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彼等は反逆し得るか? (kankisis) 完
 サンドリケイシス ディルツ=シュプルグムント・マイヘン村
 ネーズル王国東部のサンドリケイシスにトスキール軍勝利の知らせが届いたのは神暦一〇〇九年十月初め、もうこの辺りが雨期に入ろうというところであった。半ば遊牧民であるサンドリケイシス人にとって、家畜の食べるケタルと呼ばれる牧草が伸びるこの時期は、非常に喜ばしい時であると同時に神聖な時でもあると見なされていた。
 彼ら――自らの信仰に忠実なサンドリケイシス人――は雨期に入る直前の一週間、断食祭を行った。オヌト氏族の有力な家の一つであるユヴュルク家の三男ナニウォス・ヒデオユはその断食祭における重要な役割である“ゲヌズ”に伝統的な選出方法であるくじによって選び出された。そしてナニウォスは誇りを持ち、喜んでゲヌズという重大な役割を引き受けたのだった。十月二日、祭祀係のキテウクはナニウォスの家を訪ね、ナニウォスに夕方の東広場に来るようにという指示を伝えた。
 キテウクの指示通りナニウォスは東広場へ向かった。マイヘンの村の中心を貫くように走るバスキ通りを東へずっと歩いていくと、古びて傾き、錆に一面覆われた小さな門が彼を迎え入れるように開いていた。門の手前からは充分な手入れがされずに雑草がぼうぼうに生えてしまっている四角い形状をした広場を覗くことが出来た。
 東広場の中央にはナニウォスの父親のケルトフと村の首長のドラム・ベンデレ、家畜管理人の一人ミルテン、それに祭祀係キテウクが集まっていた。ドラムを真中に挟み、ナニウォスから見て右側にキテウクが、左側に体の大きいミルテンが、そして彼らとは少し離れた位置に父ケルトフが立っていた。広場の北西の隅では痩せて筋張った赤顔の家畜管理人ディエツカが何かの作業を一生懸命にしていた。
「よし、あと一人だ」
 門をくぐり広場に足を踏み入れたナニウォスを目にした、ほとんど常に飾りを最小限に抑え軽装でいるドラムが言った。
「あと一人って誰のことですか?」ナニウォスは村の首長や祭祀係に礼をしてから父親に訊ねた。
「すぐにわかるさ」
 それを生やしている者が高い地位にいるということを見ている者に示す、ビストという臭い消しにもなる特別な染料で青く染められた短い顎髭を笑みを浮かべつつ左手でゆっくりと撫でながらケルトフは答えた。
 事実それはすぐにわかった。唯その最後の一人はケルトフらが考えていたのとは全く正反対の、南側の日によく当たり雑草が高く生い茂っている、東広場の中でも特に荒れ果てた方向から音をほとんど立てずにやって来た。
「やあ、父さん、ミルテン。首長殿、お久し振りです、それに祭祀係殿も」南側から現れた彼はここまで一気に言うと、祭祀係の後ろに立っていたナニウォスに気付いた。「ああ、ナニウォス! 元気でいたか?」
 後ろから突然声を掛け皆を振り向かせた人物はそれぞれに話し掛けると同時に忙しく握手をして回り、ナニウォスを両手で力強く抱きしめた。
「南東の門から来るとは思ってなかったぞ、ミエルク」
 声を上げて明るく笑いながらケルトフが後ろから話し掛けた。
 ミエルクと呼ばれた青年はナニウォスを抱きしめていた手を離し、彼の父親のケルトフの方を振り向いて言った。
「急に記録者の仕事が入ってね。南方のアセムトリトンでちょっとした問題が発生したんだ。後でゆっくり話すよ」
「それで、いつまでここにいられるんだ? 記録者というのはなかなか忙しいものなんだろう?」ケルトフが訊ねた。
「何も起きなければ、少なくともここの断食祭が終わるまではいられますよ、父さん」そう言うとミエルクはナニウォスをちらりと見た。視線がナニウォスの後ろの首に注がれた。
「もしかして今年のゲヌズはナニウォスなのか?」ミエルクはじっとナニウォスの首を見つめながら言った。
 比較的小柄なドラムが優しく頷いた。ケルトフは答えた。
「そうさ、我らが誇れる息子ナニウォスはあのゲヌズに選ばれたんだ、これ程に名誉なことはない!」
「ああ、最高だ、こんなに名誉なことは滅多にないぞ! ナニウォス、これは大いに喜ぶべきことだぞ! そうじゃないか、ナニウォス?」ミエルクは顔を輝かせて言った。
「ええ、それ位、わかっていますよ」ナニウォスは兄のミエルクに言葉を返したあと、自らの父親に訊ね掛けた。「ところで父さん、なぜ僕はここに呼び出されたんですか? まさか僕を兄さんに会わせるためだけじゃないでしょう!」
 その頃、首長のドラム・ベンデレと祭祀係のキテウク、それに家畜管理人のミルテンの三人は何かの準備をしているミルテンと同じ家畜管理人のディエツカを手伝いに、地面に雑草の生えた広場の片隅に消えていた。
「相変わらず勘がいいな、お前は」ケルトフが言った。「首長殿からこのあとゲヌズのする仕事の詳細を聞かされる筈だ。まだ準備に時間がかかるからそれが終わるまでミエルクと積もる話でもして時間を潰していなさい。私は首長殿を手伝ってくる」言い終わると父親のケルトフは作業をしているドラム達のところへ歩いていった。
「さて、まず何を話そうか」ミエルクはナニウォスの方に向き直って言った。久し振りに再会した兄弟は、一年振りに互いに向き合った。
「何でも、兄さんの思うように」ナニウォスは言った。
「じゃあ、まずは俺が一年前マイヘンに寄ってから何があったのか、出来るだけたくさん話して貰おうか」ミエルクは何もかもが知りたくて我慢がならないというような表情で言った。
「もしかしたら兄さんもこのことは知っているかもしれません、兄さんがこの前マイヘンの村を発った一ヶ月後、ワスロル長老が急な病で倒れ、亡くなられました」ナニウォスは言った。
「ああ、その話は聞いたよ。偉いお方だった、優れた考えをお持ちだった!」ミエルクは一気に喋り出した。「その名は遠くサンドリケイシスの外、ボロカニルトムのロバースにまで知られていたんだ。何やらサンドリケイシスの南部に少し変わった人がいるらしい、それもものすごく優れた人物がいるらしいってな。その死の噂はゆっくりと、沼の静かな水に小石を投げ込んだときに出来る波紋のように、国中に広まっていったんだよ。俺がそれを聞いたのは、丁度お亡くなりになってから一ヶ月後、ネーズル王国がディヌルサーク、すぐ南のアセムトリトン、レービスの二国一自治州をトグレア連邦から合意併合したばかりの頃だった。すぐにでもマイヘンに飛んでいきたかったんだがな(実際、荷支度まで終わらせたんだ……まあ、荷支度とは言ってもそんなに荷物はなかったんだ)、他の記録者がうんと言わなかった。人手が足りなくなるって言うんだよ。そりゃあ王国の範囲が相当広くなったんだ、仕方がないさ。仕方がない。だからな、代わりに仲間に自慢してやったよ。俺はそのワスロル長老を知っている、彼と話したこともある、だって同じ村に住んでいたんだからってなあ!」
 ミエルクが息継ぎのために少し言葉を切ったそのとき、広場の隅からナニウォスら兄弟二人を呼ぶ声が聞こえてきた。ミエルクは大人しくそのまま口を閉じた。ナニウォスが促した。
「さあ、行きましょう、父さんの所へ」
 彼らが振り返ると、キテウクが額に汗を浮かべ、派手な色彩が特徴のゲヌズの衣装を家畜管理人の手を借りて三人がかりで捧げ持っていた。毎年祭りのときに使われる頑丈な革で出来た衣装は、やや深みのあるくすみのかかった青い地の上に鮮やかな赤や緑、黄の筋が複雑に絡み合い、家畜の毛で作られた房が袖から大量にぶら下がっていた。
「さあ、まずはこれを着て。君の体格ならぴったりの筈だから」キテウクが言った。
 ナニウォスは自らキテウクに近づいた。キテウクとミルテン、ディエツカの手助けを得ながら何とか袖は通した。しかし房の垂れ下がった紐を昔からの方法通りに結び合わせることが出来ない。父親と首長の助けも借りて六人がかりでの十分間の小さな格闘の後、ナニウォスは衣装を完璧に着ることが出来た。ナニウォス達が伝統ある衣装に苦戦している間、ミエルクはずっと紙に記録をとっていた。
 一息つき、首長が話し始めた。屈強な家畜の管理人達は、広場から自らの本来の仕事場である家畜小屋へと去っていった。
「ナニウォス、ゲヌズの役割とはどういうものか、それを教えるために君をこの広場に呼んだ。いわばこの説明自体も一種の儀式のようなものだ。これは昔から続けられてきたものだ。十月二日、祭祀係が夕方の東広場にゲヌズを呼ぶ。そこには身内が二人と祭祀係一人、村の首長、選ばれた家畜管理人二人がいて衣装の大きさを調整している。ゲヌズが身内と話している間に調整を終え、ゲヌズに衣装を着せる。家畜管理人が広場から去り、そして首長がゲヌズの役割を本人に説明する……しきたり通り、今年も上手く、無事に、断食祭を終えられそうだな……まあ今回はちょっと特殊で、変わっているが(ドラムはそう言って、ずっと記録をとっているミエルクをちらと見た)。そう、ゲヌズの役割を説明せねばならん。そもそもゲヌズとは我々の祖先の古い言葉で『山に住む者』という意味で、これは何百年も前から伝わる話が起源となっている。無論、何百年もの昔の話、多少の尾ひれが付いているとは思うがね……『グレニス・トゥロ』の話は知っているだろう? 母親が子供に話して聞かせる物語だ、大人になるまでに一度は皆聞かされる。その物語の中に、名前のない男が出てきただろう? 大きな山の腹に小さくて粗末な小屋を建てて独りで生活を営んでいた男だ。その男は毎年雨期に入る前の一週間、住まいから山頂へ移動してそこにある本当に小さな洞窟に籠もり、湧き水しか飲まずに食を断った。毎年のことだ。彼は当時の村人の間では良く知られていたが、その理由が、つまり意味もないのにわざわざ山頂まで行って何も食べずにご苦労さん、という訳なんだ。その男は水しか飲んでいないのに全く痩せ細らずに毎年戻って来たとか、それよりむしろ肉が付いて体格が良くなって戻ったとか一年ごとに若くなったとか――各家によって色々話はあるが、それはこの話には、さほど関係がない……唯、男が一週間食を断ったということが断食祭の起源だが、そこでゲヌズの成り立ちに戻る、ここからはこの広場にいる我々と歴代のゲヌズしか知らない話だ。つまりこれから言う話は関係のない者には話してはいけないということだ、いいな? 暫くして名前のない男が年をとって死んだ後、毎年山から鳥の怪物が下って来て下の村々を荒らすようになった。人々は困った。その頃は村の外にも、平原の外にも同じような生き物に悩まされている民族がたくさんあった。それでそれぞれの民族が協力し合って退治することになったんだ。協力し合って無事怪物を退治することに成功した我々の先祖達は、毎年名のない男の代わりとして丁度君みたいな年齢の、身分の高い家柄の男性を山に登らせて三日の間だけ山頂の洞窟に籠もらせることにした。これが今で言う『山に住む者』、つまりゲヌズという訳だ。ゲヌズは断食祭の五日目に、定められた衣装を着てこの広場の丁度反対側にある西広場から祭祀係と身内各一人ずつを従えて出て行く――もちろんそれは知っているだろうが、さあナニウォスよ、ここからが大事な話だ――さて、ゲヌズを送り出して村人達が騒いでいる間、君達は川を渡って真っ直ぐ西へ向かって歩いていく。疲れてへとへとになりながらも、暫く歩いていくと見えるのが……」
「レービスの火山ですね」ナニウォスが遮るようにして言った。
「うん、まあ、そういうことだ」ドラムは少々困惑した体で言った。「つまり……そう、レービス火山だ」
その時突然ミエルクが口を挟んできた。「首長殿? つまり、僕の弟は火山の頂にある洞で過ごすことになる、そうですね?」
「まあ――言うなればそういうことだ」ドラムは言った。「ナニウォス、そういうことだ、口外は禁物だぞ」
「さて、ドラム、私と息子達はもう帰ってもいいのかな? 妻と娘が家で待ち侘びているのでね……同朋の勝利を家族で祝おうと思っているもんで」ケルトフが訊ねた。
「ええ、もう」しかしドラムではなく、祭祀係キテウクが答えを返した。祭祀係と首長はナニウォスが着ていた衣装を脱がせた。「衣装は私が預かっておきます」
「さあ、帰ることとしよう、ミエルク、ナニウォス。旨い夕食が待っているぞ」ケルトフが兄弟に呼びかけた。
 もう日が落ちてすっかり暗くなったバスキ通りを三人で歩いている最中、ナニウォスは物思いに耽った。
そうか、レービスか。だからゲヌズ――山に住む者……そういうことか! それにしても、レービスの方には行ったことがなかったな……。そう言えば、トスキール軍が勝利したって! これじゃ帝国の軍を撃破することも夢じゃないな、何てこった、まだ、可能性は残っていた……湿って虫の蠢く真っ黒な地面に埋まりかけていた、葉の先端のほんの少しの、本当に少しの部分が、トスキールの誰かに掘り起こされたんだ――可能性ってのは馬鹿に出来そうもないぞ! 全く! 撃破も夢じゃないな、夢じゃない……

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