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お狐様にご用心!
◎用心其の三◎お狐様の日常〜緑編〜
◎用心其の三◎お狐様の日常〜緑編〜
 


チュンチュンと、はしゃぐ鳥の囀(さえず)りが聞こえる。
朝日が昇り始め、空を覆っていた闇が、徐々に光に消されていく。

まだ初夏(四月上旬)だからか、朝日が昇っても肌寒い空気は、人々に布団を手放したくない気持ちを生んだ。


が、姿勢正しく寝ていた男は、目をゆっくりと開けた。

数拍の後、枕元に置いていた眼鏡に手を伸ばし、眼鏡を付けながら上半身を起こす。息を深く吸って、ゆっくり吐き出した。


「…………………朝か」


男は、目を覚ました。



肩に付かない短髪は、草色
面立ちは、まだ青年と呼んでよく、知性を感じさせる髪と同じ色の瞳は少し鋭い。
年相応にとれない、落ち着いた雰囲気は、彼の職業が最もの原因かもしれない─────




易者



易占いを主とする占い師が彼の仕事だ。

それも、彼は奉行所お抱えだったりする。



そんな青年が住んでいる所は、一般町民が口を開けたまま羨むような大豪邸──────────ではなく。
青年が住んでいるのは、飯屋の二階の貸部屋の一間。

1人暮らしにはちょうど良いが、奉行所お抱えには不似合いな住まいだ。



別に祿(給金)が少ないわけではない。
十分に貰っているが、使おうとしないただの節約家なのだ。



彼の名は、有川 譲
一介の町民が、占いで花をつけ奉行所まで上り詰めた成功者。
それが彼への巷の評価である。



譲は布団から立ち上がり、まだ肌寒いと云うのに、窓を開けた。
すると、近くで鳴いていた雀達がバタバタと一斉に飛び上がり、譲はそれに微笑を浮かべてから天を視る。


「……よし。今日も変わりはなさそうだ」


雲行きで軽く、国の情勢を占う。


それは、譲の日課だった。

そして、すぐに昨晩用意して置いた仕事着に着替え身仕度を整える。
寝間着として着ていた着物は簡単に畳み、これまた昨晩用意して置いた仕事道具と共に手に取って、部屋を出た。


一階に続く階段を、軋みを起てないように静かに降りる。


「あ、譲殿。おはよう」

「おはよ、朔。今日はこれだけだ、よろしく頼む」

「えぇ。お願いしておくわ」


階下に降りると、水が入った桶と乾いた布を準備していた少女がいた。


落栗色の短い髪
女郎花(おみなえし)の瞳は、譲に優しく笑いかけている。


彼女の名は、梶原 朔
貸部屋の一階にある飯屋の店員で、貸部屋の大家でもある。


「今、朝食の準備するから、ちょっと待っていてね」

朔の言葉に頷き、パタパタと台所に引っ込んだのを横目で確認しながら、譲は、朔が用意した桶の水で、顔を洗った。


隣にある、これまた朔が用意した布で水気をとり、シャッキリと目を覚ます。


すると、朔がカチャカチャと朝御飯を持ってきた。
譲が席に着くと、ホカホカの御飯が目の前に並べられる。


「いただきます」

「はい、召し上がれ」


手を合わせた譲に、他の机を拭き始めた朔が返事を返す。

譲の御飯は、朝夜決まって一階にある飯屋で取るのが習慣になっている。

薄暗い飯屋は、開店準備中の為、朔と譲しかいない。

いつもの事だし、この落ち着いた雰囲気が譲は気に入っている。

が。


「あれ、敦盛は?」

「敦盛殿は昨晩、宿直すると連絡がきたの」

「成る程」


譲の御飯中───、ちょうど今頃顔を見せる人物が居ない事に気が付いた譲は、住んでいる者の大方の予定を把握している朔に聞いた。
昨日の朝一緒にした時点では、敦盛は宿直と言っていなかったから急に決まったのだろう。

敦盛とは、譲と同じく飯屋の二階貸部屋に住んでいる奉行所で働いてる武士だ。


武士が何で貸部屋? と、思わなくも無かったが、最近ではそんな事を気にしなくなった。
それに、譲は曲がりなりにも易者だ。
人には人の事情がある事を、重々承知している。


「ごちそうさま。……さて」


手を合わせて食事を終え、譲は立ち上がる。
脇に置いておいた仕事道具を手に取り、出入口へと歩いて行った。


「お粗末様でした。あ、譲殿。今晩の帰りはどうかしら?」


パタパタと譲の見送りをする為に、朔が近づいてきた。


「定時にあがれると思うよ」

「そう。では、『仕事の可能性がある話を夜にする』と、望美と優雅からの言伝よ」


譲の眉が、微かに動いた。
が、すぐに元の譲の顔に戻った。


「わかった。じゃ、行ってくる」

「えぇ。気を付けて」


手を振る朔に手を挙げて返し、譲は薄暗い中、町通りに出た。


通りには、少しずつだが人の姿がちらほらと見える。

すれ違う人々の中には、譲に挨拶をする知人も居た。

幼少の頃からこの町に住んでいるから、まぁ当たり前といえば当たり前である。


数人と挨拶を交わし、数回道を曲がると、パッタリと人の気配が無くなった。


いや、気さくな町民の気配が無くなった。



独特の張り詰めた空気
誇りと慢りが邁詰る臭い

────武士の気配だ。


ここだけ別世界に移ってしまったように冷たく、またそれだけに町民はよほどの事が無い限り近づかない場所




町奉行所



ここが譲の職場だ。


「おはようございます」


門番に丁寧に頭を下げ、譲は奉行所へと足を踏み入れる。
門番は、譲を軽く一瞥しただけで何も譲には返さない。

でもそれはいつもの事。
門番は武士で、譲はお抱えとは言ってもただの町民に過ぎないのだ。
これで譲が挨拶を怠れば、体罰を食らわされても文句は言えない。


それが、武士と町民の違い。
これが、武士と町民の違い。



建物の中へ入り、譲は足早に仕事用にあてがわれている部屋へと向かう。

すれ違う武士には、いちいち立ち止まり頭を下げ、姿が見えなくなると、足早に歩を進めた。
数回それを繰り返し、譲は漸く仕事部屋に着く事が出来た。


戸を絞め、息を一つ吐く。
仕事部屋なら、訪ねて来るのは気心識れた武士達なので安心できるが、どうにもこの武士独特の空気は好きになれなかった。


もう一つ息を吐いて、譲は仕事机に向かって足を一歩踏み出す。すると────

「譲〜。ちょっと寝かして…」


ガラッと、今、譲が入ってきた戸が開き、無遠慮に入ってきたのは、譲よりも長身の男。

身軽な服、髪はざっくばらんに短い紺青、欠伸を噛み殺し切れない涙目携え、許可を得ていないのにも関わらず、譲を追い越して畳に身を投げた。


「………………兄さん」


こめかみに浮かんだ青筋を必死に耐え、頭痛のする額に手をやった。

何か言おうかと口を開いたが、相手がすでに寝息をたてている事に気が付き、嘆息を一つ、掛布を取り出して掛けてやる。

譲の兄────有川 将臣は、徹夜だった日には毎回譲の仕事部屋を非難所にして眠りに来る。

そのたびに譲から小言を貰うのに、将臣は飽きずに来てはまた譲から小言を貰う。


そんな兄を、諦め半分でほっときながら、譲は仕事机に付いた。
仕事道具を片側に置き、報告日誌を書く為の墨を擦る。


シャッシャッシャッと、いつもの様に擦っていると、今度は遠慮がちに入室の許可をもらう声が聞こえた。


「譲、失礼して良いだろうか?」

「敦盛か? どうぞ」


スーと、上品に開きスーと戸が閉まる。
入ってきたのは、静かに佇む青年だった。

闇が似合う瞳と同じ本紫の長髪は高い位置で纏めてあり、動作一つ一つが鮮麗で目を奪う。
女人ともとれる中性的な外見とは裏腹に、武士らしい着物と動きは男らしかった。
だがそれは、青年の魅力を奪うことはなく、また武士として偉ぶっているわけではない事も譲は知っている。


平 敦盛


奉行所で、譲を見下したりしない数少ない一人だ。


「敦盛、宿直だろ。まだ帰らないのか?」

「いや。言伝を賜ってきてな。それを伝え次第帰る」


気遣っている譲に少し疲れている顔で微笑し、敦盛は本題に入った。


「まず一点は譲に。御奉行は本日休暇をとられているゆえ、日誌は机上に置くように、と」

「はっ」


姿勢を正し、仕事をする敦盛に、譲は重々しく頭を下げた。
敦盛は、擬(まが)い也にも武士であり上司である。敦盛は気にしないだろうが、仕事と私生活くらいは譲も分ける。


「あと、もう一点は────……」


気まずそうに、敦盛が譲から目線を外す。
譲もそれに流され、その敦盛の目線の先にいたものに目を配る。


そこには、譲の掛けてやった掛布を蹴飛ばして、グガーと気持ち良さそうに寝ている将臣の姿。

上司の敦盛が現われても、変化なくいつも通りの将臣に、敦盛は苦笑、譲は青筋を浮かべた。


「九郎殿が捜されていた。『仕事は済んだのに、将臣がいないから帰れない』と、机にもたれていた。宿直───を、またされたのだな」


敦盛は九郎や将臣が、ここ数日休んでない事を知っているようである。
それを知って気遣っているようだが、譲はそんなに甘くはない。


「────兄さん。兄さん。九郎さんが捜してるって。ほら、九郎さん所行ってさっさと帰んなよ」

「………〜ん…」


譲に数回揺さ振られ、眠気眼の将臣が立ち上がった。
覚束ない足取りで、部屋を出ようとする姿に敦盛が手を差し出すが、前後左右に揺れる将臣に、敦盛は手を差し出したままあたふたしている。


「で、では、言伝は以上だ。譲、また後程」

「あぁ。夜に、な」


将臣と一緒に部屋を辞す事にした敦盛は、譲に別れを告げる。
どうやら、将臣の面倒をこのまま見るつもりらしい。
譲も、敦盛に軽く別れを告げるが、譲の意味深な言葉に、敦盛は顔を引き締めた。


「───まだ、可能性だがな」

「……そうか」


付け足した譲の言葉に、幾分か敦盛は表情を緩めるが、それでも何かを考える素振りだ。


「…………期間が空いたな」

「そうだな」


『何が』を言わなくても、二人の中では会話が成立する。
ふぅと、一息吐いた敦盛は一瞬で気持ちを切り替え戸に手を掛けた。
既に将臣が、戸を開け放ち廊下へと躍り出ている。
急がなくては、将臣が危ない。


「ではな」


返事を待たないで、敦盛は入ってきたときと同じようにスーと、戸を静かに閉めた。


廊下からは、「将臣殿、九郎殿は廁ではありません」などと、意味の分からない事態になっていそうだが、譲は聞かなかった事にした。

机に向かい治しそして、また墨を擦り出す。

が、すぐに一息吐いた。


譲には、徒人には言えない秘密の仕事をしている。
それを、『後ろめたい』や『やりたくない』などとは思わないが、はっきり言えば『やらない方が良い』



いや、『やらないで済む世の中になってほしい』


が、悲しいかな。現実はそんな唯事、叶うはずも無かった。
だからこその『仕事』だ。

少しでも、そんな世の中になってほしい────それが、譲の願いだ。


(うん。頑張ろう)


易者もその願いの先に見出だした譲の答えである。

譲に、世の中を変える力が無くても、多少の変化になればと常々思っていた。


また初心を振り返って高ぶらせた気分を胸に、譲は一層気を引き締め、まずは一歩と、墨を擦りだした。




続く     H20.11.1

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