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平行線上

 HRが終わると一年の廊下は一斉に騒がしくなり、ほとんどの生徒が部活動へと駆ける中、阿部は特に急ぐ素振りもなく廊下の端にある1組に向かって歩いていた。
 今日は週に一回のミーティングのみの日。この日になると田島は、練習してェ!、と騒ぎ出し、三橋は口には出さないがこれ見よがしにボールをいじり倒していることがほとんどだった。
「お。あべー!」
 背後から名前を呼ばれ振り向くと田島が駆け足でこちらに向かってくる。
「おー、田島」
 その場で立ち止まり、当然田島も自分の前で止まるだろうと思っていた。
「な、悪ぃんだけど三橋たのむわ!」
 しかし田島は阿部の前でほんの少し速度を緩めたと思うと、そのまま加速して横を通り過ぎていってしまった。
「は!?待て、田島ぁ!!」
「オレ日直でさ!三橋起きねんだけど遅刻すっじゃん!?」
 だからたのむ、と下り階段を下りる手前で顔だけ壁から覗かせ用件だけ伝えると、挨拶代わりに日誌を振り、田島はすぐに消えてしまった。
 三橋と会話が繋がらないのは今に始まったことではないけれど、思えば田島とは別の意味で会話が成立しないことがある。なにせ主語がなく断片的すぎる。そんな田島と三橋の間では会話が成り立っているのだから不思議で仕方ない。
 阿部は当てもなく空振ってしまった右手を胸の前で左手と組み、断片的な田島の言葉から用件を推測しつつ、とりあえず来た方へ戻るのだった。

 阿部が9組の教室の窓から中を見ると、真ん中らへんの席で三橋が机に突っ伏しているのが見えた。他に生徒はいなく、節約のためなのか、はたまた存在を忘れられているのか、教室の電気は消され夕日が差し込んでいた。
 すぐにでも叩き起こしてやろうと近づくが、すやすやと気持ちよさそうに寝息をたてる三橋に毒気を抜かれてしまい、仕方なく三橋の前の席の椅子を拝借して腰を下ろすことにする。
「三橋」
 目の前にいる三橋の名前を呼んでみるが起きる気配はまったくと言っていいほどない。まだ時間あっか、と机の上で組んだ腕に顔を埋め、目の前にある三橋の顔をジッと見た。

 こいつの髪の色って地毛なのか?見るからに色素薄そうだけど。
 つか寝癖直してんのかってぐらいクセっ毛だよな。…なんかふわふわしてっし。
 あ、目ぇつぶってっと意外と睫毛あんだな。
 しっかしもうちょい会話できねェのか、この口はよォ。うぉ、笑ってやがる…。

 いつもはマスク越しに見ている三橋の顔、間近で見ると今まで知らなかった一面が見え、阿部はなんだか可笑しく頬が緩んでいくのを感じた。
 力の入っていない三橋の右手を触ると相変わらずマメでゴツゴツしていた。新しくできた今にも潰れそうなマメもある。
 努力は才能には勝らない、なんて耳にするけれど、三橋の貪欲なまでの投球への執着心はそれをもしのぐだろう、努力は報われる、報わせてみせる。三星戦後に誓った気持ちは薄れることなく、なおも大きくなって阿部を支えていた。
 そして新たに生まれ、それ以上に膨れ上がってしまった三橋への想いは消えることなく。
「…―やっぱ、オレ、お前のこと……」
 けれどこの気持ちを三橋に伝えることはないだろうと阿部は思う。
 マウンドとは違うあどけない寝顔に、聞かれることはないからこそ溢れ出す胸の内を一人呟いた。薄暗い照明は人の心を感傷的にさせ、さらに三橋の温かな手は阿部を心地よい眠りへと誘うのだった。





 1組に集合してから十分後。待てども姿を見せない阿部と三橋に痺れを切らし、田島が「探してくんわ!」と教室を飛び出した。田島を放し飼いにできない性分の花井と泉があとを追い掛け、それにつられて栄口と水谷も二人のあとに続いた。
「お、いた」
 田島が一直線の廊下を各教室を見ながら駆け抜けていると一番端の教室に二人の姿を見つけた。田島が9組の教室に入るのを確認し、あとからきた花井たちもぞろぞろと教室に入っていく。
「こねーと思ったらこいつら寝てやがる」
「あーあ、二人して気持ちよさそうにしちゃって」
 泉は呆れ、栄口は笑い、阿部と三橋の寝顔を交互に見ながら言った。
「落書きしたら起きねーかな?」
「ばっ、やめろ!」
 三橋の背番号用に常備しているマジックを取り出し言う田島に、花井は冗談とは思えず焦って止めに入る。
「…寝かしといてやる?」
 電気つけてこれだけ騒がしくしてても起きないなら、と水谷は皆を見ながら言った。
「今日は野手中心のミーティングだろ?」
 それにつられて泉が花井に問う。
「あ?そうだけど。…つぅかお前ら甘いね」
「そーゆー花井もな」
 ようやく諦めた田島を放し、手近にあったプリントの裏に田島から強奪したマジックで走り書きする花井。それを見た泉が両手を頭の後ろで組み、顎で花井の行動を示してみせた。
「っだよ、このままだと起きたときに困んだろーが」
「お前はそういうヤツだよな」
「はあ!?」
「まーまー。早くしないとモモカンがキレっぞ」
 放っておくと埒が明かないとばかりに栄口が花井と泉の間に割って入っていく。軽く舌打ちをした花井は書き終えたプリントを三橋の肘を重し代わりに潜り込ませた。
「いこーぜ」
 田島の掛け声を合図に五人は阿部と三橋をそのままに教室をあとにした。





 夢を見てた。よく覚えてないけど、なんだかやさしい夢。
「……ん…ぅ」
 三橋が目を覚ますと夕日が沈みかけていて、教室内は蛍光灯の光だけで明るさを保っていた。
 そうか、オレ ねちゃって…、明かりに慣れず焦点が合わない目にまだハッキリしない頭でぼーっと思う。
「……?」
 なんだか違和感を覚える先を突っ伏したまま目で追うと、自分の右手の上に重ねられたさらに手が見えた。その握られている感触に、なんか阿部君の手みたい だ、なんて夢見心地に少し笑う。
 ………阿部君、…の 手…?
 段々とハッキリしてきた頭が今起きている状況を理解し始めてきた。重なった手から伸びる腕、肩、頭、と順に追うと、三橋の脳内では有り得ないであろう光景が視界いっぱいに広がった。
「―っ…!?」
 阿部が三橋の机に突っ伏して寝ている。あろうことか目の前で。
 頭に血が上りひたすら焦る三橋はとりあえず起こしてはいけないと判断し、空いている左手で口元を押さえ物音をたてないように目だけで辺りを探った。そこに花井の残した書置きに気付く。
「あ…、ミーティング…」
 どうやら皆に気を使わせてしまったようだと申し訳なさに丸くなっている背中をさらに丸めた。すると阿部の寝顔がすぐ近くで、いけないとはわかっていたが恐る恐るその顔を見つめた。

 阿部君の髪…オレとはちがくて硬そう。さわったら痛かったりして。
 うお、阿部君て寝てるときでも少しこ、怖い顔してる…。
 …もっとちゃんと、話ができればいいのに。
 呆れられたくない、怒られたくない、嫌われたくない。だって怖い。
 ずっとオレの球を取って欲しい、手の温度を感じたい、傍にいたい。だって…。
 だって…?

 右手に阿部の体温と重さをまざまざと感じ、状態を起こした三橋はそれから身動き一つできなくなった。見開いた目が乾いてきて痛かったが瞬きすら忘れ阿部の手を見つめる。
 湧き上がる感情、高ぶる想い、胸の痛み、それらがいっぺんに全身を支配していく。
 心配してもらえるのが嬉しかった、話しかけてくれるのが嬉しかった、手を握ってくれるのが嬉しかった、なにより阿部君の笑顔が好きだった。
 これ以上はダメだ…!、と必死で押し込めようとするがそれは勢いを止めることなく、その名前を残酷なまでにハッキリと教えるのだった。
「ど しよう…。オレ…、阿部君の ことが…」
 自覚してしまった想いが三橋の目から涙を落とさせる。相手は阿部君だ、こんな気持ち 言えるわけがない。
 冷えた三橋の手と温かな阿部の手の温度差を埋めるかのように、悲しくも温かい涙がポタポタと二人の手を濡らした。





(08/03.02)
三橋自覚



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