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羽那陀(禮晶)完

茶色く濁った水が恐ろしい勢いで流れている。
流れに飲み込まれてしまった家々の屋根が僅かにその天辺を濁流の上に覗かせているばかりだ。
すぐ足の下までに死が迫って来ていると言うのに、羽那陀は自分でも驚く程、恐怖を感じなかった。
それは、寄り合いから帰って来た父親が真っ青な顔色で己が生け贄にされる事を告げた時もであり、泣き崩れている母親の傍らで羽那陀は実に淡々と自分の『理不尽な』死を受け入れたものである。
(籤…か)
以前何処かの国の将軍を籤で決めた事があったと聞いた事があるがそれとは雲泥の差がある。
その将軍に選ばれた人物は何を思ったのだろうか。
己の様に感情が麻痺して恐怖すら感じなかったりする事もあったのだろうか…?
生け贄にされた者にまつわる伝承などはそれこそ世間に掃いて捨てる程ある。目新しさは全く無い。
だが、まさか自分がそうなるとは思わなかった……
(十五まで生きられた分、運が良いって事かな)
この辺りは何処も貧しい寒村で、生まれる子供でちゃんと成人出来るのは五、六人に一人位である。
後は五つの誕生日を前にして死んでしまうのだ。
それを考えれば十五まで生きていた自分はかなり長命であると言えなくもないかもしれない。
いつの間にか皆の唱える経文が止んでいた。
「さぁ、羽那陀…」
郷長が遠慮がちに声をかけてきた。
皆の同情の視線。母親の泣き崩れる声。
足下には茶色く濁り激しく渦を巻く流れ。
(運が、良い方だったんだ)
もう一度だけ自分へと言い聞かせる様に羽那陀は心の中で呟き、激流にその身を投じた………


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あきゅろす。
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