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甘い珈琲は好きではないけれど

「オレ、一人暮らし始めたんだ」
 今からちょうど三週間前に言われた言葉がまだ胃の辺りをグツグツと煮え切らずに渦を巻いているようで気持ちが悪かった。そのときにした返事すらもよく覚えていなくて、きっと冷たい言葉を浴びせたんだろうなと今更ながらに思う。けれどそうでもしないと立っていられなかった、ようやく立て直してきたものがまた崩れ落ちてしまいそうで、とにかく無性に腹が立ったんだ。

「浜田って一人暮らししてんだよな?」
 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ったと同時に夢の世界から帰還した田島が唐突に話を切り出した。田島はそのまま眠たそうに頭をぐらつかせている三橋を案ずる様子もなくガッと三橋の首に腕を回す、すると咄嗟の出来事に息が詰まったようで三橋は数回咳き込んだ。
「あ?そうだけど」
 話をフられた浜田は飲み終えたブリックパックを中身が出ないよう丁寧に折りたたんでいた、律義にも田島と三橋の分まで。それをサンキュ!と受け取ると、田島は教室の端にあるゴミ箱目掛け投げたのだった。キレイに放物線を描いたパックは控えめな音と共にゴミ箱の中へと消える。それを見届けた三橋は小さく拍手を送り、満足した田島は再び浜田に向き直った。
「そいでさ、今日遊びいってもい!?」
「え、いいけど。練習は?」
「今日はミーティングオンリー」
 田島のせいで話が在らぬ方向にいってしまう前に一足先に起きていた泉が横槍を入れた。先程の田島からの攻撃で三橋から零れ落ちた球を拾い掌で弄ぶ。
「ならいっけど。三橋もくんだろ?」
「うお、い、いくっ!」
「んじゃあ終わったら校門前集合な」
 嬉しそうにハイタッチをする田島と三橋を横目にそう言った浜田の顔は泉に向けられていた。それに気付き、思わず手の動きを止める。
「…なんでオレに言うの」
「え。…くるっしょ?」
 田島と三橋が行くならもちろん一緒だよね、なのか、浜田関連のことなんだから泉は当然だよね、なのかはこの際考えないようにして。どちらにしてもこの天然危険物コンビ、浜田一人では手を持て余すだろう。だとしたら。
「…こいつらのストッパーとして、だからな」
「でへ、有難う御座いますぅ」
「てめーウザい」
 浜田の何もかも分かったような笑みに握った球を投げつけてやりたい衝動に駆られたが、既の所で本鈴が鳴ってしまい仕方なく舌打ち一つで我慢する泉だった。

 殺風景な男の一人暮らしを想像していたが、意外とモノが揃っていて浜田一人暮らすのに何も不自由がなさそうに思えた。どれもこれも貰い物がほとんどだよ、と苦笑して言うがそれは浜田の人徳がなせる業でもあり、改めて交友関係の広さを思い知る。たった一つしか違わないはずなのに。
「んじゃおっじゃましやしたー!」
「また 明日、ねー!」
 普段と何ら変わらぬ他愛も無い話であっという間に時間は過ぎ、時計の針が十九時を回った所で田島と三橋は腹が減ったと帰ることにした。
「おー、また明日!」
「泉君 も、」
「おお、気ィ付けて帰れよ」
 じゃあね、と玄関のドアが閉まる直前まで手を振っている三橋に絆されながらも、バタンとドアが完全に閉まると納得がいかないという表情で泉は部屋へと戻っていく。顔に張り付いている不機嫌を取り繕うなんて気はさらさらなかった。
「で?」
「なに?」
「なんでオレは残ってるわけ?」
 田島と三橋が帰るとき、一緒に行くはずだった。元々長居する気なんてなかったし、何より浜田と二人きりにだけはなりたくなかった。それなのにあの少し困ったような顔で懇願されると最終的には折れてしまい、結果、帰りそびれた挙句こうして浜田と二人になってしまったわけで。
「帰りたかった?」
「そりゃ帰りてぇよ。明日も朝練あんだし」
 泉の背の高さにも満たない小振りな冷蔵庫から勝手に牛乳を拝借する。ここへ来てから飲み物といえば、来る直前にコンビニで田島が選んだ濃厚練乳イチゴオレしか口にしていなく、さっきから喉の奥に絡み付いている気がしてならなかった。
「なら泊まってきなよ。別に不自由ないだろ?」
 隣で烏龍茶をコップに注ぎながらサラリと言ってのける浜田に危うく口に含んだ牛乳を噴出しそうになり咳き込んだ。
「…げほ、ッ…はあぁ!?ざっけんな!なんでそーなんだよ!!」
「なんで?いーじゃん」
「よくねえ! オレァ帰るからなッ」
 乱暴に定位置らしき場所に戻した牛乳はパックの注ぎ口から中身が少し零れてしまい冷蔵庫の床を濡らした。お構いなしに泉によって大きな音を上げて閉まる扉、数秒だけカタカタと揺れたのを見て上にモノがのっていたら落ちてきたかもと思う。
 振り返ると浜田がその体格を活かして行く手を塞いでおり、泉を見下ろすその表情から読み取れるものは何一つなかった。
「…どけよ」
「どかない」
「帰るから」
「帰さないし」
「な、ッん、ぅ…っ!!」
 壁に押し付けられた両腕に浜田の指が食い込んで痛い。顔が歪んでしまうのはこの痛みのせいか、それとも強引に重ねられた唇のせいか。呼吸もままならない頭でわかることは、ここにいるのは泉のよく知っている浜田ではないということで、戸惑いから抵抗の色も褪せてきた。
「んっ、んぅっ、ッは、ま…だ」
「…泉はさ、オレんこと好きなんだよね…?」
「そんなん…言わなくてもわか…」
「わかんねぇよ…!!」
 泉の両肩をグッと掴み、信じられないほど苦痛に歪んだ表情を見せた後で浜田は重力に任せ頭を垂れた。目の前でキレイに透き通る金髪が小刻みに震えている様は何だか不自然に思えた。
「泉、最近ずっと機嫌悪いし…オレ、なんかした? このままだとオレ…自信、なくす…」
 弱々しい浜田の声、態度、目の前にある頭、残念ながらどれをとっても泉を苛つかせる材料でしかなかった。
「…んだよ、なんでそーなんだよ!!だったらなんでもサッサと一人で決めんのヤメろよ!!昔っからそうだったよなお前は!勝手に決めて、いつだってオレには事後承諾じゃねェか!!今回だってそうだ…そうやって、また オレを置いてくんだろッ!!」
 熱くなってバカみてェ、感情を吐き捨てている最中でも客観的に見ている第三者の自分が嘲笑う。そう、わかってる、でもさ。
「もう ヤなんだよ…。あんな…オモい、すんのは…」
 浜田に対する素直な感情を押し込め、何でもない体で接している自分にほとほと嫌気がさしていた。けれどそれでも守りたかった、自分の心を。あの日のように壊されたくなかった。
「泉…」
「さわんな」
「泉」
「さわんなって」
 押し退けたはずの手が再び腰に触れ、ふわりと体が軽くなったと感じたときにはもう浜田の広い胸の中に抱き締められていた。鼻腔をくすぐる、浜田の匂い。
「どこにも行かない、ずっと泉の隣にいる。約束するよ。だから、泣かないで」
「……っ、」
「ごめん、不安にさせて」
「は…ま、だ…」
 最後に泣いたのはいつだったっけ、ボロボロと零れ落ちる涙を縋り付いた胸に押し込め、ぼんやりと考える。ああ、そうだ、監督から浜田が野球を辞めたって聞いた中学三年に上がった最初の日、あれが最後だった。それと同時に思い出す。
「甲子園…」
「ん?」
「お前の夢だった」
「あー、はは」
「オレが連れてってやるから」
「いずみ…?」
「ありがとな、援団」

 今頃になってお前が援団を始めた意味に気付いたオレを強く殴って欲しいのに、笑っていいよ、と言うお前はどんだけ人間が出来てんだよとくだらないことを考える。けどそんなわけはないから言っといてやるよ。
「浜田、好きだよ」
 これからはほんの少しだけ素直になるから、だからずっとここにいて下さい、先輩。




(08/04.25)
7878ユキ様へ

7878hit 相方に捧げます。
きちんと浜泉書いたのは初めてです。甘くて切なくて泉がツンデレで〜なリクだったのですが…いかがだったでしょうか。
浜田に置いていかれることがトラウマになっている泉。怪我した時も野球辞めた時も援団やる時も一人暮らしする時も、浜田は一人で決断したんでしょう。それが泉には辛かったんです。相談してもらえない淋しさとか一人で決めてしまえる浜田の大きさとかが。
浜田が援団を始めた理由はメモで書いたものからとってます。泉と繋がっていられるものが欲しかった。
リクエスト有難う御座いました!



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