、そこで実際にあった出来事を――竪琴の演奏に乗せて、ぽつりぽつりと語った。その物語は古代の冒険譚のように派手でもなく、恋愛譚のようにロマンティックでもなく、ただ淡々と黄昏の都について、どこそこにどんな建物がある、どんな人が住んでいてどんな生活を営んでいるなどというありふれたことを語っているだけだが、よくよく注意して聴いていると本当に自分も黄昏の都で暮らしていたことがあるような気がしてくるのだった。街にそびえ立つ尖塔や群れをなして固まっている家々に黄昏色の光が射して、一つの大きな影絵のように浮かび上がる姿など、まるで実物を見たことがあるかのように胸の中に鮮明なヴィジョンが浮かび上がった。
 そして、黄昏の街での物語が身に近く、実際に体感したことのように思われるたびに私の心は低く軋みをあげた。何故私は今あの街から遠く離れ、一人こんな場所にいるのか。針を突き刺すように自問をしている自分にはっと気づいたのだ。
 今ならば、どうしてこの詩人の歌が私の心を縛ったかが説明できる。私はその旋律を通じて、無意識のうちに黄昏の都の幻影を追い求めたのだ。
 心を締め付けるのはノスタルジア。知らないはずなのに、知っているような気がする都市。その都の名は、本当の自分の故郷よりも強く強く私を束縛する。

 いつか還らん 我が故郷よ
 いつか還らん 【永遠の黄昏】よ!

 叶いもしない願いにチリチリと灼かれる心に覆いかぶさるように、詩人の憂いと渇望を帯びた歌声が廃墟に反響して木霊した。
 黄昏の光が残照を残して消えるまで、私はじっと吟遊詩人の演奏に聞き入っていた。


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