藤(鉢)
人工甘味料(銀森)
駅のホームに下りると、人はまばらだった。普段移動にあまり電車を使わないから、これがこの線のこの時間にとって少ないのか多いのかはわからない。森田は視線をホームから時計、そして電光掲示板に移す。次の電車は後数分で来るだろう。もうすぐだ。けれど。
(喉、乾いたなぁ…)
そこの自販機で買う余裕くらいある。小銭入れからお金を出して一枚二枚三枚。
(甘いの、飲みたいけどな………あ…)
普段なら選ばないはずのそれを、今日は迷わずボタンを押した。
「お帰りなさい」
「あぁ」
そんな森田より後に銀二が帰宅した。コーヒーを飲もうと銀二はキッチンに行く、ふと何の気なしに目についたゴミ箱の中のそれ。何の変哲もない蓋の着いた紙コップ、自販機で森田が買ったのだろう。表面には大手コーヒーメーカーのロゴが入っている。どことなく、甘い香りがする、気のせいだろうか。
「森田」
ソファーに座っている森田に声を掛け近づく、どうやら新聞を読んでいたようだ、感心する。必死に勉強する姿は可愛いものだ。
「はい?……?!」
森田は振り向いたとき、何が起きたのかよくわからなかった。理解したときは既に。
「ん…ふぁ…っ…」
触れるだけの口付けからぬるりと舌を入れられて粘着質な音に耳を犯されていた。突然の銀二の行動に頭がついていけず、しかし体は正直に反応して熱くなる。離れようとしばし抵抗するも無駄だとわかり、ならばと大人しく絡め返せば、今度はあっさり離された。
「っ、はぁ…な、なんなんですかっ…」
呼吸を必死に整えながら森田は問う。銀二のこういう行動の不可解さが嫌いなのだ。
「甘い…」
「え?」
「イチゴオレか」
ただでさえ赤かった森田の顔がさらに赤くなる。当たりのようだ。
「あまり飲まないよな」
味わうかのように舌で唇を舐める。
「っ…子供だって言いたいんですかっ」
「そうじゃないさ、ただ珍しいと思った、それだけだ」
未だ火照ってた顔で言い訳がましく、いや実際言い訳なのだが。いやいやそもそもなんでジュースを飲んだ言い訳をしなくてはならないのか、その根本的なことは先ほどのキスで溶けかかった森田の脳からすっかり抜け落ちていた。
「似合わないでしょう、スーツでジュースなんて。普段だったらコーヒー飲みますっ」
「…ああ、なるほど」
あの手の自販機は外は全て同じ紙コップ、しかもご丁寧に蓋までついているから何を飲んでいるかわからない。
「仕事の最中は一挙一動気を付けて貰わなきゃならねーが、それ以外はそんな体裁気にすることはないさ、飲みたいものぐらい飲めばいい」
「…そうですけど…オレはこのスーツを着ているときは大人で仕事の出来る自分でありたい」
真っ直ぐ銀二を見つめて言うものだから銀二の方が照れそうだった。
「…あんまり些細なことにこだわるなよ、お前には大きな人間になって欲しいんだぜ?」
「……はい」
「で、あれが家にあるってことは…買ったはいいが甘ったるくて飲めなかったってことか?」
含み笑いとともに聞けば、むっすりとむくれたようだ。
「まさかあんなに甘ったるいとは思わなかったんですよっ」
「そうみたいだな」
「だから…口直し、もう一度下さい…」
にやりと銀二は笑って、またくちづけた。
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