幸村精市(テニスはもうできないかもしれない)
この独特な雰囲気と匂いが嫌い。
そんな空間で、私はもうどのくらいこうしているんだろう。
「学校に行きなよ。俺は、大丈夫だから」
病室の扉越しに聞こえた声は倒れる前の彼となんら変わりはなくて、けれど何日かぶりに聞いたそれに、胸をぎゅっと掴まれた感じがして思わずそこを押さえた。
頭が真っ白になるってああいうことを言うんだ。
取り乱すとか涙が出るとかそんなんじゃなくて、周りで起こっていることがまるで絵空事のようで。
けれどそれは確実に、本人にとっても周囲の人にとってもあまりにも大きな出来事で、心の整理だとか受け入れるとかそんな簡単にできることじゃなかった。
それを証明するかのように、彼はテニス部の仲間でさえ病室にいれようとはしなかった。
そんなところに、私が入れるわけがない。
ただ病室の外の壁に寄りかかって一日を過ごすだけ。
彼を支えるだとかそんなことできるとは思ってないし、そばにいることだって彼が望まないのならば意味がない。
「ねぇ、精市」
返事はないし、聞いてくれているのかもわからないけれど。
こうして過ごしながらいろんなことを考えて、それでもいつも辿りつくのは。
「テニスしてるところ、見たいよ…」
一番輝いてる姿を見たい。
ただ、それだけ。
静かに扉が開いたのがわかったけれど、振り返ることはできなくて。
そしてまた静かに、背中に何日かぶりの温もりを感じた。
瞬間、不思議と彼が再びラケットを握る日がくることを確信して、小さな安心感に包まれた。
相変わらずこの場所は嫌いだけど、その日がくるまではここだってきっと苦にはならない。
私を抱くこの腕が、私を必要としてくれていることがわかったから。
(真田が追い出された病室。じゃあ彼女はどうだったんだろう、と)
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