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『その時』が来たら(柚木)完
異変
 「猫は良いよねー、好きな時に眠れるし、起きられるし、そこにいるだけで人から『可愛い!』って言ってもらえるんだから。」
と、誰かが言っていた。
 冗談じゃない。家猫ならともかく、野生の猫が生きていくのは大変だ。もちろん、僕も必死で生きている。まず、好きな時に寝たり起きたりする為には、自分の縄張りを守らなければならない。人間も、自分の立ち位置?ポジション?そんな物を作って守らなければならないようだけど、僕らのそれは生死に直接関わる物だから、人間以上に深刻だ。食べ物を手に入れるのも大変。僕は自分の縄張りの中にある魚屋のおばあちゃんから魚を貰えるからまだ楽だけど、そうじゃない猫は、ネズミを獲ったり、スズメを獲ったり、とにかく大変。大抵の人間は…特に、この日本に住んでいる人間なんかは…ご飯を獲らなければ死んでしまう、なんて事は無いだろう?でも、僕らは違う。
 …食べ物と言えば、あの魚屋のおばちゃんは、「仕事でもしてくれるなら、賄い飯くらいあげても構わない」って言っていたっけ。猫に仕事だなんて、面白い事言うよなあ。ネズミでも獲れ、っていうのかな?それとも、猫の手も借りたいほど忙しいとか?
 まあとにかく、そんな感じで、猫だって大変なのだ。僕に言わせれば、むしろ人間なんかより猫や他の動物の方がよっぽど大変。それでも「良い」って思うんなら、それは別にその人の勝手だけれど。

 そして、僕は今日も生きる為に、魚屋のおばあちゃんの所へ向かう。きっと、今日もおばあちゃんは僕の為にご飯をとっておいてくれているはずだ。おばちゃんがまた小言を言うかもしれないけれど、それ位気にしない。
 けれど、僕の予想は外れた。おばあちゃんはご飯をくれなかったし、おばちゃんも小言を言わなかった。正確には、魚屋さんは閉まっていたのだ。今日は、お休みの日じゃあ無いはずなのに…。

 その日から四日ほど、魚屋さんは閉まったままだった。
 五日目の朝、裏口―…というか、おばあちゃん達が住んでいる家屋の玄関の方―…に沢山の人が集まっていくのが見えた。何だろう、これからはそっちで魚を売る事にしたのかな?でも、魚の匂いは全然しないし、そこへ向かう人達は悲しそうな顔をしている。そして、皆お揃いの黒い服。
 …変なの。何があるっていうんだろう?
 そう思って、僕も裏口の方へと向かう。そこには、見慣れない黒と白の大きな縞模様の布が掛かっていた。
 そんな普段と違う光景に気を取られていたからかもしれない。
「あんた、いつも餌を貰っていた…。」
そこにおばちゃんがいた事に、声をかけられて初めて気が付いた。彼女の目には涙が浮かんでいる。その、弱く、儚く、今にも消えてしまいそうな様子からは、普段の怒った顔はイメージ出来なかった。
 …何だよ、これ。いつもと、全然違うじゃないか。
「母さんはあんたを子供のように可愛がっていたものね…。…こっちおいで。あんたも、母さんに会いたいでしょ。」
そう言って、家の方へと入っていく。
 僕は、いつもと様子の違うおばちゃんに警戒しながらも、家の中へと入っていた。おばあちゃんにも会いたいし。そういえば、魚屋さんの方には行っていたけれど、家の方に入るのは初めてだな。おばあちゃんの匂いがいっぱいして、安心する…。
 と、おばちゃんが立ち止まった。
「ほら、母さんだよ。」
そう言って立ち止まった先には…。

 硬く、冷たそうな、大きな箱が見えた。

 おばあちゃんは、それの中にいた。顔は蝋のように白く、いつものような暖かみは感じられない。
 ……え?
「母さん、きっと幸せだったと思うわ。こんなに安らかな顔をして…。」
おばちゃんが言う。彼女は僕のすぐ近くにいるはずなのに、その声は、もっとずっと遠くのどこかから聞こえた気がした。
 …なに、これ。
僕は、ふいに気づいた。涙、涙、涙。大粒の物を零したり、ひとしずく頬につたうだけだったり、流すまいとして目に滲ませていたり、それぞれ様子は違うものの、箱の周りにいる人は皆一様に涙を浮かべているのだ。おばちゃんの声も、涙声になっている。
 …なんなんだよ、
「きっと、最後にあんたに会えて、母さんも喜んでる…」
まだ何か言っているようだったけれど、彼女の声は、僕の中の強い感情に消されて、聞こえなくなった。

 驚愕。

 おばあちゃんの様子にではない。その周りの人の反応に、だ。おばあちゃんがもう戻ってこない事は、箱の中のおばあちゃんを見てすぐに分かった。理解した。だが、それだけだ。何の感情も湧かなかった。生物は、いつかは息絶える。それはこの世に産み落とされたと同時に、誰もが背負う逆らえない宿命だ。おばあちゃんには、『その時』が来たのだ。生物として当たり前の最後、そう思ったのに……人間は、何故それに対して反応する?わざわざ感情を抱く?
 生か、死か。ある意味その二択で生きている僕には理解出来ない。自然の摂理を理解した『動物』であるが故に、『人間』が理解出来ない。

 おばちゃんが、僕を抱き上げた。
「これからは、母さんのかわりに私があんたにご飯をあげる。母さんが大切にしていたあんただもの、邪険にしたらきっと天国から叱られちゃう…。」
そう言って、涙で濡れた顔を僕に埋める。
 …なんでなんだよ……。
ふいに、僕はぼんやりと思う。
 ああきっと、こんなに面倒くさいものを抱えながら生きていくなんて、猫や他の動物に劣らず、人間という生き物も大変なんだなあ、
と。


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