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土曜の夜

 ただいまー、玄関でそう言うとリビングにも寄らず階段を上っていく。半分まで上ったところでキッチンから出てきた母親が階段の手すりから顔を出した。
「おかえりレン。今週はゆーくん来ないんだっけ?」
「うん。今日は ひいじいちゃん の 誕生日、だって」
「そーそー、皆でお祝いするんだったわね。家族が多いってのもいーわねー」
 洗濯物出しなさいよ、そう言ってキッチンへスリッパを鳴らし戻っていく。駆け落ち経験者の母親は大家族に憧れる部分が若干あるらしく、食卓に田島一人増えただけでどこか嬉しそうにしていた。そんな母親を見て気恥ずかしくも田島と話をする姿を見て三橋も嬉しく思っていた。
 部屋の電気をつけ、ペットボトルと球が転がっている床にパンパンに中身の詰まったエナメルバッグを肩から下ろした。部屋の換気の為に母親が開けていった窓から冷たい風が吹き込み、一階との温度差に身震いがする。
「窓、閉めなきゃ…」
 揺れるカーテンの合間に入り込み窓を閉めると風の音が止み、途端に部屋の中は静寂に包まれた。母親の言葉を思い出し洗濯物を出そうとバッグのファスナーに手をかけると、静かな部屋の中でジジーという音が頭の中を占める。そしてアンダーを取り出そうとした手は止まり、気がつけばその手に涙が数滴零れ落ちていた。
「た…じま く…」
 土曜の夜、一人で帰ってきたのはいつ以来だろう、もう覚えていない。
 先週の今頃だったら疲れたと騒ぎ立てる田島がベッドにダイブしては笑っていた。夕飯ができるまでの短い時間は素手で軽いキャッチボールをしながらその日の出来事を振り返って。他愛もない何でもない時間が田島といるだけで気分が高揚して、幸せすぎた。
「…っく、…ひ…」
 ボロボロと止まらない涙が手の甲だけでは拭いきれなくなり、掴んでいたアンダーを手繰り寄せると土の匂いがして余計に切なくなる。もう一度田島の名前が口から滑り落ちそうになった時、静かに部屋のドアが開く音がした。遅いから母親が洗濯物を取りに来たのだろうと、三橋はぐしゃぐしゃになった顔をアンダーに押し付けた。
「あれー?なんで泣いてんの?」
 しかし背中越しにした声は予想していたものとは違い、三橋が今一番聞きたいと思っていた声だった。振り向いた三橋は驚きのあまり思うように声が出ず、赤く腫れた目で田島を見上げた。
「な ん…で」
「いやーそれがさ、ひいじいってば近所の畑仲間に呼ばれていねーでやんの」
 三橋と同じ目線までしゃがみ込み、涙で濡れた三橋の頬を包み込んだ田島の手はひんやりと冷たかった。思わずビクと震えた三橋に一言謝りながらも、その手を離す気のない田島はそのままコツンと三橋の額に自分の額を合わせニッと笑う。
「したらすっげー三橋に会いたくなってチャリとばしてきた」
 軽く合わさった田島の唇も掌と同じくらい冷たかったけれど、そのぬくもりに落ち着いた三橋が改めて体を引くと田島はユニフォームのままだった。
「そのかっこ…」
「げ、着替えんの忘れてた!三橋ジャージかしてっ」
 吃驚しながらも笑っている田島に三橋もようやく笑顔を見せた。玄関に荷物を置いたまま家の中にも上がらずに三橋の家に来てくれたと言う田島の行動が、三橋には何よりも嬉しかったから。





(09/02.04)
キミのいない夜の過ごし方を忘れてしまったんだ。



あきゅろす。
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