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『その時』が来たら(柚木)完
数年後の朝
 その日から、僕にご飯をくれる人はおばちゃんになった。彼女は、僕を見るといつもどこか切なそうに顔を歪める。僕には、未だにそれが理解出来ない。

 理解出来ないまま、幾年かの年月が過ぎた。猫の成長速度は人間のそれを遥かに上回る。もう僕は、あの頃のおばあちゃんと同じくらいに老いた。体中のあちこちが痛くて、うまく動く事が出来ない。
 ある日、僕に『その時』がやってきた。何故だかは分からないが、何となく感じられたのだ。悲しくはない。ただ、思っただけだ。ああ、今日が最期の日だ、と。それなら、もう僕は動きたくない。痛む体で動くくらいなら、慣れ親しんだこの商店街で最期を迎えたい…。
 しかしその時、僕の脳裏にふと、あの光景が浮かんだ。おばあちゃんと会った最後の日に、箱の周りで涙を浮かべていた人達の光景が。
 もし僕がこの場所で死んだら、誰かが涙を流すだろうか。
誰も流さないかもしれない。いや、きっと誰も、ただの猫である僕の死など何とも思わないだろう。でも、あの理解出来ない人間の事だ。もしかしたら…。もし、そうだとしたら…。
 それはいやだ、と僕は思った。
どうしてだかは分からない。でも、僕はもう涙を見たくない。誰かを悲しませたくない。辛い思いをさせたくない。それはいやだ!
 そして、僕は痛む体を引きずりながら、商店街を去っていった。もっと遠くへ、僕の事を知っている人間が誰もいなくなるほどに、遠くへ、と、ただそれだけを考えながら。


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