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彼等は反逆し得るか? (kankisis) 完
 ボロカニルトム オール山地 CWF生物学B‐1研究所
 ジャック・ピーテル‐ギュスターヴ・バニングは何事にも動じない、いや、動じようとしない男だ、と自分ではそう思っていた。事実は本当でないにしろ自分ではそう思っていた。そりゃ《神々の黄昏》を乗り越えたんだ、あれ以上のことはそうそうあるもんかと腹をくくっていたのだ、しかしローゲン帝国が久し振りに動き出したと連絡が来たときはこの研究所ももう終わりかと落胆してしまった。トグレア連邦の残党は比較的健闘しているという話だったが、更に上層部から退避命令が下されたと知ったときには絶望にも似た気分を味わった。この研究所は曲がりなりにも自分の家だ。長年ここに住んできたのだ。心の拠り所は、そう簡単に捨て去れるものではない。
 だがここに居座って、王国が帝国に染まって行く中研究は続けられない。研究の為の研究員が研究できないのであれば、施設を維持する意味もないし、ここに居座る必要もない。懐かしき同僚はそう言っていた。バニングは、ここを捨てた後また研究所に戻って来れる事をあてにしていたが、しかし受け取った避難勧告の文面を読む限り、それは不可能だろうと言う事は誰にでも理解できる事実だった。
 時間がない。あと五日でオール山地の麓に降りていかないといけない。
 バニングは途中で終わってしまっていた荷支度を再び始めた。護身用の銃(これは野生の生物に襲われた時に使う)、一週間分の食糧、ネーズル王国の貨幣フスコ、それに愛読書の「カラマーゾフの兄弟」……。
 転回機を完全にシャットダウンし、解体しなければならない。一瞬だけ、解体せずにそのまま爆破して事を済ませようという考えがバニングの脳裏をよぎったが、それだけは思い留まる事にした。バニングは隣の転回室へ向かった。
 制御盤に手を伸ばしたとき、バニングは転回機が作動しているのに気が付いた。薄暗い部屋の中で、赤っぽいランプが点灯している。一昨日から使用停止になっている筈の転回機がなぜ今も動いているのか、バニングには見当も付かなかった。向こうからは何も送ってこない筈だ。
 バニングは転回機の隔壁に近づいた。頭上のモニターで転回機の内部を確認する。明らかに何かが送られて来ている徴候が見られた。ぼうっとした光が小部屋の中に現れ、それは次第にはっきりとした形を取りつつあった。バニングは無意識に銃を堅く握り締めた。
 再度モニターを覗き込む。転回された物体はまだ少しだけ光を放っていた。これまで幾度も転回を見てきた目が、あれは人だと言っていた。今日誰かが送られてくるなどという連絡は受けていない。電源を切れ、解体しろと指示されたのに、向こうから誰かが送られて来た。これは連絡時のミスなのだろうか。
 片方の転回機が完全に動作していない状態で転回を行おうとすればどうなるか。以前に一度だけ、生体研究主任兼生物学研究所西部地域統括責任者のクロード・ピークに聞いたことがある。その時バニングとピークは、オール山地の東、ネーズル王国の主要都市ロントとソロントの中間に位置するコンの酒場で、生物学B‐1研究所、通称オール山地研究所の今後の運営について話し合っていた。
「転回機は二つが同時刻に正常に動作していないと、対象物体も正常に転回できないよな?」コップに入った水を一口飲み、バニングは訊いた。
「それがどうした?」書類を手元でまとめながらピークが言った。
「いや、な、もしそうなったとしたらどうなるのか、唯気になってな……いや、唯気になったってだけだ、そんなに気にしないでくれよ、頼む」バニングは少しうろたえたような声で言った。「気にしないでくれ」と言わなかったところで、どうせ彼は無視するだろうとも思った。
「消える、」少し経った後、ピークが一言だけ言った。「消えるんだよ」ピークは繰り返した。バニングは、ピークからある種の回答を得た事を意外に思って、そして訊いた。
「対象物がか?」
「そうだ」
「どこかに行ってしまうって事か? それは……その、消えるってのは?」
「いや、どこにも行かない。唯消える、それだけの事だ」
「全く訳がわからんな、いや、もう何があっても驚きはしないが」
「これはあくまでも、訳のわからん理論屋の言った事だ」そして、嘘をつく時の笑みを浮かべてピークは繋いだ。「実際にそれが確認された事例はないし、これから実験されることもないだろうよ」
 あの頃はまだ、研究所に何人かの研究員が残っていた。だが彼等も、すぐにオール山地研究所から、カランドルスの何という砂漠だったか、とある砂漠の中心部にある別の研究所に移動する事になっていた。ピークとの会合では、研究所の配員は管理人のバニング唯一人に減らされると決定された。実際の所それは前々から決まっていたらしかった。だがそれはいつもの事かつ実際どうでもいい事で、一人が何の意味もなく研究所を維持するという無駄の今までずっと黙殺されて来たのだと言う事が、バニングの旧友のセオドール・ワルターの意見だった。バニングはあの会合の時から、誰かが何の目的もなく訪ねてきた時以外ずっと一人でこの研究所に寝起きしてきたのだ。
 転回機中の人影が、随分と明瞭な形を帯びてきた。その手は銃を持っている。バニングは緊張を解かず、より一層の集中を以て画面を注視した。モニターの端には、共通語で「残り6・28%」と表示されている。
 バニングは数字の減っていくのを、落ち着かない心境で見守った。
 暫くして、モニターの「完了」という大きな青い文字が点滅する中、ゆっくりと転回機の隔壁が自動で開いた。
 バニングは銃をしっかりと構え、転回機の中に意を決して踏み込んだ。中には日本人と思しき男が立っていた。彼を日本人と踏んだバニングは英語と片言の日本語、そして無意識の内に共通語で叫んだ。
「動くな!」
 銃を片手にだらりと持った男は表情を変えた。
「CWFか?」男がだらだらと口を開いた。
日本人が共通語を話せる事を確認して、バニングは手に構えた銃で彼の持つ銃を指し示した。「まずはその銃を下ろすんだ」
 男の中では、銃を下ろすべきかそのまま持っているべきかという葛藤が生まれたようだった。転回の後遺症が出ているようだった。最終的に日本人は苦しげな表情を浮かべつつ、持っていた銃を床に放り出した。
「ここはどこだ? どうなってるんだ? どうして俺は……くそ! 何が起きたんだ」困惑した男の口から言葉が迸り出た。
 この男は事故でこっちに来たのか? そうだとしたのならばあっちで何があった? 日本人で共通語がわかり、それに銃も持っている。今CWFに所属している日本人は数える程しかいない。彼はその中に入る者ではないだろう。ならば明らかに日本政府の戦闘要員だろう。《神々の黄昏》で日本の戦闘員は三分の一以下に減ってしまった。その一部は今でも、引き続き日本政府の戦闘員として働いているとピークに聞いた。
「おい、お前、さっきまで何をしてたんだ」バニングは見知らぬ日本人に問い掛けた。
「任務だよ……本当にあんたら――」バニングの視界の端に急激に動く何かが映った。「――CWFなのか? じゃあ……」鈍い音がし、日本人の発した声は途中で遮られた。男は床に崩れ落ちた。
「おいマット、どうしてここにいるんだ」
 バニングは反射的に左に向けた銃を下ろしながら言った。彼の横では、背の少し高い人物が床に倒れている男をまじまじと見つめていた。
 マットと呼ばれた男はバニングに聞こえるか聞こえないかといった位の声で、ぼそりと、「不思議なこともあるもんだな」と呟いた。
「俺はソロント担当だ。ロバースヘ行くにはここが近道だ」
「……ああ、それは知ってるが別にここに寄らなくても良かっただろうに。俺はとっくにここを出発していてもおかしくなかったんだぞ。それとも俺に何か用でもあったのか?」
「いや特に。気が向いただけだ」マットが言った。
「それよりだ、急に出てきてなぜこいつを気絶させたんだ?」
「こいつ、後遺症が出ていた。何をしでかすかわかったもんじゃない」彼は気絶して倒れている男から目を引き剥がし、転回機の計器類をぼんやりとした、それでいてじっくりと調べつくすような目で眺めながら言った。
「で、どうするんだ、マット」
「ん?」マット不意に鋭い目をバニングに向けた。
「こいつだよ、このまま放っておく訳にはいかないだろうが」
「寝かしとけばいいさ」そう言うとマットは転回室から出て行こうとした。
「おいマット、どこへ行く気だ」
「ロバースに。向こうの転回機、故障しているぞ」
「それにはとっくに気付いていたさ!」
 マットはまたもや出て行く素振りを見せた。
「おい! 俺を置いて行くことはないだろう!」しかし彼は何も言わずに出て行った。
 くそ、俺一人であれの世話をしろって言うのか。バニングは日本人をどうするべきか思案した。この転回機で送り返してやろうか。しかし向こう側の転回機はマットの指摘した通り壊れている。計器類がそれを指し示していた。大体彼の言う事は何でも正しい、それは経験上確かだった。しかしあの日本人、一体どうしたらいいのだろうか。マットは全く役に立たない。仕方がない、ピークに連絡してみるか。
 バニングはまだ気絶している男をちらりと見、少しの間考え彼を一息に担ぎ上げた。普段生活している部屋――バニングは単純に、何の捻りもなく「リビング」と呼んでいた――に行き、取り敢えず男をソファに仰向けにして寝かせた。
 「リビング」のテーブルの隅に立て掛けてある無線機は、使い始めてからもう六年になる。バニングはさっとそれを手に取った。一瞬の後彼はそれさえもが壊れている事に気が付いた。さっき確認した時はまだ使えた筈だ……周りを良く見回すと、直しに倉庫に行ってみようとも思ったが、修理用の部品も切らしてしまっているということに思い当たり、彼は酷く落胆した。くそ、これじゃどうしようもないじゃないか。バニングは一人、悪態をついた。


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