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彼等は反逆し得るか? (kankisis) 完
 トルカセニレ島 トルカゾール コルト ギャムディ亭
 その男はいつもギャムディ亭にいた。端から四番目の同じ席に、少しうつむき気味に、長い白髪の混じった前髪を垂らしながら、酒を飲んでいた。誰もその男の名前を知らなかった。


 フォルザイルは宿屋(ギャムディ亭と呼ばれていた)を経営しているギャムディ・ジャグの遠い親戚で、よくそこの酒場にいた。
 フォルザイルはギャムディ亭に入ると、地下の酒場へと真っ直ぐ向かった。席につくと、一杯の酒を片手にフォルザイルは友人のつてで手に入れた新聞を広げた。表には『トスキール公国軍 アイフェル渓谷で大勝利 一方の帝国軍大打撃』という大きな見出しが見えた。なぜあんな小国の軍隊があの帝国軍に勝てるのだろうか? どのような人物が帝国と話し合い、どのような人物が公国軍を率いたのだろう? この王国にはまだ帝国の使節はやって来ない……。それぞれノメイルにはギロン、トスキールにはカリギュラという使節が来ていた。
 トスキールを制圧してから取り掛かるつもりなのだろう、フォルザイルは思った。すっかり目を通した新聞をテーブルに置き、薄暗く汚らしい店内をゆっくり見回す。ふと何かがいつもと違うことに気付いた。"あの男"がいなかった。いつもはすぐそこにいる筈なのだ。
 しかしフォルザイルは少し考えた後、彼が来ないのは別に不思議ではない、ただ"あの男"が今までほとんど毎日のようにここに来ていたというだけだ、何かおかしいなどと感じる方がおかしいのだ、という強引な結論を下した。
「フォルザイル、今日も新聞か?」後ろに少々太り気味のギャムディ・ジャグが立っていた。
「ああ、トスキールが帝国軍に勝ったらしいな」フォルザイルは言った。
「ほう、あんな国が勝つなんて……全く、奇跡も良いところだと思うね。自分に言わせてみりゃあ、トスキールなんざ帝国、いや王国の軍隊で一発さあね。で、その新聞は直接商人から買ったのか?」
「いや、友人からもらった」
「まあ、そうだろうな、それ読んだら貸してくれるか? すぐに返すから。 自分も読みたいんだ、珍しいから」
「別に返さなくても困りはしないさ……もう読み終わったし」フォルザイルは読み終えた新聞をギャムディに渡した。
「恩に着るよ」ギャムディはそのまま新聞を持って酒場から出て行こうとした。そのときギャムディは階段を下りて来た男にぶつかりそうになった。"あの男"だった。ギャムディは男にぶつかったことを謝りもせず手に持った新聞をためすすがめつしながら上へとあがっていった。"あの男"はいつもの席に座り、居眠りを始めた。
 何だ……やっぱり考え過ぎだったんだな。
 フォルザイルは酒のせいか軽い頭痛と吐き気を覚えた。普段はあまり酒は飲まない、しかしここまで弱かった覚えはない。朦朧とする意識の中、フォルザイルはおかしな考えが頭の中を駆け巡るのを感じた。
そういえば、普段飲まないのになぜ今日は飲んだのだろうか……いや、今日は普段ではない、何せトスキールが勝った、今日勝ったわけではないだろうが新聞で伝えられた……もし今日という日が定められていたとしたら今日は普段ではないと言えるのだろうか。運命、いや宿命は普段である。
 この不自然な思考を前に、フォルザイルは自らの意識がぐらつき、ゆっくりと消え去っていくのを黙って受け入れるしかなかった。


 どうやら兄弟だ。誰かがそう言うのが聞こえた。気になって目を開けてみると、開け放たれた部屋の窓の外に向かってヴェルセン人の男が話していた。窓からは冷えた風が吹き込んでいた。
「誰のことだ?」
 こちらを向いたヴェルセン人は無言で、フォルザイルの両隣で直に床で眠っている二人の男性を指さした。一人は王国南東部の顔立ちをした男で、もう一人は、これは明らかにノメイル人だった。
「なぜこいつらが兄弟なんだ?」
「違う」
「何が違うんだ。こいつらは兄弟じゃないのか」
「お前も、」ヴェルセン人が言った。「兄弟だ」
「俺には兄弟はいない」
「だが兄弟だ」
 フォルザイルは冷たい石の床から立ち上がった。「なぜ兄弟なんだ? こいつらの顔は初めて見た。なぜお前は兄弟だと言うんだ?」
 しかしヴェルセン人は答えなかった。
「俺には兄弟はいない」フォルザイルは繰り返した。
「だが兄弟だ」
「なぜだ」
「この二人は死ぬ。そしてすぐに」
「すぐに?」
「すぐに」
「すぐに何なんだ」
 しかしヴェルセン人は口を閉ざしたままだった。
「何なんだ」フォルザイルはもう一度言った。だが男の口からは恐ろしい笑いしか漏れてこなかった。フォルザイルは手元に刃物があるのを感知した。暗闇から囁いてくる本能に従い、フォルザイルは男の喉元に鋭利な刃物を突き立てた。しかし男はますます激しく笑い続けた――――


「おい、起きろ、どうした、すっかり酔いつぶれちまって」誰かがフォルザイルに話し掛けていた。
「おい、起きろったら! ジルカだよ、……何寝ぼけたこと言ってるんだ。ヴェルセン人なんかこんな所には来やしないよ、お前、体調でも悪いんじゃないのか。この水を飲めよ、目を覚ませ」
「別にいい」フォルザイルは呻いた。
「いいことなんかあるもんか」
「飲めばいいんだろ」フォルザイルはジルカの持ってきたコップを一息に呷った。「で、何の用なんだ」
「何の用も糞もあるか、フォルザイル、あんたがここに呼んだんだろう」
「ああそうだったか、済まない、すっかり失念していたよ……ところで、見張りの仕事はいつ頃まで続きそうなんだ」
「あと五日……いや、四日だ、四日で終わる。ここ最近は何も近くを通らないし、怪しいことも起こらない。全く平和なものだよ。しかし商船の一隻でも通らないものかね。町は寂れていくばかりじゃないか。流通は全てゾール港経由だろう? あれがいけないんだよ。物資が全部トルカに集中するんだ。コルトのことも少しは考えて貰わなくちゃな。こんなんで、果たしてソロント議会は機能しているんだろうか……そういえば、お前にやった新聞はどうしたんだ?」
「読み終わったからギャムディにあげたよ」
「それだから何も得できないでいるんだろう、売って金にすれば良かったのにさ、あんたの悪い癖だ」
 フォルザイルはジルカを無視した。一度退いた頭痛と吐き気が、さっきよりひどくなってフォルザイルに襲いかかっていた。
 ジルカは頭を抑えるフォルザイルを見て言った。「どうした、やっぱり体調が悪いんじゃないのか――いつまでもこんな薄汚い所にいたりしないで、今日は家に帰ってゆっくり休んどけ。俺が見舞いに行ってやるからさ、な」
「大丈夫だ」フォルザイルはジルカを制した。
「何が大丈夫なもんか、顔色が悪いぞ」ジルカはフォルザイルの蒼白な顔に目を遣った。フォルザイルは叫んだ。「大丈夫だ!」
 ジルカはフォルザイルの剣幕に押され黙り込んだ。
「頼む、放っておいてくれ」ジルカは顔をひそめ、黙って店の外に出ていった。
 全く、あいつの言う通りだ……きっと風邪でもひいたんだ。それで少し飲んだだけで気分が悪くなったんだな。今日は早めにここから退散しよう。
 フォルザイルはテーブルにコインを一フスコ一枚だけを置いた。余分に二十八ヘライカを払うことになるが、正確な代金を数えるのも面倒だった。油分で汚れきった赤茶色の一フスコ硬貨がランプの光を受け、鈍い光を放っていた。
 フォルザイルは席を立ち、上へと続く階段へ向かった。ふと振り返ると、"あの男"がこっちをじっと見つめていた。フォルザイルは気がつかない振りをして地上階に上がった。階段の上では先程酒場を出たギャムディが立ち止まって新聞を読み耽っていた。ギャムディが目を上げ、ふと口を開いた。
「やあフォルザイル、お前幽霊とかは信じるのか?」
「うるさい」フォルザイルは思いがけず発せられた問いかけを撥ね除けた。
「そう言うな、何にそう苛ついているんだ?」
「別に。体調が優れないだけだ」
「そうか、それじゃ悪かったな、早く家に帰って休みな」
「……なぜ幽霊のことを訊いたんだ?」フォルザイルは異常な興味に急に捉えられ言った。
「くだらない話だぞ、この新聞に出てるやつだよ……ほら、ワスロルとかいう人の話、あったじゃないか。それより帰った方が良いんじゃないか」
「いや、その話を聞きたい。それで、何でワスロルが幽霊と関係があるんだ」
「ワスロルってのはさ、人は死ぬために生きるって言ってたろう」
「生きるために死ぬ、だろう」フォルザイルはギャムディの間違いを指摘した。ギャムディは幾分か面食らった顔をした。
「ああ……そうだった。生きるために死ぬ、だったな。どうも最近言葉をよく取り違えるんだ。どういうことかな、この前も、町長の前で恥をかいたんだ。本当に、どうしようもないまるっきり小さなことだったんだがね。そのとき俺はな、町長に『どうして町長殿はいつもあなたの弟の方にばかり気が行ってしまって、双子の兄に対しては無関心でいられるのですか、兄を大切になさった方が、我々にとっても得なんですから。ナレウの町の出身だからといって、トルカを無視する手はないですよ』と、こう提案する手筈になってたんだ。まるっきり小さいのさ! なぜって、トルカをあの町長の出身地にして、ナレウを町長に無視させちまった! 真逆にしてしまったんだ。それですっかり言ってしまってからも間違いには気付かずに、暫くの間いとも真剣な顔で町長の困惑しきった顔をじっと見つめていたんだから、これが喜劇な訳だ、端から見ればとんだ喜劇なのさね。それでな、俺の隣にはあのいけすかない商人の野郎がいて、町長が丁度いなくなった頃を見計らって、俺のほんの小さな間違いを指摘したんだ。これはもう赤っ恥だ、大きな恥だ。小さい間違いで大きな恥をかいちまったんだ。わかるか、フォルザイル、この恥ってのが。恥は別に間違えたことじゃない、それは違う、指摘されたってことだ。それもあの商人に。わかるか、フォルザイル」
「それで、幽霊はどうなったんだ」フォルザイルは言った。
「幽霊? ああ、その話か。死ぬために生きる、いや違った、生きるために死ぬ、だ。どういうことなんだろうな。ようくこれを読めばわかるんだろうが(そう言ってギャムディは新聞のその話題が書いてある部分を指し示した)。生きるために死ぬんじゃあ本末転倒だと思わないか? 人間、死んでしまったら普通は生き返れないだろう、だったら生きるために死ぬ意味がないじゃないか。でな、実はここからが本題だ。こんなこと、誰にだってわかりきったことなのに、なぜあえてワスロルはそんなことを言ったのか。ここで、ワスロルは幽霊の存在を信じてたっていう仮定をするとだな、ちゃんときれいに説明がつくんだ。というのは、幽霊がいるってことになれば、死んでも生きることが出来るし、幽霊になってしまえばもう死なずに生きることが出来る。だから、ワスロルは生きるために死ぬって言うことで、幽霊は存在する、と言ったことにもなるんだ。どうだい、この考えは? なかなか独創的だろう?」
「なるほどあんたのその考えは独創性に満ちている、だがやっぱり間違ってる。生きるために死ぬってのは、自己主張をするってためにだ、そのために何も主張しないっていうことだよ」フォルザイルは真面目な顔で言ってのけた。
「一体どういうことだ? 説明してくれよ」
「言ってもあんたにはわかりっこないさ」フォルザイルはそう言い残して立ち去った。
 むさ苦しいギャムディ亭の外も土煙に汚れた空気がよどんでいた。

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