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もう一度だけ夢を見させて

 フワリとまだそこまで夏を感じさせない初夏、今日これから新しいスタートをきる二人を五月の眩い太陽が祝福していた。
 高校を卒業して早十年。今年で二十九歳になる阿部は世間では少し名の知れたゲーム会社に勤務していた。野球は勿論、大学を出るまで続けたが、幸か不幸かその四年間で完全燃焼、進路に入れていたプロ入団テストも受けることなく現在の会社へ就職を決めた。その後は特に大きなトラブルもなく、今では同期入社の栄口と二人で時には大きな仕事も任される程になっていた。
「今日はココ一番の晴天だってさ。来るまでは雨の心配してたのになぁ?」
 純白のドレスに身を包んだ花嫁が投げたブーケは空高く上がり太陽の光と交差した。それがまるで宝石の様にキラキラと光を放ち、その眩しさに目を細めながら栄口はその一瞬を逃さぬ様シャッターを切っていく。
 阿部はほんの少しだけネクタイを緩め、栄口に返事をするでもなく一人呟いた。
「ほんと、いい天気だな」
 キレイに弧を描いて落ちてきたブーケは待ち構えていた女性達の輪の中心へ。ワァと歓声が上がり、その次には艶やかな黒髪をアップにした女性がブーケを手にし、頬を染めているのが見えた。
「次結婚すんの、あの人かな?」
 突然向けられたマイクに花嫁の友人と恥ずかしそうに名乗る女性を見て水谷は言う。
「お前、28にもなって迷信信じてんなよ」
 そこへすかさず泉がツッコミを入れた。
「ちょ、泉は相変わらずキッツイねー」
 ブーケトスとは無縁な阿部達は少し離れた所からその光景を眺めていた。会えば十年前と何ら変わらないやり取りが繰り広げられる。けれど、やはり十年という歳月は人一人の人生を変えてしまうには充分すぎていて、ここにいる四人も昔とは違う顔を見せる様になっていた。
「他のヤツらはやっぱムリだったって?」
 花井に聞きながらも栄口はシャッターを押す手は止めない。誰に頼まれたわけでもないのに、こういう所は昔から変わらないでいた。
「田島は交流戦休むってコーチに言って殴られたらしい。あいつプロ意識あんのかねェのかたまにわかんなくなんよ。西広と沖は学校休めないっつって、巣山は嫁さんもうすぐだしな」
「ああ、なんか男の子らしいんだってね」
「おー、まじか。つぅか、栄口と阿部はよく休み取れたな?」
 花井は栄口のデジカメを覗き込んで、そういやと続けざまに聞いていた。
「今の時期は大して忙しくないし、友人の結婚式だっつったらすぐ休みくれたよ。うちら上司に恵まれてんの。な、阿部」
「ん、おお」
 正直栄口の話はまともに聞いていなかったけれどとりあえず返事だけはしておいた。
 ブーケを持った女性がスタッフに誘われ、照れくさそうに主役二人の真ん中へ入り込んだ。二人の間に割って入ってごめんなさいとでも言われた様に見える、軽く頭を下げたその女性に新郎が慌てて両手を振っていたから。
 変わってねェなと思いながらも、白いタキシードを着こなす姿はもう立派な青年の顔をしていた。
 なぁ、お前どんな顔でプロポーズとかしたんだよ。オレの知ってるお前からじゃ想像つかねんだけど。
 昔の面影を辿りながら薄く笑っていると、栄口の所から今度は阿部の所へ花井がやってきた。
「しかし、あの三橋が結婚とは驚きだな」
「…だな」
 花井の言葉に耳を貸すわけでもなく、花嫁の隣で柔らかく微笑む三橋から阿部はそのまま目が離せないでいた。

 一ヶ月前、ポストに入っていた一通の招待状、今度は誰が結婚すんだと軽い気持ちで差出人を見たのがいけなかった。
 三橋廉、久しぶりに見るその名前は心構えもしていなかっただけに心が傾いだ。どうして住所を知っていたのかと疑問に思ったがそんなものはどうとでもなるものだと阿部はすぐに冷静さを取り戻した。
 部屋に入るとネクタイを床に放り投げ、ハサミを持ってベッドに腰を下ろす。中身を切らない様ゆっくりと封筒にハサミを入れていきながら、二度と思い出すこともないと思っていた記憶が蘇ってきたのだった。
 忘れもしない、あれは高校三年の冬。三橋がこっちの大学には行かないと突然一人で決めた時のこと。


 部活も引退し、三年の間では受験モード一色になっていた。もうすでに決まった者は参考書片手に机に向かう者達を気遣い、休み時間は屋上や学食で時間を潰すのが暗黙の了解となっていて、阿部もその中の一人だった。
「三橋」
 とうとう三年間同じクラスにはなることのなかった三橋を教室まで呼びに行った。集団の輪の中からスッと現れた色素の薄い髪がすぐに三橋だとわからせてくれ自然と頬が緩んでしまう。
 受験組を刺激しない様手招きだけで三橋を自分の方へ呼び寄せると、少し外の風に当たろうと思い立った阿部はそのまま屋上へと三橋を誘い出した。
「おー、誰もいねェじゃん。めずらし」
 扉を開け放つと冷たい風に体が震え、上着を着てくればよかったと後悔したが、三橋はセーターを着ていたからよしとする。
 高校野球は終わってしまったけれど、四月からは大学でまた三橋と野球が出来る。バッテリーを組むことになるのは遠い話なのかもしれない、けれど、さらに四年間同じチームでいられることがまずは嬉しかった。
「次の土曜なんだけど、大学のグラウンド見にいかね?」
 阿部の頭の中は三橋と進む次のスタート地点への期待で溢れていただけに、三橋の浮かない表情は見逃していたのだった。
「い、行けな…い」
 絞り出す様な声に振り向くと三橋は頭を垂れて完全に下を向いていた。急すぎたかと阿部は頭の中でカレンダーを思い浮かべ、二週間後の土曜に標準を合わせてみた、けれど。
「予定入ってる?ならそン次でも」
「オ、オレ、行けないんだっ」
 次に三橋から出た言葉はさっきよりもハッキリとしていて、微かだが拒絶のオーラが出ている様に見える。しかし、まさか三橋に限ってそんなことは有り得ないと阿部は頭を振って思い直した。
「どういうこと?」
 見る限り三橋から続きを話す気配は感じ取れず、仕方ないので阿部から聞いてやった。が、それでも口を開こうとしない三橋に阿部の苛立ちは溜まっていく一方で、不穏な空気が二人の間を流れていくのだった。
「三橋」
 名前を呼ぶ、意図的にドスを効かせて。ビクと肩を揺らした三橋はようやく観念したのか、スゥと目に見える程長く息を吸い込みそして吐き出した。これが三橋のリラックス方法なのだと知ったのは甲子園での一投目を投げる直前のこと。
 ぼんやりと過去を探る頭の中に入ってきた三橋の次の言葉は今の阿部にはあまりにも衝撃的すぎた。
「オレ、大学 ケった。だ、だから…行けない」
「……え?おま、なにいって…」
 それだけ言って三橋はまた口をつぐんだ。そしてそれ以上何も言わない。それは真実だから、ということだからなのだろうか。
「…ウソだろ?」
 阿部の問い掛けに三橋は二回首を振っただけで潔い程黙ったまま。だから阿部が堪らずに声を荒げてしまうのも仕方のないことだった。
「な、んで…!!」
 二度目の問い掛けに三橋は黙ったまま阿部から目を逸らした。完全なまでに撤した態度、阿部は息を飲むことしかできず焦りが募り出す。
「…ッ。また、バッテリー組むっつってたじゃねーか!」
 三度目の問い掛けに三橋は段々と頭を下げていき、微かだけれど肩が震えだしていた。けれど堰を切ってしまっただけに阿部は吐き出すことを止めなかった。
「お前にとってのバッテリーってそんなモンだったのかよ…っ!!」
 悲痛な叫びが頭に痛いのか、三橋は両手で頭を包み込んでしまった。
 泣かせた。ここしばらく三橋に涙を落とさせる様な真似は避けてきただけに少し自分が悔しい。けれどその涙を見ればきっと落ち着けるはず。
 何か理由があってどうしても言わなければならなくて。そして三橋の本心はココにはないから言わされた悔しさから涙となり、それから言う。ホントは違うんだ…って。
 ご都合主義と言われればそれまでだが、そうでも思わなければとても冷静になんてなれやしない。阿部は三橋の両手を強引に握り締めてから、上がった顔を見て頭の中が真っ白になった。
「なん…で、泣きもしないんだよ…ッ!!」
 望んでいたのに、信じていたのに、けれど三橋は泣いてなどいなかった。
 握り締めた氷の様に冷たい手はこの寒さのせいなのか三橋の心の表れなのか、もはや阿部に考える気力など残っていなかった。

 甲子園優勝と目標を掲げた一年の夏、あれから幾度となく三橋と衝突したけれど、バッテリーとして大切に築き上げてきた想いが恋に変わっていったのはさほど難しいことではなかった。
 胸の内に秘めた想いは消えることなくむしろ大きくなっていく一方、いつだって表に出ない様必死で押さえつけていた。そのかいあってか三橋本人には勿論、他の部員達にも気付かれることなく高校での野球生活を終えたのだった。
 その間、何度も三橋に告白しようとしたけれどいざとなるとどうも行動に移せず、一体何コの好きだという言葉が半透明のまま空に消えていっただろう。
 それでも腐らずにやってこれたのは三橋も阿部に好意を抱いていると感じていたから。同じ想いとまではいかなくても、それでも期待してしまうくらいの想いが三橋にもあると思っていた。同じ大学を選んでくれたのだって阿部と一緒にいたいと思ってくれたからだって、勝手な妄想だけどすごく嬉しかった。なのに。
「お前は…、三橋はそれでいいんだな」
 握り締めた三橋の手が少しでもあったかくなってくれたら引き返せるのではないか。ここまできてもまだそんなキセキを願っている自分が女々しくて居たたまれない。もう、三橋の顔だって見られないのに。
「…うん」
 きっと、何か大きなことを決意したのだろう、頷いた三橋の声はとても落ち着いていたから。だからもう、これ以上はやめよう。三橋の覚悟を踏みにじりたくはないから。
「…わかった」
 だから最後ぐらいは胸張って、もう二度とまともに見ることのない三橋の顔を目に焼き付けておきたいと思った。
「三橋、…ありがとな」
 そっと離した三橋の手は最後まで冷たいままで、この恋の終わりを静かに告げた。阿部の最後の言葉に大きく揺れた三橋の目は見てみぬフリをして。

 それからの阿部は三橋と野球部の集まり以外で顔を合わすこともなければ話しをすることもなかった。そんな中、三橋が群馬の大学へ進学すると阿部が知ったのは卒業式の二日前、花井から聞いてのこと。
「たぶん、もうこっちには戻ってこないっつってたぜ」
 三橋の話は阿部には禁句なのだとわかっている花井だけに、切り出すのに少し胃が痛んだようだ。そんな花井の気持ちを汲みもせずに阿部はただ相槌を打つ。
「ふーん、てお前。…いいのか?」
「いいもなにも。つーか三橋がそう決めたんならそれが一番なんだろ」
 例えそれが阿部と離れたいが為という理由だとしても、もう阿部に出来ることは何も残っていやしないのだから。
 本人はそんなつもりなくてもひどく傷付いている顔をしている阿部に、花井は思っていたよりも深い根っこがあるのだと気付いてしまった自分に後悔した。
「あのさ、オレが言うのもヘンかもしんねーけど。…後悔だけはすんなよ」
 何も知らないくせにと一瞬カッとなったが、心の底から心配だという雰囲気の花井に阿部は何も言えなくなってしまった。
 花井の態度から、この三年間で築き上げてきたものは何も三橋との関係だけではないのだと思い知らされる。花井を筆頭にずっと一緒にいた彼らを思い、目を閉じた。
「花井」
 予想もつかない行動を取る阿部にビクつきながらも呼ばれたので律儀に返事をする花井。
「ど、どうした…?」
「…いい天気だな」
 遠くを見ながらそう言って小さく笑う阿部に花井はますます混乱し、三年間連れ添った阿部がわからなくなるのだった。


 式、披露宴と滞りなく終わりそのままお開きとなるはずだった。けれど花井の携帯に試合が終わってから急いで行くと田島から連絡があった為に、予定にはなかった二次会が適当な居酒屋で開かれることとなったのだ。
「三橋!結婚おめでとー!!」
 相変わらずのムードメーカーな田島の声が店内に響き、三橋と肩を組む姿は昔と何ら変わっていなかった。一つ変わっていたのは田島を見る周囲の熱い視線。それのおかげでこの目の前のたんに騒がしい男が日本を代表する選手の一人なのだとかろうじて思い出させてくれていた。
 かしこまった席ではいくら飲んでも酔わなかったけれど、こういう崩した席だと面白いくらい酒の回りが速い。元エースのめでたい日なだけに話は尽きることなく、皆始終笑いっぱなしだった。
「わり、便所」
 隣に座っていた花井の後ろを跨がせてもらい、阿部はまだそんなに酔ってないなとしっかりとした足取りで店内の端にあるトイレに向かった。まさかこの数分の間に誰かいるとは思いもしなかっただけに、トイレから出てきて三橋がいたことに少し驚いてしまう。
「どうした、お前も便所?あ、疲れた?」
 式と披露宴だけでも疲れそうなのに田島まで来たもんなと阿部は笑った。内心ではまたこうして三橋と普通に話せる日が来ようとは思わず、時の流れとアルコールの力はすごいものだと一人納得してしまっていた。
「うん、大丈夫。それよりも阿部君」
「うん?」
 十年ぶりに呼ばれた名前はあの頃よりも少し低くてなんだかくすぐったい。あんなに途切れ途切れだった話し方も今ではほぼしっかりとしていた。
「ずっと、阿部君に謝りたくて。だから、聞いてくれますか…?」
「…、うん」
 真剣な三橋の表情を茶化す気にもなれず、かといって謝罪される覚えもなかった。けれど聞かなければならない様な気がして阿部はただ頷いた。
 阿部の返事に安堵した三橋は緊張しているのか、スゥと息を吸い込みゆっくりと吐き出す。それから一つ一つ言葉を探しながら話し出した。
「オレが…大学ケッた時、阿部君に怒鳴られても理由…言えなくて。でもオレ、ホントは同じ大学に行きたかったんだ。また一緒に野球できるってすごく嬉しかった」
 今更と口を挟みたかったが、聞くと言ってしまっただけに阿部は我慢せざる得なかった。
「すぐにはムリだけどまたバッテリー組んで、そしたらまた阿部君がサインくれてオレは阿部君に投げる。高校で出来なかったことを今度は大学で阿部君と出来たらいいなって思ってた。練習はキツいけど毎日楽しいんだろうなって、思ってた」
 つらつらと遠い過去の、しかも三橋から捨てた夢を語る三橋。阿部は怒るでも呆れるでもなく、ただもうやめて欲しい、そんな気持ちで口を挟んでしまった。
「三橋、あのさ」
「オレっ、阿部君が好きだったんだ…ッ」
 阿部が止めるよりも先に焦った様な三橋の声が、言葉が一瞬この空間の流れを止めてしまったのかと錯覚を起こさせた。
「気付いたのは大学が決まってからで。だから一緒には行けなかった。この気持ちはいけないものだって知ってたから」
 阿部には三橋が何を言っているのかよく理解できないでいた。これは十年前の阿部が望みすぎていただけに見せた幻なのではないか。余りにも強く想い過ぎて起きている間にも夢を見せているのではないか。
 けれど目の前にいる三橋は阿部のよく知る三橋ではない。頼りなげで見ているだけで苛々してなのに本当は強くて、あんなにも恋焦がれた三橋はもういないのだ。
「こんなこと、今言われても気持ち悪いだけかも知れない、けど。オレが阿部君を好きになったせいで一緒に野球できなくなって、それだけはずっと謝りたかったんだ。だから、…ごめんなさい、阿部君」
 そう言って三橋は頭を下げた。阿部が何も言えずにいると三橋は顔を上げ、申し訳なさそうに小さく笑う。その顔はあの頃のままで、ただ泣きたくなった。
「今日は群馬まで来てくれてありがとう。先、戻ってるね」
 うんとしか言えなかった。他に言うべき言葉なんてどこを探しても見つからなかった。
 後悔。
 三橋の背中を見送りながらこの二文字だけが阿部の全身を忙しく駆け回る。
 あの日、みっともないぐらい泣いてでも縋ってでも三橋を引き止めていたら何か変わっていただろうか。あの頃、ほんの少しの勇気を出して告白していたら、今三橋の隣には阿部がいただろうか。そんなこと考えるだけ時間の無駄だとわかっているのに頭が考えるのを止めようとしない。
 いつの間にかもたれていたトイレの壁をズルズルを背中が下へ下へと這っていく。もう足に力が入らなかった。その場にしゃがみ込んだ阿部は頭を抱え込み、溢れ出た涙は三橋への想いを流すどころか十年越しに再び思い出させるのだった。
「……オレも、好きだったよ…三橋」
 初めて形となった好きだという言葉は届けたい相手を見つけ出すにはもう遅すぎたのだと、十年の月日と共に消えていったのだった。




(08/07.03)
両片想いパラレル、幸せではない為注意

この話は結構前に思いついていて、その時は最後の二次会の部分だけでした。やっと書くまでに至ったので折角だから作り込んでみたのですが、果たしてよかったのかどうなのか。
ザックリ言ってしまえば最初から最後まで阿部が報われない話、なのです(笑)



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