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藤(庭)
have a good time1
熱気に包まれても汗が落ちそうになっても、このスパイシーな香りを嗅げば不快感は消えるだろう。この香りはきっとリビングにも届いているに違いない。鍋の中には、多めに作ったカレーが食べられる時を待ちながら、ぐつぐつと煮込まれている。
「・・・結構、あるな」
森田はひとりごちて、額の汗を腕で拭う。それから、黒いエプロンを椅子に掛けて、リビングへと顔を出した。
「ちょっと量作っちゃったんで、良かったら平山さんも呼んで下さい」
森田の言葉に返事は二つ。まったく同じ内容で、違う口から発せられた。

「いないぞ」
「いねぇーよ」

赤木が寛いでいるのは知っていたため、別段驚かなかった。しかし。いない、とはどういうことなのだろう。まるで、長期に渡って出掛けているみたいな言い方だ。
「平山さん、仕事?」
「いや」
「じゃあ、旅行?」
「違う」
じゃあ、とさらに続けようとして、森田は困ったように眉を寄せた。平山が「いない」と言われるほど、留守にする理由が思いつかない。
「出てったよ、あいつ」
「はあ、出てった、ですか・・・」
赤木が顔色も変えずにさらりと言ったのを受けて、森田も表面上はさほど驚いていないように、言った。平井がちらりと赤木を見て、それから席を立った。誘われるようにキッチンを覗いてから、腕時計を確認する。まだ、カレーが出来上がるまでは時間があるようだ。
「てめえのわがままっぷりに愛想を尽かしたんだろ」
「銀さんがあいつに何か言ったから、だな」

お互い、言ってから黙り込んだ。どうも思うところがあったらしい。

「・・・ガキじゃねえんだ、ほっとけ。オレは部屋で仕事してくる、出来たら呼んでくれ」
「はい」

森田は、手持ち無沙汰になった様子で、赤木の目の前のソファーに座った。しばらくそわそわしていたが、意を決したように口を開く。
「平山さん、どこ行ったんでしょうね。帰ってきますよね」
「さあ。冷蔵庫もほとんど空みたいだったし、家中普段より綺麗だったからな、ありゃ当分帰ってこない気なんじゃないか」
当分・・・良い大人、それも中年男性を心配する必要ない、と森田だって解かってはいるが、ここにいる二人の迷惑な男たちのせいであろうというのは容易に予想がついて、「大丈夫かなあ」と声に出してしまうのだった。



その頃。

困ったような黒服に連れられて、平山はやや怒ったような、緊張しているような、そんな顔で、彼の目の前に立っていた。彼が、サングラスの奥で目を見開いているのがわかって、少しだけ笑ってしまう。どうしてこの男は組長のくせに、こうもわかりやすいのだろうか。それが、とても好ましいのだけど。

「お久しぶりです、原田組長」


続く

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