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スキのその先にあるもの

 誰か一人の人にこんなにも特別な気持ちを持つ日が自分にも訪れるなんて思ってもみなかった。
 朝起きるとお母さんによりも先に心の中でおはよう、と言い、夜はおやすみなさい、と呟いてから目を閉じる。まるで阿部が小さくなって体の中のどこかに住みついているかのように片時も忘れることがない。
 好きな人を好きと思うことは決してマイナスなのではなく、心を満たしてくれるプラスのエネルギーなんだと初めて教えられた。
 付き合い始めて二週間が経つものの、お付き合いというのが具体的にどうすべきものなのかわからないでいる、けれど。
 阿部君は、オレといて 楽しいのかな…。
 ネガティブな思考はそう簡単に変わるものではなく、一度考えついてしまうとドツボにハマっていく。ユニホームの第一ボタンを留めるたところで三橋は頭を左右にブンブン振った。
 今日はアップが済んだらすぐにブルペンに行ける。あの励ましてくれる声を聞けばくだらない不安など吹き飛ぶに決まっている、そう自分に言い聞かせながら駆け足で輪の中へ入っていった。

 阿部の構えたところへ球が吸い込まれるようにキレイにキマる。元々コントロールには自身のある三橋だったが、阿部と付き合い始めてからというもの、以前にも増して良い球が投げられるようになったのではないかと思い始めていた。
 マスク越しに突き刺さる視線に集中力が高まる。
「オッケー!ナイスボール!」
 はッ、と短く息を吐き帽子を取ると、蒸されてふやけた髪の毛に生温い風が気持ち良い。
「今日すっげ調子いいな!」
「う、うん。よく寝たから かも」
 阿部が今日はこれでしまいな、とヘルメットを脱ぎ三橋の正面に立った。
 面と向かって褒められるのは正直まだ慣れていない。けれど阿部の言う言葉には素直に頷けるようにはなった。
「だからいつもよく寝ろっつってんだろ」
 わかったか、表情やわらかに阿部の手が三橋の頬に伸ばされ触れそうになる。それに気付き、三橋はドキドキとうるさい心臓にキュッと目を閉じた。しかし待てどもその手は触れることなく直前で止まり、三橋が目を開けるとバツが悪そうな阿部が何か考えているようで。
 阿部の行動に戸惑う三橋に黙ったままの阿部。
「…集合だ、行くぞ」
「う ん…」
 その場の何とも言い難い空気を動かしてくれたのはベンチから聞こえた花井の声だった。

 学校での楽しみベスト3に入る昼休み、なのに気が付いたらもう残り五分となっていた。慌てて手元を見ると弁当はしっかりと食べていたのだけれどよく思い出せない。
 しかも顔を上げれば田島、泉、浜田の三人はTシャツにジャージ姿で。しまった、次体育!とさらに驚かされてしまったのだ。
「どーした、三橋!」
 前半だけで一人で6点もとってしまい「お前がいると試合になんねェ」とピッチからさげられてしまった田島が、木陰で丸まっている三橋に駆け寄ってきた。
「たじま くん」
 顔を上げた三橋の表情の暗さにも動じず、田島は三橋の隣に軽快に座り込んだ。
「元気ねェ?」
 横から覗き込むようにじぃ、と見てくる田島に、三橋はほんの少し居心地悪そうに膝を抱えた。
「か、考えごと…してて」
「考えごとぉ?」
 良き理解者である田島には、三橋もまとまりのない胸の中のモヤモヤでも話すことができる。
「あ、朝練んときに、阿部君 が オレに…さわろうとし、したんだ。で も、さわんなくて。オ、オレは、ドキドキして た から、さわって欲しかった んだと思う。よく わからない、けど」
 触ろうとしてやめた。やめたのは何でだろう。何であんな顔してたのかな。考えれば考えるほど胸がチクンと痛みを訴え続ける。朝起きたときのフワフワした気持ちが懐かしくて仕方なかった。
「ばっかだなー!そんなん簡単だって!」
「…う ぇえ!?」
 田島はスク、と立ち上がり、三橋の前で足を大の字に広げオーバーに片腕を回した。それから校舎裏に視線を向けたかと思うと何かを発見したらしく、ニカッと笑い三橋に指を突き立てた。
「見てろ!?はないぃーーーーー!!」
 三橋の返答も待たず、スタートダッシュをキメて一目散に校舎裏の渡り廊下へと走っていく。その先には教室移動のためなのだろう、花井が一人で歩いていた。
 すごい勢いで駆けて来る田島に気付いた花井はギョッとするも即座に反応できるわけもなく、強い衝撃を背中に受けてからタックルされたのだと理解した。反動で持っていた教科書をバサバサと落とし、いつまでも背中にしがみ付いている田島を振り落とそうと躍起になる。そしてようやく離れた田島の頭をゴンッ!と音が聞こえそうなほどの強さで殴り付けた。
 あまりの痛さに頭を抱え込み、さらに花井から説教されている田島だがしばらくするとえへへー、と顔を上げて花井に笑いかけた。その目にはうっすら涙が浮かんでいたが。
 意表をつかれた花井だったがキョロキョロと周りを気にする素振りを見せ、それから一つ大きなため息をつき田島の頭を撫でた。
 さっさと行こうとする花井を背に、田島は三橋に向かってブンブンと手を振ってきた。あ は、と小さく手を振り返し、一息つくと両足を伸ばし前に体を曲げた。

 田島が何を伝えたかったのかよくわからなかった三橋だったが、田島の行動力には尊敬すべきものを感じずにはいられない。
「田島君は スゴイな」
 うーんと伸びをし、すでに田島達の姿がなくなった渡り廊下に視線を戻すと阿部が歩いてくるのが見えた。
「オ、オレもやる ぞ」
 田島に触発され、勢いよく立ち上がるとそのまま阿部に向かって走り出す。田島ほどの威圧感がない三橋に阿部は気付くことなく、わき腹にタックルをくらってから三橋の存在に気付いた。
「な……っ、み はし…?」
 ふわふわと揺れる色素の薄い髪の毛が阿部のわき腹にギュウゥ、としがみついている。
「あ、阿部君 オ、オレ…」
 名前を呼ばれ、阿部を見上げた三橋の顔は抱き付いたときにぶつけたのか、鼻が赤く涙ぐんでいた。
「……っ!!」
 抱きつく三橋の腕を強引に剥がすと阿部はその腕を引き、渡り廊下を外れ校舎裏に方へ歩いていく。
「うぁ、あべく…」
 黙々と歩くその背中に知らず知らず不安が増す。それなのに阿部の掴む手がやさしいから余計に不安材料となり三橋を焦らせた。
「なに考えてんだよ!!」
 非常階段の下、余程のことがない限り人がくることはない。
「ご…ごめ…なさい…」
 ショゲている三橋の頭を大して痛くもないウメボシが襲う。自分なりに頑張ってスキンシップをとろうとした結果がこれでは落ち込むのも無理はない。肩を落とし涙目の三橋を見て阿部はため息をついた。
「で、なンかあった?」
「……え?」
「なンかあったからあんなんしてきたんじゃねェの?」
 腕を組み、壁に持たれかかりながら聞く阿部。その落ち着いたトーンに少し安心した三橋は思っていることを素直に言ってみる。
「あ、阿部君 に、さわりたかった…から」
「んん?」
「だ、って、阿部君から は、さわってくんない…よね?」
 Tシャツの胸元をキュウと握り締めながら、本当は口にするだけでもチクンと痛む。それでも阿部に伝えたいことがあった。
「いや、それは…」
「だ から、オレが阿部君 にさわる よ!」
 それならいい?と真剣な表情で想いを伝えた。あまりの緊張から呼吸が速くなり、何度か短く息を吐く。
「…さわりたくない、わけじゃねェって」
 三橋の本心を聞けたのが嬉しいのか、はたまた気恥ずかしいのか、阿部はポリポリを頭を掻き視線を逸らした。
「そ なの…?」
 全身からかわりませんオーラを出して見つめる三橋。無意識に伸ばした指先は阿部のシャツの裾を掴んでいた。キョトンとした表情にそっと掴まれたシャツ、こんな仕草だけでも自分を沸騰させることのできる三橋を阿部は心の中で少しばかり呪った。
「我慢、できなくなっから」
 さわるだけじゃ…、そう続けたはいいが余りの恥ずかしさに空中を仰ぐ。
 そんな阿部の姿が目に入っていないのかどうなのか、三橋は遠慮がちに掴んでいたシャツをギュッと握り直し、阿部を見つめる顔に力を入れた。気が付けばさっきまで全身を覆っていた不安が嘘みたいになくなっていて。
「いいよ!オレ それでも…!」
「…はああ!?」
「だっ て、オレは あ、阿部君の…」
 さすがに恥ずかしくごにょごにょと語尾を濁し、しまいには肝心の阿部の耳に届いているのかわからない。
「はー…、お前もうしゃべんな」
「…!ご、ごめ」
 気持ちが舞い上がってしまい、慣れないことをしたものだから怒らせてしまったのかもしれない、そう思い肩をビクと揺らした。その肩を掴まれたのが先か、それとも顔が近付いたのが先か、考える間を一瞬も与えられることなく阿部の唇が三橋の唇に触れていた。
 軽く音を立てるでもなく、お互いの存在を確かめ合うような深いものでもなく、それは手と手を合わせるように唇と唇を合わせたもの。
 これはキスなんだと認識できたときには、辛うじて焦点の合う距離にまで阿部の顔が離れていた。
阿部の瞼がゆっくりと下がり、もう一度、今度は目に見えて唇が近付いてくる。
「…目くらいつぶれって」
「う、へ…」
 言われてゆっくりと目を閉じた。一瞬だけ目の閉じ方を忘れてしまったけれど。
 阿部の匂いで全身が包まれ、背中に回された腕が気持ちよくてクラクラする。しっかりと立っていられるように三橋も阿部の背中に腕を回した。
 さっきよりも唇の触れる面積が広く、キュと挟まれたかと思うと軽く吸われ、離したときには小さく水音がした。三橋が真っ赤に染まった顔で照れくさそうにチラ、と阿部の顔を見ては視線を逸らす。
「…ウ、ヒ」
 口をついて出たいかにも浮き足立った声に、なんだそれ、と阿部は呆れながらも笑う。だって幸せだから、とたどたどしく言う三橋に「ばーか」と言いながら阿部は三橋の頬を抓るマネをした。




(08/04.01)
初キス

ちなみにこれバッテリーのファーストキスですよ!
2週間も我慢してた阿部の苦労も三橋にかかれば脆くも崩れ去ります。予想外に積極的なうちの三橋。



あきゅろす。
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