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樹海(紺碧の空)完
V
 彼女の話はそんな所だった。その話をしている間彼女の表情は変わらなかった。よほど辛い暮らしをしてきて、感情が麻痺してしまったのだろうか。
「やり直そうとは思わないのか? まだ君の人生は長い。やり直すには十分だ。そう出来れば、幸せにもなれる筈だ」
「適当なこと言うのね。もう、どうにもなる訳無いじゃない」
「どうして……」
「私はこの世に置き忘れられたの。もう、私がここにいる必要はないのよ。それに、自分の命なんて、自分のものなんだから好きにしてもいいじゃない」
でも、駄目だ。この気持ちは何だろう? 自分自身、この世界を捨てようとしていたのに、それに激しく反発する感情がある。なんとか、彼女を説得して思いとどまらせなければならない。
「い、命は、君のだけのものじゃない。君は生まれる自由があって生まれて来た訳じゃないだろう? だったら、勝手に死ぬ自由もない筈だ」
だが、どうやら俺の考えは顔にそのまま映し出されてしまっていたらしい。
「貴方だって同じでしょう? 何故そんなことを言うの」
「同じって……」
「貴方も、死にに来たんでしょう? 私にはわかるもの。隠したって、無駄なんだから」
しばらくの沈黙。俺は、覚悟を決めた。
「はは、全部お見通しってわけだ。馬鹿な話だな。俺なんかに、こんなことを言う資格はなかったのに」
「だから、何故かと聞いているの」
「何故……君には、まだ未来があるように見えるから、かな」
彼女は鼻で笑った。
「何を根拠に?」
「それは、君がまだ若いからだ。君は今まで生きて来た人生よりも長い時間をまだ過ごすことが出来る。それだけあれば、いくらでもやり直せるさ」
「それは貴方だって、あと半分以上あるんじゃないの?」
「……そうかもしれんが、でも、このままじゃ借金が……生命保険金さえ手に入れれば、なんとかなるんだ。家族に迷惑はかけたく――」
その時、自分が誰に何を言っているのかを理解した。そう、このままでは……このままでは、彼女と同じような少女をもう一人つくることになってしまう。俺は何て馬鹿なんだろう。娘を、或いは妻を、一生苦しめるつもりだったのか。
「すまない。その、俺の間違いだった。悪いことを言った……これじゃあ、君の父さんと同じだ」
「貴方もダメな人なのね」
グサリと刺さる言葉。確かに、全て自分の致命的な失敗が原因だった。だが、それで俺が自殺しては、ただ逃げ出しただけじゃないか。俺は、彼女と違って帰る場所もある。それなのに、幼い娘から父親を奪おうとして……全くダメな奴だ。
「もういい? そろそろ逝ってもいいでしょう?」
「……頼む、死なないでくれ。俺も生きるから。だから、君も生きてくれ。そうだ、俺はもう自殺なんてしないぞ。だから言ってもいいだろう? 君は死んではいけない」
「どうして、そこまでして私を死なせまいとしてくれるの?……でも、ありがとう。こんなこと言ってくれる人、今までいなかったから」
「わかってくれたか? そう、世界には君を愛してくれる人がたくさんいる筈だ。君が幸せになれる場所がたくさんある筈だ。全部終わりにするには、まだ早いんだよ」
彼女の顔が、若干、ほころんだ気がした。
「……じゃあ、もういいや」
彼女はポケットからナイフを取り出すと、一気に振り下ろし、吊るされた輪を切った。そうして、プラスチックの台から降り、蹴飛ばして茂みの中へやってしまった。
「そんな目で見ないでよ。他にもたくさん落ちてるんだから、もう一個くらい捨ててもいいでしょう?」
俺の心の中に、安堵の念が広がった。自分は、彼女を救うことが出来たのだ。そう、生まれて初めて……人を救うことが出来たのかも知れない。
「ねえ、おじさん」
彼女が無垢な声で言う。
「貴方も、もう自殺しないよね」
「ああ、勿論さ」
彼女は俺に近づいて来て、にっこりと笑った。しかし、全く数奇な間柄である。
「行きましょう。外へ」
俺たちは、二人で元の道を戻り、森の出口へ出た。そろそろ正午を回る頃の空は明るく、薄暗い木陰に慣れきった目にはこたえた。
「それじゃあ、さよなら」
「ああ。いつか、また会えると良いな」
彼女が曲がり道に消えるのを確認してから、俺は車を逆方向へ走らせた。


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あきゅろす。
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