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右も左もわからないぐらいに

 チャイムが鳴り始めた途端、9組内で個別に固まっていた生徒達が一斉に解散しはじめた。教室を出て自分のクラスへ戻る者、自席について次の授業に備え教科書を開く者、それぞれが次の午後一番の授業に意識をまわしている中で、一箇所に固まっていた野球部もガタガタと机と椅子を元の位置に戻し、解散しようとしていた。

「んじゃぁミーティング終わり!あんま時間ねぇけど放課後までに各自意見まとめとけよ」
「あ、花井。オレ今日日直だから少し遅れるわ」
「ういー、栄口以外はいねー?」

 花井が端から順に全員の顔をザッと見渡すが、誰も返事という返事をせずに「オレはない」「オレも」などと個別に呟くだけ。それらを返事と受け取った花井は自分の座っていた椅子を机の下に押し込み、回収したプリントの束をトンと揃え筒状に丸めた。

「うし、解散!次の授業遅れんなー」
「うお、やっべ!オレ次アタんだった!」
「田島ンとこ次なンなん?」
「数学。…って田島ぁ!勝手にオレのノート漁んじゃねェよ!」
「いずみー!マジたのむよ!」
「田島、もう諦めて腹くくれ」

 田島と泉のやり取りに水谷と巣山が面白半分に懇願している田島を宥める。
 いつまでも教室から出る気配がしないので「お前ら早くしろよ」と花井が振り返ると、そこには突っ立ったまま動かない阿部がいた。ジッと一点を見つめる視線のその先には、なんとか田島に加勢しようとオロオロ頑張る三橋の姿があって。
 いつものようなガン見のそれではなく、見ている花井までもが切なくなってしまうような、そんな目の色。少し頭を働かせれば答えが出てしまうその視線の意味を頭を振って静止させ、「阿部」と固まっていた肩にポンと手を置き促した。

「…おぉ、悪ィ」
「おら、水谷も行くぞ」
「おー。じゃな、頑張れよ4番さまっ」
「まじ水谷ウゼー!」

 教室を出る寸前まで田島をからかっている水谷に続き、花井、阿部が出ようとしたその時、田島の声に埋もれてしまいそうなぐらい小さな声だったが三橋が阿部の名前を遠慮がちに呼んだ。
 阿部は自分を呼んだ三橋の声を聞き逃さずに振り返り、まさか聞こえるとは思っていなかった三橋はキョドキョドと阿部と床を交互に見比べた。

「どした?」
「う ぁ、の…」
「………」

 相変わらず会話が繋がらない。というか三橋がすんなりと言いたいことを口に出さないせいなのだろうが。
 次の授業までもう5分と切っている。三橋から阿部を呼び止めるぐらいなのだから余程大事な話なのかもしれない。できればこのまま待って三橋から切り出してほしい。
 けれども時計が気になり内心焦っている阿部はなかなか口を開かない三橋に苛立ちを隠すことができなくなってきた。

「阿部!時間!マジでやばい」

 教室の外でなかなか出てこない阿部を待っていた花井が痺れを切らし、上半身だけ身を乗り出して阿部を急かした。花井の登場があと5秒遅かったら怒鳴っていたかもしれないと、阿部は深く息を吐く。

「もう時間ねェから放課後でいいな?」
「う、 う…ん」

 あれだけ溜め込んでおいたくせに歯切れの悪い返事をする三橋に阿部は舌打ちをして、机の脇にかかっていた三橋のリュックを乱暴に掴み上げチャックを全開にし、中から目当てのモノを見つけると三橋の胸にドンと突きつけた。

「オレが行ったらすぐ打って送れ!言いたいこと濁しやがったら今日投げさせねェかンな!!」
「ぅ えぇ…!?」

 「絶対だぞ!」と人差し指を突きつけ念を押す阿部は、教室から飛び出すまで三橋に鋭い視線を向けていた。阿部が見えなくなったあとに残ったのは、みぞおちの痛みと阿部から突きつけられた、携帯。
 メール、送らなきゃ。投げさせてもらえなくなったら 意味、ない。
 席について携帯を開いたのと先生が教室に入ってきたのは同時だった。





 花井と阿部が7組の教室に入ると今まさに先生が教壇に足を踏み込もうというところだった。滑り込みセーフということで遅刻扱いは免れたものの、ダッシュしてきたせいで席についてもしばらく息が整わなかった。
 喉が渇き、先生が板書している隙にリュックからペットボトルを出そうとしたとき、阿部のズボンの尻ポケットに入っていた携帯が小刻みに短く振動したのがわかった。
 きたか、と携帯を引き抜きパクンと開くと「新着メール」の文字。受信ボックスを開くとそこの一番先頭に「三橋廉」と表示されていた。正直、その名前を見ただけで心臓が跳ねる。三橋からだとわかっていたにもかかわらず。
 あんだけ念を押しておいたんだからちゃんと言いたかったこと送ってきたんだろう、阿部はそう思いながら三橋からのメールの本文を開いた。

「………ぇ」

 三橋が何を言いたかったのかまったく検討がついていなかったものの、まさかの内容に思わず声が漏れた。もう一度内容を再確認しようとディスプレイを食い入るように見続ける。が、何度見ようと内容は変わらない。
 …やばい、素直に嬉しい。つぅか嬉しすぎる。
 目が乾くほど何度も読み返し、ふと右上に小さく表示されている時計に目がいくと受信してから5分経っていた。いけね、と瞬きを繰り返しながら返信画面に切り替える。なんて返せば三橋がビクつかずにすむか、そこに重点をおき、頭の中で数通りの言葉を廻らせた。

「阿部、あーべ…!」

 名前を呼ばれているのに気がつき顔を上げると、教壇に立っている先生がニッコリと阿部を睨んでいた。名前を呼んだのは斜め後ろにいる水谷で、チラリと振り返ると「遅かったか…」と助け舟が間に合わなかったことに顔をくしゃりと歪ませていた。

「阿部。そんな真剣な顔して、まさか意中の相手にメールでもしてたか?」

 先生の発言にクラスがどわッと沸いたが、花井と水谷にはとてもじゃないが笑えず無言で顔を見合わせ喉を鳴らした。
 アベ落ち着け!相手は教師なんだからな…!おさえろ!耐えろっ!たのむ…!いきろ!
 花井と水谷が阿部の背中に向かってとにかく思い付く限りの言葉を小声で叫んだ。
 阿部だって冗談が通じない人間ではない。それは二人もわかっていることだけれど、なんせさっき三橋となんだかもめていた。三橋が絡むと阿部は急激に周りが目に入らなくなる。今だってきっとそうだったんだろう。
 阿部がキレる前にどうにかこの場を収拾したい、と花井は当てもなく椅子から立ち上がろうとした、がその矢先。

「そんなとこっスかね」

 教室内にスッと迷いなくとおった阿部の声。
 一瞬の沈黙のあとに数人の生徒が「ひゅぅ」「まじかよ!」と囃し立てた。花井と水谷はポカンと開いた口が塞がらないまま、互いの顔と阿部とを交互に見比べ信じられないものを見た、という顔をしていた。 
 阿部の手元には一段階光が落ちたディスプレイ、送信メール作成画面の宛先には今の自分にとって特別だと思える人の名前。その名前を見るだけで頬が緩み、阿部自身は気づいていないけれどとてもやさしい表情をしていた。





「みはしー、起きろー」
「…ダメだ、爆睡」
「ったく。田島ァ、先生が板書してる間に起こしといてくれ」

 へい、と背中を向けた志賀に向け片手をあげ、田島は後ろの席を振り返る。後ろの席には三橋がいて、隠すでもなく堂々と居眠りをしていた。その右手にはチカチカとサブディスプレイが光る携帯が握られていて。 

「コイツ、ニヤけてんぞ」
「いい夢でも見てんのかもな」
「シガポの命令はゲンミツだかんな。邪魔して悪ィけどっ…!」
「――いッ …!?」

 田島は丸めたノートを遠慮なく三橋の後頭部にヒットさせ、寝起きの夢心地さえもあたえてもらえなかった三橋は涙目で周囲を見渡した。
 呆れる泉、三橋が悪いけどやりすぎじゃないかと心配顔の浜田、目の前で「はよっ」と笑う田島。

「三橋!まだ目が覚めないなら阿部呼んでこようか」

 志賀のとんでもない台詞に三橋はサァっと血の気が引くのを全身で感じ、ブンブンと首を横に振り必死で抵抗した。

「せんせー、今阿部がきたら三橋死にますから」
「てっめェ!あんだけ寝んなっつっただろーが!!っつってウメボシだよな」
「田島にてねー!」

 田島のあまりにも似ていない声真似に教室中が笑い、和やかな雰囲気に包まれている中、サブディスプレイのランプに気付いた三橋は小さくなりながらもそっと携帯を開いて新着メールを見た。

 『わかった。』

 阿部から返信されたたった一言の文字、しかしその一言に三橋はさらに血の気が引くほどの重圧を感じずにはいられなかった。
果たしてこの言葉にはどのような意味合いが含まれているのだろう。怒っているのか、それとも呆れているのか。こんな無機質な文字からでは阿部の気持ちはわからない。
 やっぱり言うべきじゃなかった、あんなメール送るんじゃなかった、嫌われたくない、後悔すればするほど鼻の奥がツンと痛み、視界が滲んで文字が歪む。

「………?」

 震えた指先が不意に十字キーの下を押すと画面から外れ隠されていた文字が上がり、阿部からのメールにはまだ続きがあったことを知らせてくれた。
 三橋はそれを見た途端に嬉しいよりももっと、もっと溢れ出して抑えきれない想いが込み上げ、零れそうになった涙をグイと手の甲で拭った。

「…べ 、くん…」
「ん?なんか言った?」
「な、なんで もないよっ」
「つかなんで泣きながら笑ってんの!?」

 阿部こねェから大丈夫だって!、と田島は三橋の涙を自分のシャツの袖で乱暴に擦った。痛かったけれど嬉しくて、三橋が「あり がとっ」と言うと「おぅっ」と田島は清々しいほどに笑ってくれた。高揚したまま顔が火照るのは皆がやさしいからだけではないはずだと三橋は思う。
 携帯をギュッと握り締め、時計を見た。





 『オレ、今日の投球練習、阿部君がいい。
 練習でも、やっぱり阿部君がいいんだ。
 阿部君に、投げたい。』 



 『わかった。
 




 オレも早くお前の球、うけてえよ。』





 あと30分。早く時間がすすめと心の底から願っては、授業なんてちっとも頭に入りそうになかった。




(08/02.17)
好きな人の言葉の威力



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