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ピアニストの苦悩  【設バン】
 


最近、設楽先輩の機嫌がよろしくない。
話しかけてもああ、とかうん、とか心ここに非ずといった返事と、重いため息が会話の中に増えている。
これは、機嫌が悪いというよりも、何か困ったことが先輩に起きたんだろうか。






「何か、悩んでるんですか?」
昼休み、吹奏楽部の練習の後、ピアノの鍵盤に触れてじっとしている先輩に、恐る恐る聞いてみた。
いつも以上に眉間にしわが寄っている。
先輩の怒りには正直触れたくないが、悩んでいるなら力になってあげたい。

先輩はふと顔を上げ、私の不安に思う気持ちをくみ取ったのか、鍵盤に置いていた手を、ぽん、と私の頭に優しく乗せた。
しかし、発した言葉はひどい物言いで。
「お前に言っても、どうせ解決しない。心配しても無駄なだけだぞ。」

不敵な笑みでそう言われ、私は少し呆然としてから、頭に血が上ってしまった。

「あのですね、悩んでいる訳を聞かされない内から、どうせ、で片付けるのはやめてください。もしかしたら、解決とまではいかなくてもきっかけ位にはなるかもしれないじゃないですか!」

捲し立てるような様に、設楽先輩は赤い目を丸くしている。
その表情をみて、早口と大声が過ぎたことに気づき、激しく後悔したがもうすでに遅かった。
ほとんど言いたい事は言ってしまった。
顔から耳まで赤くなっているのが鏡を見なくても分かる。
私は取り繕うように、「私はただ・・・またいつものように得意顔の先輩に戻ってほしいだけです。」
と、消え入るような声で付け加えた。




「お前、赤くなったり青くなったり・・・!ああ、悪い。はなから期待してない、って言い方だったな。悪かった。」
本当にその通りだ。
でも、(なんだか釈然としないが)先輩は私の一連の言動にひとしきり笑ってから、ちゃんと謝ってくれた。

それから神妙な面持ちになって、「フランツ・リストの曲が、どうしても弾けないんだ。」
と小さく言った。

「鬼火も、ハンガリー狂詩曲も、どれも弾き切ることが出来ないんだ。難しい曲だって割り切ろうとしても、今までピアノから離れていた分を取り返そうと焦って、益々駄目になる。」
自嘲的な笑みを浮かべながら、先輩は心の内を吐露してくれた。
先輩のこんなに自信の無さげな表情を見るのは初めてだ。

(焦らなくても大丈夫です)
(練習を続ければ、いつかきっと弾けます)
そんな陳腐な励ましの言葉が浮かんだけれど、そんな事は先輩が一番分かっている。
言ったところで何も解決しないだろう。
自分がひどく情けない。結局、先輩の悩み事をただ聞いただけだ。
解決の糸口すら見つけてあげられない。
でも、先輩の予想通りにはなりたくなくて、頭の中でかける言葉を考えていると、「何だろうな、リストとはどうも仲良くなれそうにない。」
なんて、先輩が更に弱音を吐いた。


・・・だから、そんな辛そうな顔しないで欲しい。
「ありますよ。先輩が弾けるリストの曲。」
気づいたら口がそう言っていた。
それだけ何とかしようと無我夢中で言葉を探した末、ハッタリのような言い回しになってしまったけれど。
「何言ってるんだ。本当に一つもない。どれも満足に弾けないんだ。」

「いや、あります!前に放課後残って練習していた時、弾いていた曲・・・。道化師の朝の歌。連打音が続いて、早く指を動かす曲です。あんな難しい曲、先輩は弾き切ってるじゃないですか!先輩が聴かせてくれて、好きになって覚えたんです。あれもリストの曲ですよね?」

再び捲し立てるように言って、先輩の目を丸くさせる。
デジャヴだ。またやってしまったと思いはしたが、今度は恥ずかしいとは思わなかった。
むしろ先輩の悲しそうな表情を変えることが出来て安堵する。
 一方、先輩は驚いた後、不敵に笑っているような、呆れているような、どちらにもとれる顔になった。
そこは、そうかその曲があったのかと納得する所じゃないのか。
予想外の反応に戸惑っていると、「・・・あのな、言っておくが、道化師の朝の歌を作曲したのはフランツ・リストじゃない。ラヴェルだ。お前、吹奏楽やってる身として恥ずかしいぞ。」
と、言い放った。


「え・・・そうなんですか?!」
最悪だ。よりによって間違えた知識で励ましてしまった。
羞恥で自然と火照った顔が俯く。
こんなことなら最初に浮かんだありきたりなセリフを言った方がまだマシだったかもしれない。
いや、どっちにしても、満足に先輩を元気づけられなかったかもしれない。

段々と思考がマイナスに陥って項垂れていると、突然先輩に体を抱きすくめられた。

「な、先輩?!」
驚いて体が硬直する。
設楽先輩が私を抱きしめてくれている。
その事実に脳まで強張ったようで、上手く頭が働かない。

先輩はくつくつ笑っていて、私の動揺を面白がってるらしい。
人の気も知らないで、なんて人だ。

「お前の百面相が面白すぎる。下手なお笑いコントよりも面白いぞ。それだけでも元気が出たっていうのに・・・。お蔭で大切なことを思い出せた。解決のきっかけが見つかったかもしれない。」

 私を抱く先輩の腕に力がこもる。
それが嬉しくて、お返しにと先輩の体に手を回したら、急に肩を押されて引き離されてしまった。

「先輩、肩が痛いです。」
あと顔が赤いですよ、というのはお互い様なので言いよどんだ。
「悪い。だけどお前からそうされるのはどうも慣れない。自分からならいいんだが・・・。」

なんだその理不尽な言い訳は。
でも確かに、抱き返すなんて初めてしたから、驚かれても仕様がなかったかもしれないけれど。





「大切なことって、どんなことですか?」

「ああ。・・・道化師の朝の歌を、練習してた時期の事を思い出した。小5くらいだったかな。難しい曲だったが、明快なリズムとどこか不気味なメロディーを弾くのが好きで、夢中になって弾いていた。その頃の俺は、たとえ弾き切れなくても、少しずつ上手くなる感覚を楽しんでた。」

先輩は嬉しそうにその時の事を話してくれた。
ラヴェルを早朝から弾いて、使用人を飛び起させたことを話すときなんか、更に嬉々としていた。
楽しそうな先輩に、なんだか私まで嬉しくなってしまう。
先輩が完璧に弾く曲には一つ一つ、完璧に弾けるまでの思い出があるのかなあ、なんて考えて、温かい気持ちになった。

「リストを弾くときは、私に拙く励まされた事を思い出してください。間抜けにラヴェルと間違えたことも。」
そう言うと、先輩は肩を竦めて、「それいいな。リストのことが、少し好きになれそうだ。」
と、子供みたいに笑った。







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あきゅろす。
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