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藤(夢)
鮮やかだった(森田夢)
確かここにあったはずだ、お目当ての物を探そうとクローゼットを久しぶりに開けた。視界の端に鮮やかな緑。途端に多くの思い出が甦る。探していた黒いスーツの奥に、それは静かに置いてあった。自分でもう着ないからと奥にしまい込んだはずなのに、手は意志に反して鮮やかな思い出の残ったスーツに伸びる。

「着るの?」

後ろから彼女の声が響いて、オレの手はぴたりと止まりゆっくり落ちていった。

「…着ないよ」

どこを見てどんな顔したらいいかわからないオレは、仕方なく手前のスーツを手に取った。

「似合ってるのに…勿体ないね」

そう言う言葉をいつか誰かから聞いた気がする。ここで止めるのは勿体ないだろ、もっと高いところ望んでみたいと思わないのか、と。あぁ、あれは安田さんが最後に言っていたんだったか、一度思い出してしまえば、芋づる式にずるずると、未練がましく思い出される。あの人も。憧れて目標にしていた尊敬する人のことも。自分から別れたはずなのに。

「もう着ない」

自分に言い聞かせるように呟く。もう袖を通すことはないのだ。なのにまだ捨てることは出来ずにいる。

「鉄雄が良いなら、良いよ」

そう言って彼女はいつもオレを肯定してくれる。

「明日何かあるの?」
「就職活動、かな」

そう言うと、彼女の顔はぱあぁっと明るくなって、オレに抱きついた。スーツを椅子にかけて抱き締め返す。彼女が喜ぶのも当然だと思う。あの人達と別れた後のオレは脱け殻のようで、何もする気が起きず怠惰な生活を送っていたから。就職活動なんて馬鹿馬鹿しいと思っていたけれど、今更また日雇いとか適当に暮らすにはいかない。彼女のことを愛しているから。古風な考えかもしれないが愛した女1人養ってやれないのは、オレは嫌だ。けれど稼いだ大金を手につける気にはならず、重い腰をあげて就職活動なるものをするのだ。

「…彼女、何にやにやしてるんだ?」
「だって普通のスーツの鉄雄もきっとかっこいいから」

照れ隠しにわしゃわしやと髪を撫でてやれば、身長差のある彼女は下を向いてばたついてた。これで赤くなった顔は見られない。

「一緒に頑張ろうね?」

もう社会人として働いている彼女はにこりと笑って言った。その優しい笑みに救われて頷き返した。ちくり、と胸の奥が痛んだが、無視してクローゼットを閉めた。視界から消える緑色。捨てたいのに捨てられない鮮やか過ぎる過去。今更就職活動なんて世間の枠にはまったふりまでして、本当にオレはそれで満足なのか。

「彼女」
「何?」
「ありがとう」

うん?と曖昧に笑って見上げ返す彼女を見て、大丈夫だと自分に暗示をかける。大丈夫、オレには彼女がいるから。抱き締める腕に軽く力を込めて、心の中で緑色のスーツとあの人達にまたさよならを告げた。




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