もしも二人が賭けをしたら
「なまえ、覚悟は出来ているんだろうな。」

一週間の終わりである日曜日、私の彼氏基ストーカーである風魔君はとても機嫌が悪くてストレスは爆発寸前

久しぶりに自宅に訪れてみれば玄関を開いた途端不機嫌を露わにし、はぁと深い溜息を漏らした

長い前髪で隠された二つの瞳の下には濃い隈が浮かび、少しやつれている

その原因を知っている私の営業スマイルは引き攣り、心臓は恐怖で破裂寸前

叱られるような事はしていないけども、これからの展開を考えると身が硬直する

「あ、あはは…風魔君、凄いね。一週間、達成出来たんだぁ…。」

先週の日曜日、私は彼にこう言った

『ねぇ風魔君、賭けをしようよ。』

突拍子も無いその発言に彼は眉を顰めたが詳しく話をするにつれて頬を緩め、最終的には首を縦に振った

賭けの内容はこうだ

私への執拗なメールと電話と恐怖の監視を我慢出来たら、御褒美として何か一つだけ私が彼の願いを叶えてあげる

決められた期間は先週の日曜日から今週の日曜日、つまり今日で終わり

何故私がそんな賭けをしようと言ったのか、それはあまりにも異常な彼のストーキングに恐れを成したからだ

メールは返信するまで送信し続けられ、着信は出るまで発信させられ続ける

どちらも無視していると窓の方から視線を感じ、隣家の屋根から此方を監視している彼と目が合う

いい加減これでは駄目だろうと悟った私は彼の更生を考え、そんな賭けを試みた

ちなみに彼が負けた場合、罰として一週間毎日駄菓子屋で私に奢るのが条件

結果は彼の圧勝

負けたくないから彼にとって一番辛いであろう条件を出したのに、私はあっさり負けてしまった

「…頭痛がする。」

「………寝たら?」

私の腕を掴んで自室へ連行させた彼はベッドに腰かけ、当たり前のように私を膝上に乗せた

監視やメールと電話での接触が禁じられている間、私が何をしているのかを気にしてばかりだったようだ

あまりにも気にし過ぎた所為で一睡も出来ずになり、今では完全な不眠症

睡眠を取ろうにも取れなくなってしまったので私の提案には何度か首を左右に振り、二度目の溜息を漏らす

不眠症となった原因はストーキングを禁じられたから…なんて、情けない話だ

「体調が優れないようだし…私、今日は帰るね。」

「…誰の所為だと思ってる。」

立ち上がって逃げようとした私の腰に腕を回した彼は逃走を阻止して、肩へ顎を乗せた

がっちりホールド状態、これでは逃げられない

そもそも不眠症となってまで勝利を手にした彼が、提案者である私を逃がすわけもない

きっと彼はキスして欲しいとか、脱げとか、そういうヤラシイ願望を口にするだろう

『あれはね、全部冗談だったの。』

『風魔君を更生させる為に言い出しただけで、私からの御褒美は無いよ。』

『一週間我慢出来たんだから、これからはずっと我慢してね。』

と、言える状況ではないと重苦しい空気から判断出来る

どうしようかと迷いながら私は足をブラブラと揺らし、すぐ傍にある彼の顔を覗き込んだ

勝手に前髪に触れて目元を晒すと酷い隈があり、私まで溜息を漏らしてしまう

どんな願いを叶えさせようとしているかはまだ知らないけれど、何もそこまで頑張らなくても良いじゃないか

「なまえ、キスして。」

「………甘えんぼー。」

「…、早く。」

体を反転させられたと同時に彼が願望を口にして、逃げられないようにと更に腕の力を強めた

キスを求められるのは予想通り、予想通り過ぎて笑いが出そうだ

キスなんて、ちょっと互いの唇が重なるだけの簡単な行為

どうしてそこまでキスをしたがるのかが分からないし、簡単な行為だと言いつつ恥ずかしがっている自分が情けない

ちょっと触れるだけで、手を繋ぐ行為に比べると接触時間はとても短い

一瞬でも触れればキスはキス、赤く染まった頬を指摘され笑われる前にさっさと済ませよう

「………首、赤いな。」

「うるさいやい!!」

お腹にグッと力を入れた私は覚悟を決め、両手で彼の目元を覆って一瞬だけのキスを実行した

ふれた時間はほんの一瞬、一秒にも満たない

終えてすぐに顔を遠のけた私の首に、彼は指先を這わせてクスクスと笑う

腹立たしいったらありゃしない、私がどれだけの勇気を出して致したと思っているんだ

たった一瞬触れただけでも寿命は確実に3年は減って、余計な指摘を受けて益々熱が上がる

高熱を出して死んでしまったら、毎晩彼の枕元で胡坐を掻いてブツブツと愚痴ってやる

「と、兎に角、これで御褒美は終わりだからね!!」

「…俺はまだ、賭けでの褒美として何が欲しいか、言ってない。」

「は?いやだって、今…キスしてって、言ったじゃん。」

「そんなの、いつもの事だろ。なまえが積極的なのは、珍しいけど。」

言い終えぬ内に彼はニィと笑い、あやすように私の頭をポンポンと優しく叩いた

ちきしょう、まんまと彼の罠にはまってしまった

怒鳴ろうにも確認をしなかったが私が悪い、そう言われるのは分かり切っている

なので私はやり場の無い怒りを静めようと、彼の頬を思いきり左右に引っ張ってやった

ペテン師め、この私を騙すだなんてどういうつもりだ

罰として明日からは毎日放課後には駄菓子屋へ寄って、きな粉棒を買って貰わなきゃ気が済まない

「…御褒美に、何が欲しいの。」

「言ったら、なまえは俺を殴る。」

「…私、風魔君を殴った前科は無いよ。多分。」

「色々と妥協するから、髪を乾かして欲しい。」

「よっぽどヤラシイ願望があった、そう受け取っても良い?」

私の確認を無視して、彼は珍しく大きな欠伸を漏らした

つられて私まで大きく口を開け、欠伸によって目尻に浮かんだ涙を袖で拭う

彼がどんな願望を抱いていたのか、それはこれ以上寿命を縮めない為にも聞かない方が良い

髪の毛を乾かす程度なら簡単で、恥ずかしい思いだってしやしない

それにしても、変な願望だ

彼は他人に髪の毛を触れられるのを極端に嫌い、カットはいつも自分でする

唯一触れるのを許されるのは私のみ、下らない自慢だから人には言えない

私だけが許されるからって、折角の御褒美でブローを希望するなんておかしい

他にもまだ何か企みがあると、念の為に覚悟していよう

「…少し、待ってろ。」

「何処行くの?」

「シャワー。」

「………あぁ、行ってらっしゃい。」

私を抱えてベッドの淵へ下した彼は立ち上がり、箪笥から着替えを手に取りドアの方へと進んだ

御褒美は今夜結構、ではなく今から

ドアの向こうへ消えた彼を見送った私は暫くは動かず、ドアを睨み続ける

そして彼が戻って来ないと確信した上でベッドから飛び降り、捜索を開始

此処は彼の自室、それなのに何故か漁れば漁るだけ私の失くした私物が現れる

アルバムは何度奪還しても気が付けばまた無くなっているから、とうの昔に諦めた

諦めきれないのは布団を捲った途端現れた私の愛用抱き枕とか、知らぬ内に盗撮された写真の数々

「リップクリームまで…これ、ちょっと高かったのに…。」

鍵のかけられていない引き出しからはつい最近失くしたリップクリームが現れ、キャップを外すと少しも量は減っていなかった

多分、使用してはいないのだと思う(かなり多分)

主の居ない部屋を荒らす、これは法的にもアウトな行為

だけど私だって散々彼に荒らされ、沢山の私物を奪われている

仕返しなんだから、問題にはならない

大きめのバッグを持参したのは正解、奪われた盗品の半分は持ち帰れそうだ

…すぐにまた、盗られるだろうけども

「あ、おかえりー。」

「…何をしていたんだ。」

彼がシャワーへ行き、私が私物の半分と少しを奪還した15分後

部屋に戻って来た彼の肩にはタオルがかかり、髪の毛は半乾き

戻ってくるなりの発言に私の肩は小さく跳ね、ヘラリと笑って誤魔化した

彼が部屋を出た時と同じで、私が腰かけているのはベッドの淵

両手には彼の幼少期のアルバムがあり、誰がどう見てもアルバムを鑑賞中

パンパンに膨らんだバッグには、最後まで気付かないと祈るしかない

「何をって?別に?何もしてないけど?」

「………。」

「ほ、ほんとだもん…私、何もしてません。」

「…分かったから、これ。」

「りょーかい。」

無言での尋問に私は焦り、視線を泳がせた

だが彼はしつこく問い詰めようとはせずにコンセントのささったドライアーを手渡し、私の隣へと腰かけた

御褒美スタート、わざわざ今シャワーを浴びなくても夜で良かっただろうに

なんて思いながら私はドライアーを持って彼の背後で膝立ちとなり、ブラシを使わず手櫛で髪の毛を整えた

普段はフワフワでサラサラヘアーが今では濡れてペッタンコ、少しだけ身長が縮んだようにも見える

横から覗き込んだ顔にはいつものフェイスペイントが無くて、大人びた印象を得た

フェイスペイントがあるか無いかでこうも印象が変わるなら、佐助君もそうなのだろうか

「じゃ、始めまーす。」

「…ん。」

コクンと頷いたのを見届けてから電源を入れ、ブローし始めた私は自分の指先に目を向けた

数日前に彼が爪を切ってくれたので、頭皮を傷付ける心配は無さそうだ

羨ましく、妬ましい事に彼の髪の毛は本当に綺麗、としか表現出来ない

枝毛は一本も無く、無敵に素敵なキューティクル

細いから簡単に乾き、ブラシを使わなくても手櫛だけで普段の髪型が整えられる

私は毎朝毎朝鏡を睨みながらドライアーやミストで寝癖と戦っているのに、この差は何だ

「…そういう事か。」

完全に乾いた髪の毛に指を通して遊んでいる途中に、私はやけに大人しい彼の顔を覗き込んだ

するとそこには幼い寝顔があり、口元に掌を近付けると小さな寝息が触れた

彼はがブローを希望したのは、不眠症を改善したいから

初めてブローしてあげた時も眠たくなるとか言って、ウトウトしたのを覚えている

要は寝かしつけて欲しかった、そういう事だろう

季節的に温かいから布団をかけずこのまま放置はオッケー、ただ座ったままなのでどうにか体を横にしてあげたい

カクンと首を折って床に落ち、その衝撃で起きてしまうのは可哀想だ

とは言え、自分より体の大きい彼の体制を変えるのは至難の業

背中を引っ張り、上半身だけでもベッドに埋めた方が良いかも知れない

「…ごめん、起こした?」

「………まだ、半分起きてる。」

肩を掴む前に彼がゆっくり顔を上げ、眠そうな表情で此方に振り向いた

反応は遅く、一瞬でも目を反らせば眠ってしまいそうだ

起きているなら都合が良い、きちんと自分で横になるように言って私は帰ろう

「風魔君、私は抱き枕じゃありません。」

しかしウトウトとしている彼は私を右手で抱き寄せ、左手で布団をかけた

これは絶対にわざと、最初から寝惚けていないとも考えられる

本当の目的は一緒にお昼寝、今更になって気付く鈍い自分が憎い

布団の中は彼の香りがして、シャワーを浴びたばかりだからシャンプーや石鹸の香りも混じっている

まんまと私を罠にはめた彼に腹は立つが、フローラルな香りに怒りが癒されてしまう

「…寝てるから、聞こえない。」

「………まぁ、良いけどね。」

下手な言い訳を最後に、彼は一瞬で眠りに落ちた

極稀に私が此処へ(強制的に)宿泊する時、先に眠ってしまうのは私の方

彼が先に眠ったのは今日が初めて、一週間も眠っていないとなれば当然だ

不眠症の再発を防ぐ為にも暫くはストーキングを見逃し、彼にとっては当たり前の行動を取らせておこう

「…おあふみ。」

欠伸を交えながらの言葉に返事は来ず、私もすぐに眠りへと落ちてしまった

こんな休日の過ごし方も、たまには悪くないだろう

『うぁ、もう夜じゃん!!』
『…泊まれば良いだろ。』


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あきゅろす。
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