最重要事項
「小太郎さん、珈琲…あ、ごめんなさい。」

ノックをして部屋に戻った後、ついついいつもの癖で彼を名前で呼んでしまった

今日からは社長と呼ぶべきだ、幾ら親しい仲とは言えそれは少し前までで今の彼は私の上司に値するんだから

もう一度謝罪を述べて、なるべく音を立てずにカップを机に置いて少しだけ後ずさる

「…どうしたの?」

「だって、いつもみたいに呼んじゃって…いえ、御呼びしてしまって…。」

「ああ…そんな事。」

そう言った小太郎さんは口元を掌で押さえてクスクスと笑うから、私は赤くなった顔をお盆で隠した

私にとってはそんな事、で済まされる事では無いのに笑うなんて酷い

以前の会社をお荷物として捨てられた私には、拾ってくれた彼に対しきちんと敬意を払いたい

だからこそ言葉遣いにだって気を付けているし、今後は秘書の資格を取ろうかとも考え中だ

「別に、良いのに。」

「だ、駄目です。こた…社長は、社長、ですから。」

「社長命令、いつも通りに。」

「………ずるいです。」

社長命令ならば従うしか無い、きっとそれを分かっているから今も彼は楽しそうに笑っているんだ

でも正直助かったかも知れない

だって堅苦しいのは苦手だし、呼び名一つ変わるだけで壁が出来た気がしていたから

「…美味しい、ありがと。」

「えへへ。良かったです。」

一口含んだ後、彼が口元を緩めてそう告げてくれたので胸を小さく撫で下ろした

多分佐助さんの口にもあったから問題無い筈、きちんと作れていて本当に良かった

何せ隠し味に塩が入っているもんね!!

お婆ちゃんが昔おはぎを作りながら言っていたもん、隠し味に塩は欠かせないよって!!

「佐助さんにも差し上げたんです。」

「…佐助に?」

「あ、給湯室に居られたので。」

「…何で?」

どうしてだろう、突然小太郎さんの雰囲気が変わった気がする

何でって言われても、お世話になる身だからそのくらい事はしておかなきゃって思っての事だし…

蛇に睨まれた蛙のように、私は彼から少しだけ離れた場所で身を硬直させて小さな頭を悩ませた

どう答えたら良いんだろう、怒られている気もするけど…小太郎さんはそういう人じゃあないし…

「…だ、駄目でした?」

「なまえは、誰の?」

カチャリとカップを机に置いて、彼は頬杖をついて私を見つめてそう言った

誰のって、それは言い方、捕らえ方によってはアレな発言じゃあないだろうか

恐らく誰の秘書って事を聞いているんだろうけども、その質問の仕方だと彼の秘書だと意味を分かっていても答えるのは難しい

何より、恥ずかしくて言えるわけがない

「分からないの?」

「…あう、こ、小太郎さんの、です。」

咎められるように言われては答える他無くて、自分の発言にすぐさま頬に熱が集まった

秘書、と付け足せば良かったのに…私の馬鹿!!

これじゃあ私自身が小太郎さんのだと主張しているようなものじゃないか

恥ずかしい、穴があったらダイブしたい、そのまま三年くらい放置して欲しい

「分かっているなら、もう駄目だからね。」

「は、はい。ごめんなさい。」

深く頭を下げて、自分自身に今後二度と小太郎さん以外に珈琲を出さない事を言い聞かす

もしかしたら佐助さんにも専属の秘書が居て、私が余計な事をしてしまったのかも知れない

社長補佐だもんね、秘書が居たっておかしくないし、彼の秘書さんの仕事を奪ってしまった可能性だってある

私は小太郎さんの秘書だから、私がミスをすれば小太郎さんに迷惑がかかるんだ

その事を忘れないようにしなきゃ

「…座らないの?」

「へあう?すすす、座ります。」

もういつもの小太郎さんに戻っているから、少しだけ調子が狂う

それとも最初からいつもの小太郎さんで、私の気の所為だった?

どうも昨日からおかしいとは思うけれどやっぱり私の気の所為なのかも、きっとそうだ

「なまえは、俺だけの、だよね?」

「は、い…っ!!」

席についてすぐ、彼が私を覗き込んで嬉しそうに恥ずかしい事を確認するから裏返った声で返事をしてしまった

俺だけの、なんて…っ!!

馬鹿私、そうじゃないよ、小太郎さんだけの、秘書って事で…うわぁああ、もう帰りたい!!

「…良い子。」

「………。」

クスクスと嬉しそうな笑いを漏らして私の頭を撫でる彼に、私は何も言えず持ったままだったお盆を強く両手で胸に抱いてこの場をやり過ごす事に専念した


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