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君の一歩、僕の一歩

 眠っているのに意識はあったような気がしていた。
 目を覚ますと三橋が先に起きていて、おはよ う、なんて言ってきたけど夕日に照らされたその笑顔は無理に作っているとした思えなかった。
 引き攣る笑顔、合わない目線、腫れぼったい瞼。
 ああ、やっぱり気のせいなんかじゃなかった。声を押し殺してすすり泣く声がすぐ近くからずっと聞こえていたんだ。

「三球!」
 阿部の声に頷いてからセットポジションに入り、大きく口を開けたミット目掛け三橋は振りかぶった。ミットに響くお世辞にも良いとは言えないその出来に、阿部はマスクを外しスク、と立ち上がる。
「…っ」
 自覚しているのだろう、三橋は咄嗟にグローブで顔を覆い隠し、近付く砂を蹴る音に肩を震わせていた。近付くだけでこの反応、いつもに増して酷いのではないか、阿部は引き攣りながらもできるだけビビらせないよう唇の端を上げてみた。
「おい、言い訳あンなら言ってみな」
 我ながら言い方と笑顔のミスマッチに案の定、三橋は小さく悲鳴を上げ一歩下がった。三橋の過剰ともとれる態度に反射的に苛立ってしまう。これではまともな会話が生まれるわけもなく、ジリジリと間合いを詰めては結果としてさらに三橋を青く染めるのだった。
「…っ、言いたいことはハッキリ言え!」
 怯えさせたいわけじゃない、こんな顔、させたいわけじゃない、思いとは裏腹に口をついて出る大きな声。うまく制御できない自分がこんなにも腹立たしく思えるのは目の前で怯えている元凶のせいなのだろう。
「……て、言ったら…き、嫌われる…っ」
 やっとのことで声を振り絞った三橋はなぜか一人傷付いたような表情を浮かべ、帽子を目元まで深くかぶり直した。まるで阿部との間に壁を作るかのように。
「あほか…。お前がオレを嫌うことはあっても、オレがお前を嫌うことはねンだよ…」
「ぇ…?」
 思わず口に出てしまった言葉は聞き取るには小さすぎて幸か不幸か三橋には届かず、その代わりに俯いていた顔を上げさせた。なに…?、と縋るような目を向ける三橋に気付かれないよう少量のため息をつき、今度は阿部が俯く。
「……んでもねェ」
 三橋を好きだと自覚してからもそれを表沙汰に出すことはなかった。冷静に考えてもみろ、どうあってもどうにかなる関係ではないのだ。男同士だからという問題ではない、三橋が阿部に同じような気持ちを持つことがまず有り得ない。
 目線が合えばすぐに逸らす、押し黙る、なにかと怯える、こんなヤツが万が一にも同じ想いを持っていたとしたらあまりにも自分が不憫すぎるのではないか。
 どうにかなりたいわけじゃない、こうしてバッテリーを組んでいるだけでいい。なのに、なんで、どうして今日は三橋の一挙一動に傷つくのだろう。
「…オレ、なんかしたか?ここんとこお前おかしいだろ」
「……し…してな い」
 じゃあなんで!、と思わず口に出そうになるのをグッと堪えた。三橋はなにか言いたそうな顔を見せたがすぐに口をキュっと結んで俯き、オレが悪いんだ、とだけ掠れた声で言った。
 目の前で震えているこの頭を撫でたいのか殴りたいのか正直微妙なところで、つい一週間前までは無防備なやわらかい笑顔を見せていてくれたことを思うとやるせない気持ちでいっぱいになる。
「…とにかく、オレに言えねンなら他のヤツに言ってこい。そうやって一人でグルグルされてんのが一番困っからよ」
 三橋の返事を待たずにブルペンから出た。後ろからすすり泣くような息遣いがしたが聞こえないフリをする。そうやっていつも一人で泣いて、気付かないとでも思っているのか。ズルいんだよ、これ以上入り込めないのにそうしたいと思わせる仕草が。

「あれ、ブルペンは?」
 ベンチでレガースを外していると、マメが潰れたと花井がバンドエイドを貼りに入ってきた。
「エースがノリ気じゃねェからやめた」
「やめたって…お前ね」
 どうせいつものしょーもねェ理由だろ、と軽く返した花井は、レガースを外し終え顔を上げた阿部を見た途端このタイミングで潰れたマメを恨んだ。しかしそこで逃げようとしないのがさすが花井といったところ。
「……大丈夫か、お前」
「なにが?」
 花井の質問にさも普通に返す。これは虚勢かそうでないのか、どちらにせよは重症だな、と言わんばかりにどうしたものかと花井は額を押さえた。人に見られたくないものだろうと花井は阿部から視線を外し、言い辛そうに咳払いをひとつ、同時に持っていたタオルを阿部にほおった。
「…今にも泣きそうなツラ、してんぞ」
「………気のせいだろ」
 ならその顔を覆ったタオルはなんだ、とツッコみたくなったが状況から考えてやめた。そのまま阿部から少し離れた位置に腰を下ろす。
 サワサワと入ってくる風が火照った肌に気持ちいい。目を閉じるとここがグラウンドだということを忘れてしまいそうになった。
「…はない」
「んー?」
「オレ、三橋が好きだ」
「……知ってンよ」
「…ならいい」
 別に花井に伝えておきたかったわけではない。着地点の見えない想いを口に出してしまわないと心が折れてしまいそうだったから。
 熱くなった目頭に自分の涙で湿ったタオルと花井との距離が適度な安心感を与えてくれていた。




(08/03.07)
苦悩する阿部



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