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傍にいてあげたい

 いつもなら練習が終わったこの時間、ヘトヘトになりながらも口だけは動かしている田島が今日は珍しく静かだった。ほぼ全員がノッてきそうな話題にも見向きもせず、さっきから懸命に話しかけている三橋にでさえ曖昧な相槌しかしていないようでついには三橋が涙目になってしまう始末。
 見かねた阿部が三橋を呼び寄せ、その際に発した田島君という三橋の呼びかけにはついに相槌すら打たなかった。
「おい、花井」
「あ?」
 唐突に背中を小突かれ何事かと振り向く。そこには見るからに苛立っている阿部が顎であのアホをどうにかしろとお願いと言うには随分上から目線な合図を送ってきたものだから、仕方なく花井は入れかけのアンダーシャツを強引に押し込み立ち上がった。
 その問題のアホを見てみると、着替える手元はモタモタとおぼろげでまるで意識が通っていない。いつも着替えるのが遅く阿部を苛立たせている三橋ですらもう着替え終わろうとしているのに対し、田島はまだユニフォームのボタンを全て外し終えようというところだったから花井は目を疑った。
 誰よりも真っ先に着替え終わり、やれ三橋遅いだのやれ花井トロいだの憎たらしいほど絡んでくる田島が今日は怖ろしいほど遅い。遅いなんてもんじゃない、嵐でも来ようものなら確実に田島のせいだ。
「田島?」
 今日は特に練習がキツかったからもしや寝てるとか?そう思った花井が田島に近付きその顔を覗き込む。田島は寝てさえいなかったが顔全体が赤く上気し、その目はぼーっと一点を見ている様で焦点が合っていなく虚ろだった。
 いつにない田島の様子に初めこそ花井は困惑したがすぐにそれがよくあるものだと気付き、窄めた掌を田島の額にそっと押し当て自分のと比べてみた。そして改めて田島の異変の正体が分かったのだった。
「田島、お前熱あんぞ」
「えー、ねつぅ?」
 花井の言葉でぼんやりとしていた田島の焦点が少し戻り、重そうに持ち上げた左手で自分の額に触れてみた。ジュウ、熱に侵されるとこんな音まで聞こえるらしい。
「あ。あつい」
 元気印の田島だったから少しピンとこなかっただけで、見た目から熱があるのが丸分かりなほどフラフラしているのに当の本人は分かっていなかったのだから呆れる。
「…どうしよう。アホだ、アホのコがいる」
 田島の余りのアホっぷりに開いた口が塞がらない花井。
「ちょ、今更かよ。田島がアホなのは今に始まったことじゃねーだろ」
 そこへ二人のやり取りを見ていた泉が横槍を入れた。確かに泉の言うとおりなのだが、ここまで発熱していて気が付かないとなると少し危ういのではないか。となると次に浮上するのは心配、なわけで。
 熱を意識したせいか肩で息をし始めた田島を目の前にこのままでいいわけがない、というか放っておけない。とんだ恋人を持ってしまったと思うには花井の性格はやさし過ぎていた。
「もうそのままでいいから荷物まとめろ。送る」
 そう言いながらも花井はロッカーから田島の服を出し、簡単にたたむと口を大きく開けたまま置かれている田島のバッグに突っ込んだ。どうせチャリ一分の距離だ、ユニフォームのまま帰っても大した問題はないだろう。それよりもこのペースで着替え終わるのを待っていたら夜中になりかねない。それこそ問題だ。
「え。」
 自分の荷物をテキパキとしまう花井を見下ろしながら田島は少し驚いた様な声を出した。
「……んだよ」
 花井にとってはごく当たり前の行動、それを驚かれるものだとは思ってもおらず、田島の驚いた様子に花井も驚いた。
「…ちょお、待ってて」
 こちらを見上げた花井の顔をしばらくじぃと見つめてから田島はのっそりと動き出す。熱でモウロウとしているだろうに靴だけは自分で履き替えようとストッキングを力なく脱いだ。フラフラしているのだからそのまま履けばいいのにと花井は思ったが田島なりのこだわりかもしれないので黙っておくことにした。
「いいか?んじゃ乗れ」
 田島が靴を履き替え終わり、頃合いを見計らっていた花井は田島の前でしゃがみ、背中を向けた。
「うーす…」
 田島は全体重を花井の背中に被せ、重い体を花井が預かってくれたことにより少しだけ荒い呼吸が戻ったように見えた。それでもまたすぐに肩で息をし始め、辛そうに花井の首に腕を回すのだった。
「阿部、栄口、悪ィけどあとたのむわ。オレらの荷物はそのまんまで、鍵はとりあえず職員室戻しといていーから」
「おー」
「わかった、お疲れさん。田島たのむね」
 阿部はさほど驚いた様子もなく、花井から鍵を受け取った栄口は心配そうに花井の背中で丸まっている田島を見ていた。その視線に気付いたのか田島はゆっくりと栄口の方に顔を向け、口元にだけ笑顔を凝縮させながらおつかれーと手を振った。その手は花井の顎の下辺りでプラプラしていたのだけれど。
「お前はしゃべんなっ」
 手も振んなと花井から一喝もらったけれど、最後に三橋にだけ手を振って力尽きた田島は花井のうなじに顔を埋め目を閉じた。

 背中から田島の熱が直で伝わる。額で測ったときよりも上がっていそうだと、苦しそうに口で呼吸をする様子からも見て取れた。
 それにしてもいつから熱があったのかと思い返してみるも、いつもと変わらず練習に励む田島の姿しか思い当たらない。田島本人にすら熱があることを自覚させないほどの集中力で練習をこなしていたのだとしたら、もはやスゴイとしか言い様がないのだけれど。
 しかし、軽々と背負えてしまうこの小さな体のどこにそんな大きな力があるのだろうと毎度のコトながら飽きもせず思ってしまう。そこも田島の魅力の一つなのだと自覚しているが。
「…花井、チャリ、は?」
 部室を出てすぐに正門へと歩き出した花井に田島がもぞっと耳元から顔を覗かせてきた。吐き出される息がくすぐったいのと、甘ったるく弱々しい声を耳元で出された為に一瞬足の力が抜け、危うく田島を落としそうになり嫌な汗をかいた。文句の一つでも言ってやりたかったけれど仮にも病人なのだからと目を瞑ることにした。
「あとで鞄と一緒に持ってってやっから、心配すんな」
「まじー?ありがとー」
 出した顔を引っ込めて再び顔を埋める田島の息が一段と荒い。だらんと垂れ下がっている腕はよく見ると汗で濡れて湿っていた。だからなのか、甘やかしてやりたいという気持ちが沸々と湧き上がってしまうのは。
「大丈夫か?頭いてーとか喉渇いたとか」
「…ん、へーき」
「そっか?なんかあったら言えな」
 背中越しに伝わるドクドクと早い鼓動が本当は平気ではないのだと教えてくれるけれど、田島が平気だと言うならそれでいいことにする。本当は熱を理由に甘えてくれてよかったのだけれどそうはいかないらしかった。
 何でもないときには鬱陶しいくらいなくせして、そうしてもいいというときにそうはしない田島が、田島らしくて不謹慎だと思いつつも頬が緩んでしまった。
「花井がやさしい」
「はぁ?病人にやさしいのは当たり前だ、っつうか、それじゃオレが普段やさしくねぇみたいじゃねーか」
 ほぼ全体重を預けられているせいで通常よりも重く、ずり下がってきた田島を膝を使って反動で押し上げた。今までに妹達しかおぶったことのない花井は小さいと言えど硬く筋肉のついた田島の、男の体を背中に感じ、今更ながら田島と恋人関係にある自分を小さく笑いたい気持ちにさせられた。
 小さなことでもグルグルと考え込んでしまう花井も、田島と一緒にいるとそんな暇もないくらい目の前の状況についていくことがやっとで。それはほとんどが田島の起こすくだらないモノなのだけれど、花井には呆れてしまうほど楽しいと思えた。
 きっと知らないところで田島は頑張ってくれているのだろう、それが当たり前のように。
「花井」
「ん?」
「なんか目まわっし頭いてーし体うごかねーし吐きそうだし。…オレやばくね?」
 田島がさも普通に淡々と言ってのけるからすぐに現状を把握できなかった。
「…え、ちょっ、もうつくから!したらすぐ寝ろよ!」
 田島のやせ我慢に合わせてチンタラ歩いてる場合ではなかったと花井は後悔しながら歩幅を広く速く進め始めた。揺れのせいで気分が悪化してしまうことも考えたが、早く帰すことを第一優先とする。
「オレ、花井とねたい」
 病状の悪化を訴えた矢先に発する発言としては適切ではないような。
「冗談言ってる場合か!わり、走んぞっ」
「ジョーダンじゃねーって。だって、花井とくっついてっと、オレ…安心……す…」
 小さくなっていく語尾がついには消えてしまい、花井は焦って目一杯首を後ろに回し田島の様子を確認した。田島は変わらずに荒い呼吸を繰り返していたがどうやら寝てしまったようだった。
「…ビックリさせんなよ」
 大きなため息を生温い空気の中に吐き出し、もう目と鼻の先に見える田島家の明かりを眺めながら花井はさっきの田島の言葉を思い出していた。ふざけてだろうが冗談っぽくだろうが、いつだって田島の言葉に口先だけというモノは存在しない。だから直球に届く、心に。
「…あ、オレ。帰んの遅くなるわ。もしかしたら田島ンち泊まるかもしんねーから」
 キり際に母親の冷やかしのような声が聞こえた携帯を力を込めて閉じ、汗の混じった田島の匂いと重みを感じながら、明日が休みでよかったなと聞こえるはずもない田島に語りかけた。




(08/08.06)
相互お礼哀雅秋様へ

「glass*glass」秋さんに捧げさせていただきます。
受けが風邪をひいた話ということで書かせてもらいましたが、どうだったでしょうか…?
弱ってる田島を書くのはすごく楽しかったですよ!花井も頑張ってくれましたし笑
この度は相互ありがとうございました!



あきゅろす。
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