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2-9.


繰り返されていた私の思考を止めたのは、一発の銃声。




渇いたそれは森によく響いて、一瞬で平和を引き裂いた。


瞬時に飛び退いたセシルが庇うように私を背中側に回して、同時に先ほどの拳銃をホルダーから抜いた。


セシルの背中越しほんの一瞬前まで立っていた場所を見ると、下生えが深く抉られていて、黒い土が露わになっていた。



「――どうやらさっそくの登場のようですね」



ぽつり、と私だけに聞こえる小声で呟いたセシル。



相手の姿も見えないこの状況、尚且つ狙撃されていると言うのに、不思議と彼からはほんの少し前に感じた緊張はもはやない。


銃口を下に向けて両手で構えるその姿は、例え今彼の背中しか見えなくとも今までからは考えられないほど雄々しく、まるで別人みたいだ、と思った。






「――白兎が『アリス』を連れてるって噂は本当だったんだ」





森の奥からまっすぐこちらに向かって歩いてくる影が見えて、私はセシルと共にそちらに視線を集中させる。


ゆっくりと時間を取って、2人分の視線を浴びながら姿を現したのは、背の高い若い男。黒い燕尾服に黒いシルクハットで、髪すらも闇のように黒い。
その下から覗く2つの光だけが鮮やかに青く。


左目の下に、まるで涙のように黒いスペードの刺青があるのが辛うじて見える距離。


右手に持ったステッキで体を支えて、左手に艶のない濃紺の拳銃を提げていた。殺気に満ちた空気のこの場に対し、男の余裕の態度はすこぶる似つかわしくない。


「だから何ですか。貴方には一切関係ないでしょう?――アリスを裏切って女王に寝返った貴方には」


私に話し掛ける時とは明らかに違うセシルの声。右手にした拳銃の銃口を男の眉間の高さに構え、引き金に指を掛ける。



相変わらず気怠そうな雰囲気の男は、いつ撃たれてもおかしくない状況に置かれてもそのスタンスを変える気はないらしい。



「裏切っただって?それは心外だね。 オレはアリスに従っていた覚えはないし、女王に寝返ったつもりもない」



拳銃を提げたまま右の手の平を上に向けて、わけが分からない、と言うように大袈裟に呆れてみせる。



「では一体何の用なんです?礼儀のひとつもわきまえずに突然現れて道を塞いで。アリスに危害を加えるつもりならば、僕は容赦しません」



瞬きすら忘れて男の一挙一動を見つめるセシルの眼光は研ぎ澄まされた白刃のように鋭い。斜め後ろからでさえ背筋に冷たい汗が流れると言うのに、正面から一身にそれを浴びているはずの男には緊張も微塵の恐怖も感じているようには見えない。


男の言動は未だ不明で、相当なやり手なのか、ただ鈍感なだけか、区別は付かないが。


「アリスにも女王にも付くつもりはないし、これから先も従う気はないよ。オレが信じるのはいつだって自分自身だけ。――だからオレはオレのしたいようにアリスを殺したいのさ!」




薄ら寒くなるような笑顔を浮かべた男は突然、今まで体重を預けていたステッキを放り投げ、弄んでいた拳銃を両手で構えて――否、それは未遂に終わることとなった。


男が腕を上げて銃を支えるより僅か一瞬、セシルの方が速かった。


黒い銃口から人には到底目で追えないスピードで飛び出した弾丸は、濃紺の銃身に見事に突き刺さり、高い音を立てて男の手の平から拳銃を弾き飛ばした。




「! ちっ、」




舌打ちした男が咄嗟に身を翻して草の上に落ちた拳銃を拾おうと手を伸ばす。そのグリップが指に触れる前に、こめかみに黒い銃口が突き付けられた。


そのまま惰性で土の上に膝を落とした男と、次弾を装填した銃を構えるセシル。



その場から数メートル遠い、腰が抜けて座り込んだ私の位置からでも形勢は明らかだ。


男の額から汗が一筋伝って、顎から地面に落ちて小さな模様を作った。



緊張の糸がほぐれたかのように大きく息を吐いて目を伏せたまま、男は両手を肩の位置まで上げて降参の意を表した。




「勝負あり、ですね」




微笑を口元に湛えたセシルは突き付けた銃口はそのままに、私を振り返った。


「アリス、」



彼が名前の最後の音を唇に乗せた時、彼ごしに先ほどまで伏せ目がちだった男の背筋の凍る笑みが見えた気がした。


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