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リレー小説
蒼緋
 一週間、何事もなく日常は過ぎ去った。平川が命を狙われたことも、セフィーレという名の「神」を創り出す計画も、全てがただの夢のように平和な日常だった。もちろんそれは、嵐の前の静けさだと城ヶ崎は知っている。
 そしてついに、賽は投げられた。
「君たちに成長したセフィーレを見せよう」
 朝食の折、南原はそう言った。期待と一抹の不安がない混ぜになった奇妙な気分のまま手早く朝食を終え、南原の後ろについて研究室に向かう。朝食はまったく味がしなかった。
 薬の独特な匂いが充満する研究室。無機質な蛍光灯の下で、セフィーレは静かに眠っていた。人が一人すっぽりと入る大きさの円柱の培養槽の中で。培養槽の上から何本も伸びた太い管は小さく振動音を発する機械に繋がっていて、中に満たされた液体は時折ゴポリと音をたてて泡を昇らせる。その中で静かに身じろぎもせず眠り続ける胎児。その姿はホルマリン漬けにされた赤子の標本にも似ていた。
「これが……セフィーレ……?」
 薄緑の液体の中で指しゃぶりをする胎児。臍の緒は上部の管と繋がっているようだ。母親の子宮の中にいないという点を除けば、セフィーレは一見普通の胎児に見える。
「可愛いだろう? 我らが救世主、人類の神も最初の最初は人間と同じように生まれ落ちる。この培養槽が母親の胎内だと思ってくれていい。しかるべきときにこの培養槽から彼を取り出せば、『神の生誕』だ」
 南原が恍惚とした表情で言葉を紡ぐ。生物学を専門とする彼にとって、この「計画」はまさに天職、最上の仕事なのだ。これこそが己の全てであるかというように、南原はさも愛おしそうに培養槽のガラスにそっと触れた。その姿は、ガラスの向こうの愛しい神に愛を囁いているようでもあり。
「あぁ、美しいセフィーレ。いくら遺伝子をいじって成長を早めても、一週間で受精卵から胎児まで成長できるものはほとんどいない。大抵は途中で耐えられず壊れてしまう。やはり彼は神なのだ。生まれた後は、それぞれの担当が専門分野をセフィーレに教育することになる。なお、セフィーレが使用する言語は私の妻が独自に考案した、最もセフィーレに適している言語を使用する。各自覚えておいてくれたまえ」
「そのセフィーレは、いつ生まれるんだ?」
 その問いに、南原は顎に手をあててううむ、と一瞬答えに詰まったが、ちらりとセフィーレを見やって答えた。
「あと数日といったところだろう。生まれた後は一週間で一歳のスピードに調節して育成する。もう、それほどゆっくりしている時間はないぞ。」
 城ヶ崎は培養槽の中に浮いているセフィーレを見つめた。薄緑色の液体越しに見る彼はぼんやりとベールに包まれているようにも見え、ふと子宮の中を覗いているような感覚に陥り複雑な気分になった。
 彼の視線の先で、未来の神は微かに笑う。その弧を描いた唇は、城ヶ崎にあの呪いの絵「セフィーレの翼」を彷彿とさせた。

10

 日本共和国には、自衛隊と日本国防軍というまったく別系統の指揮によって動く二つの軍事組織が存在する。自衛隊は元々日本共和国に存在する日本人によって構成された部隊で、日本国防軍とはアメリカから日本に駐屯しているアメリカ人によって構成された軍隊だ。お互い所属している組織も管轄も違うので、基本的にお互いの内情は詳しくは知らず、慣れ合うこともない。むしろ反目しあっている、と言った方が正しいだろうか。
 お互いがお互いを警戒し、監視しあい、そして疑いあう。元はといえば共に日本を守るために作られたはずの組織なのに、今では全くその意味を成していないのだから笑えてしまう。最近は特にそうだ。例の計画といい、トランペッターズといい。〈騎士〉が現れてからはもう決定的だ。お互い、相手の組織内に〈騎士〉がいるのではないか、そう思っている。
 思うつぼだ。
 そうほくそ笑んで、軍服に身を包んだ男は口角をつり上げた。軍服帽を目深に被ったその男は、本来ここにいるはずの存在ではない。ピーター・レミントン。どこか快楽主義的な笑みを浮かべて、彼は争いの種をまきに、この自衛隊に潜入していた。存外軍服も似合っているものだな、と思う。
 〈騎士〉たちの素性を知る者はほとんどいない。故に、適当に軍服を調達して自衛隊員になりすますのは拍子抜けがするほどに簡単であった。あとはかつて諜報機関で働いていたときの経験と各軍事機関とのコネを使うだけ。人を言葉で籠絡し、思い通りに争いを引き起こすことなど赤子の手を捻るより容易だ。
 この二つの組織は、今かつてないほどの緊張状態に置かれている。まるで不安定に積み上げた積み木の塔のようだ。ピーターの仕事はその積み木の塔を完膚なきまでに崩壊させること。簡単だ。ぐらぐらと、不安定に揺れるそれを指で軽くつついてやるだけでいい。張りつめたものを崩壊させるには、たったそれだけで十分だ。
 ピーターは手近にいた一人の青年に声をかけた。この組織の正規隊員で、純朴かつ真面目でほどよい中間職の立ち位置にいる男だ。こういう輩の方が籠絡しやすい。
「ねぇ、君」
 その声に振り向いた青年に口を開く隙を与えず、ピーターは言葉を重ねる。
「〈騎士〉たちって、やっぱり国防軍にいるらしいよ」
 え、と青年が驚きの声をあげるのに被せて、ピーターの言葉がたたみかけるように青年を襲う。昔から奴らは怪しかった、この機会に奴らは日本を乗っ取るつもりなんだ、どうせ彼らはアメリカの手先だろう。男の言葉の罠が巧妙に綿密に、青年を絡め取っていく。青年の眼が温和なものから剣呑なものへと変わり、その瞳に憎悪の炎が宿るまでものの五分もかからなかった。権威を使うまでもない。
 ピーターの武器は二つある。己の権威と、類稀なる話術。諜報機関でも、この話術だけで人を操ることができた。この青年ももうすぐピーターの手の内に落ちるだろう。青年の眼はどんどん虚ろになり、憎しみだけがその身を焦がし全てを支配していく。だが、駄目押しだ。
 青年の耳元に口を寄せ、彼の聴覚を自分の声で埋め尽くすように、優しく囁く。
「なあ、あいつら……憎いと思わないか」
 軍人といえど、所詮はただの人間。権威の前に完璧に屈服した青年は憎しみに身体を強張らせ、ふらりとピーターから離れるとそのまま他の隊員が多くいる修練所に進んでいった。
 そして、聞こえる叫び声と怒号。
 その心地良い音色に、〈第二の騎士〉はことさら嬉しそうに唇を歪めた。

11

「セフィーレ!! どこだ!?」
 セフィーレの生誕から二週間。一週間に一歳のスピードで年を重ねるセフィーレは、現在二歳だ。といっても普通の人間より脳の成長は桁外れに速く、既に言葉は完璧に話せ、大の大人とも対等に渡り合うだけの知識、会話能力まで見せている。当然自我の発達も早い。
 朝、城ヶ崎がセフィーレの部屋に行くと、セフィーレがいなかった。年齢的には悪戯好きで勝手に部屋から抜け出してもおかしくない。だが、昨晩ちゃんと鍵はかけたはずだ。ならばどうやって。
 〈騎士〉による誘拐。その可能性が脳裏をよぎった瞬間、城ヶ崎は走り出していた。Wingsは何も言っていないが、絶対に侵入されないという保証はない。
 どこだ、どこだ。人が少ない場所を重点的に探す。息が切れようと足がもつれようと構わず、彼を探した。ふと気が付くと、城ヶ崎は自分の研究室の前にいた。そこにはアメリカの教会から研究と称して取り寄せた呪われし名画「セフィーレの翼」が収められている場所でもあるので、普段は鍵がかけてある。そしてその鍵は城ヶ崎にしか開けることはできない。それなのに、鍵は外れ、扉が半開きになっている。
直感的にここだ、と感じた城ヶ崎は、部屋に踏み込むと同時に大声で叫んだ。
「セフィーレ!!」
 その怒声にびくりと身体を震わせたのは、小さな一人の幼児。まだかなり幼いが、怜悧そうな瞳が印象的な、可愛らしい黒髪の男の子。しっかりと自分の足で立ち、その小さな手には自分の身体よりも大きい絵画の額縁が握られている。絵画を見なくても城ヶ崎には分かった。セフィーレの翼。
 見た人が死ぬという呪いの絵。絵の構図や色彩が脳に与える影響を専門に研究していた城ヶ崎にはその種が分かったものの、若干色盲であった城ヶ崎を除けば、理屈が分かったところで見ると死ぬ事実を覆せるものではない。ただの人間には負担が過ぎる代物だが、脳が特化したセフィーレなら、あるいは。
 覚えてまだ片言のセフィーレの言語で城ヶ崎が注意しようとした瞬間、彼の携帯が鳴り響く。慌ててそれに出ると、アランの切羽詰った声が電話口で炸裂した。
 その内容は、自衛隊と日本国防軍が内部抗争を起こし、小規模の戦争状態になるとWingsが予言したというもの。信じがたい内容だが、今までWingsの予言が外れたことはない。そして突如鳴り響く警報アラーム。アランのがなり立てる声も聞こえなくなるほどの耳障りな大音量の警報音の中で、城ヶ崎は見た。
 セフィーレが、何事かを言った。そして、それはそれは美しく微笑んだ。その笑みはあの絵画の天使と同じ、よく見ると背筋が凍る、戦慄の微笑み。
 彼の声が聴こえなくとも、言葉が分からなくとも、彼が、セフィーレが、何といったのか城ヶ崎には分かった。

「このえ、きれいだね」


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