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リレー小説
納都

18

 一、二分も沈黙が続いた。有島は手持ち無沙汰なように辺りをきょろきょろと見回した。すると何処からともなくバタバタという音が聞こえてきた。ここに来てから幾度目かのヘリコプターである。わずかな緊張が二人の間を伝ったが、ヘリコプターの中を見た城ヶ崎がジェスチャーで有島に安全を伝えた。着陸したヘリコプターからはスーツケースをもった男が一人おりてきた。施設へと入り、二人の姿を確認するとなめらかな動作で会釈した。
「城ヶ崎教授、ちょうどよかった。こちらがお求めになっていらした資料です。どうぞ」
「ああ、早かったですね。どうもありがとう」
「確かにお届けしました。では」
 そう言うと男はまたヘリコプターに乗り込んでいく。飛び立つヘリコプターを見送ってから、有島は城ヶ崎に向き直った。
「誰だい、あれ?資料って?」
 「機関で私の手伝いの担当に回された人だよ。資料は、私が新しく任された方面についてだ。まあこんなこと、資料集めがすべてになってしまうんだが……中に入ろう。詳しいことを説明するよ。」


19

城ヶ崎は作業場のデスクに座ると、スーツケースを開き中身を確認した。後ろから有島が覗き込む。
 「セフィーレについては、恐らくあともう少しもしたら私たちが彼に教えられることもなくなって、平川のみが彼の教育に当たることになるだろう。そこで、上は新しく仕事を持ってきたんだ、それが」
 と言って城ヶ崎が厳重な書類の包装を一気に剥きとる。
 「18世紀のセフィーレ……?」
 表紙に記されたタイトルを読み上げた有島の驚いた表情に対し、城ヶ崎は静かに頷いた。
 「ああ、そうだ。正確には『セフィーレの翼』の描かれた当時の研究だよ。」
 「歴史学ってことか?」
 「半分くらいはね。つまり簡単な話だが、『セフィーレの翼』……普通に考えて、人間業とは思えないだろう? 著名な画家も著名な作品も確かにたくさんあるが、見た相手に脳出血を促す、なんていうのは一線を画している。色彩類研究をしている私でさえ、あんなものは作り出せないよ。あれが脳に与える影響を証明する程度だ。なのに――」
 「あんなものが18世紀にはあり得ないのか」
 今度はさっきよりも強く、城ヶ崎が頷いた。
 「今に於いてさえあの技術は高すぎる。あの作品の制作過程や背景に、非常に高度な知能が関わっていることは確実なんだ。これがセフィーレ研究に役立つのではないかと上は踏んでいる。『セフィーレの翼』の担当は私だから、必然的に声がかかったんだよ」
 「……もしかしたら18世紀にもセフィーレ的なものが存在してたかもってことか」
 「あくまで一つの可能性に過ぎないけれどね。セフィーレのためにだったら、なんだってやってみることに価値があるってことだろう。正直雲をつかむような話だが」
 そういって城ヶ崎は苦笑した。しかしその研究が想定以上の重大なものになることを彼はまだ知らなかった。


20

 悲劇はその三日後に起こった。セフィーレと対面していた南原が、急に倒れたのである。強迫的な警報のアラームが、セフィーレが『翼』を見てしまったあの日のことを思い起こさせた。現場に駆け付けた城ヶ崎は戦慄した。動揺し動けない有島と、それ以上に混乱している一条。騒然としたその場で、ただ一つまさに台風の目のようにセフィーレは落ち着き払っていた。いかなる感情も読み取れないガラスのように美しい瞳が、床に倒れる南原とそれを取り巻く人々を見つめていた。
医療室に緊急搬送された南原は一命を取り留めたが、原因不明の脳出血で、後遺症の可能性が高いためしばらくは研究に復帰できないと診断を下された。研究者たちは集会でそれを告げられ、小さな緊張と重苦しい空気が場を覆った。これでは、まるで『セフィーレの翼』を見てしまった時のようじゃないか……口に出さずとも、全員がそう思っていた。当然のことながらセフィーレへの接触は研究者の安全を考慮して最低限に抑えられ、また南原の脳出血の原因究明が急がれた。最近セフィーレと接することに疲れていた研究者たちはこの事態を心の底では喜んでいたのかもしれない。しかし平川だけはその通告にあからさまに不満の色を見せていた。
城ヶ崎は特別指令を受けた。一つは、南原の脳出血の原因と『セフィーレの翼』との関係の調査、そしてもう一つは18世紀のセフィーレ研究の本格始動である。生物学的面でのセフィーレ研究が、完全とは言わないものの滞ってしまった今、18世紀のセフィーレはかなりの重要事項へと昇格していた。城ヶ崎は、急に両肩に降ってきた負荷にため息をつくことさえむしろ躊躇われるような思いだった。
 城ヶ崎が研究室に籠り今後の方向性を考えていると、いささか強いノックが戸をたたいてきた。平川であった。
 「どうしたんだ平川?」
 「教授、僕にも何かお手伝いできることはないでしょうか」
 「……本来君に任されたことではないのだから、あまり望ましいとは言えないね」
 「でも…何か、本当に、内容にかかわらない事務作業でもいいんです」
 「どうしたんだ平川。暇なら君の本業の勉学に勤しんだ方がいいだろうに」
 「ちょっとでも……セフィーレに関わっていたくて。今はこんな状態ですが、僕は彼をもっと知りたいんです」
 それを聞いて平川は目を丸くした。他の研究者たちのセフィーレを避ける態度とは恐ろしいほどに正反対だった。まったく、解しがたいほどに。恐らく研究者たちの間では、南原が倒れたのはセフィーレの仕業であるという疑心が渦巻いているであろうとさえ思っていたのに、平川はそれを全く感じさせなかった。むしろそんな疑心を肯定した上で意に介していないようにさえ見えた。まあそんな考えは自分の恐怖心から出た妄想に過ぎないと思ったが、それでも平川を自分の研究に巻き込むのは賢明ではないと判断した城ヶ崎は申し出を丁重に断って平川を部屋から閉め出した。謝りながらドアを閉めた彼の脇はびっしょりと汗が滲んでいた。


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