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他愛もない日常 【設バン】
すっかり暗くなった夏の夜の帰り道、散歩ついでに美奈子を家まで送っている時だった。
取り留めのない会話の中で、「設楽先輩は、口笛吹けますか?」
と何の脈絡も無しに彼女が聞いてきた。

「・・・口笛?ああ、吹けるぞ。小さい頃使用人に教えてもらった。」
「そうなんですか?私は全然吹けなくて。少し羨ましいです。」
そう言って、唇を窄めて吹き真似をしている。
それを見てふとあの言い伝えを思い出した。
咄嗟にやばいと肝を冷やしたが、音色は幸い出なくて、聴こえるのは空気の漏れる音だけだ。

危なかったと胸を撫で下ろす。
「美奈子、口笛の練習は昼間だけにしろ。もし今口笛を吹けでもしたら、蛇が出て襲ってくるかもしれないだろうが。」
そう真剣に忠告すると、彼女は少し固まった後にけらけらと笑い出した。

 「失礼だな。人がせっかく・・・。夜口笛を吹くと蛇が来るって親御さんに教わらなかったか?」
「あはは・・・先輩、何言ってるんですか。それは迷信ですよ。前から思っていたんですけど、先輩は変なことを信じすぎです。タンポポとか、宇宙人とか。」
目に涙まで浮かべて、飽きもせずまだくすくすと笑っている。
非常に納得がいかない。
だが、なぜか気分は不愉快にはならない。
美奈子に笑われるときはいつもこうだ。
不可解な感情にもやもやしつつ、笑われっぱなしで情けないこの現状を打破しようと反論を試みる。

「うるさい。それが絶対に迷信とは限らないじゃないか。現にタンポポの綿毛が耳に入って、万が一難聴になったらどうするんだ。ピアニストとして致命傷を負うんだぞ。口笛だって、もしお前が吹いて蛇が噛みついてきてみろ。危ないだろうが。人さらいだって来ることがあると、前に使用人が言っていたぞ。」

一通りしゃべって、どうだと彼女の方をみると、憐れみと含み笑いが混ざったような表情で見返してくる。
言いたい事がありそうだが、何も言っては来ない。
なんなんだ、やはり納得がいかない。
美奈子は年下のはずなのに、俺の方が子供みたいだ。


 
「どうせなら、もっとプラスになる言い伝えを信じればいいのに。」
空回りしている俺を見かねたのか、それとも可哀想に思ったのか、美奈子が少し話題を変えてくれた。
後輩に気遣いをさせてしまったのは心苦しいが、その話は少し・・・いや、結構興味がある。

「なんだそれ。そんなものがあるのか。」
俺の高くなったトーンを聞いて、食いついた、とばかりに美奈子はまつ毛の長い目を細めて得意げに話し始める。
「そうですね・・・例えば、蛇の抜け殻を財布に入れておくと金運が上がるとか、四葉のクローバーを見つけると幸せになれるとか。」

成程。正直蛇の抜け殻は試すまでもなく遠慮したいが、後者の話は知っている。
「確かに。四葉のクローバーの話も言い伝えだったな。」
「はい。見つけるのが大変だから、その分信憑性がある気がしません?」

夜空を見上げながらふふ、と微笑み、美奈子は更に四葉のクローバーの話を続ける。
その表情は妙に生き生きとしている。
美奈子はこういう話題が好きなんだろうか。
まあ、こいつが楽しそうにしているのを見ているのは悪くない。
そうだ、もうすぐ来る誕生日には四葉のクローバーを贈るのもいいかもしれない。
だが、今の季節にシロツメクサはろくに生えていないだろう。
しょうがない。最悪、頼んで取り寄せるしかないな。

「取り寄せよう、なんて考えないでくださいね?」

どきっとした。
俺の心情を彼女が聞いたように言うので、俺が心の声をそのまま口に出してしまったのかと思ったが、そんな事はない。
「・・・どうして分かるんだ。」
お前はエスパーなのか、と続けたかったが、また笑われそうだと思い、その言葉を飲み込む。
彼女はやっぱり、とはにかんだ。
「分かりやすいんですよ。見つけるのが大変、って言ったあたりからずっと顎に手を当てて考えているから。お見通しです。」
そう言われて初めて、自分の無意識な仕草に気付いた。どうもそれは癖になっていたようで、彼女は前から知っている風だった。


どうも今日はこいつに振り回されるな。
けれど、なんだかんだ言っても俺とピアノの話題以外で、しかも迷信のあれこれだけでこんなに話せるのはこいつくらいだ。
俺はそれが心地いいと思っている。
だから笑われるのも、振り回されるのも許してしまうんだろう。
こういうのを惚れた弱みというのだろうか。

そうはいってもこの状況は釈然としない。
何か仕返しをしてやりたいと考えを巡らせている内に、気づくと彼女の家の近くまでたどり着いてしまった。

「じゃあ、私はこれで。設楽先輩、送ってくれてありがとうございました!今日はすごく楽しかったです。」
満足そうにニコニコと俺に笑顔を向けてから、玄関に向かおうとする彼女の腕をつかむ。

「なんですか?」
不思議そうに首を傾げる彼女だったが、構わず自分の方へ引き寄せた。
このまま帰したくないって気持ちと、やられっぱなしでたまるかという気持ちが脳内で働いて、反射的に彼女を引き留めていた。
腕を離して今度は頬に手で触れると、驚いたのか彼女の体が少し跳ねた。
それがひどく可笑しくて、大丈夫だと言う代わりに軽く額にキスを落とした。





 今までの俺にはピアノしかなかった。
だから、ピアノから逃げたら俺の中身は空っぽになるって、そう決めつけていたけれど。
最近になってこいつと一緒にいることが増えてから、(こんな風に迷信がどうたらと)他愛もない世間話さえ楽しいと感じるようになった。
案外俺のアイデンティティはピアノだけでもないなと思えるようになった。
前までの俺だったら考えられないことだ。


 「あの・・・先輩?」
しばらく無言で抱きしめていると、さすがに変に思って美奈子が口を開く。
彼女は耳まで真っ赤に染めて、顔は胸にうずめたまま動かない。

「なあ、今俺が考えていることも分かるのか?」
そう聞くと、彼女は釈然としないといった声色で「いえ・・・分かりません。」
とこぼした。
そうだろう。ふん。まだまだ甘い。
そんな仕様もない優越感に浸りながら、あまり背は高い方ではない俺でも、すっぽり収まってしまう彼女を愛しく思った。





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あきゅろす。
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