274.頼りなくても、君の手は離さないよ/ガンスト/草陰
僕が君に触れたかったのはそんな小さな理由じゃないんだ。
「草陰くーん?」
夏の夜にユーリ殿の声が聞こえた。木の上から降りると、目の前に現れた僕を見てにっこりと笑った。
「ご飯だから呼びにきたの」
「かたじけないでゴザル!」
「ううん、稜くんは家族だもん。当然だよ」
ユーリ殿は赤い髪を風に揺らして僕の手を引っ張った。
「……嫌だった?」
反射的に離してしまった彼女の手のひらを見つめる。そんなつもりは全然なくて、ただただ、恥かしかっただけだ。
「ごめんね、草陰くん」
いつも明るいユーリ殿の声が低く響いて、僕の心臓をドクンドクンと唸らせた。彼女はそれだけ言うと、哀愁を背中に漂わせて一人で歩み進んでしまう。
「ユーリ殿!」
「……草陰くん?」
ユーリ殿の震えた声がすぐ近くに聞こえる。赤い髪もさらさらと頬をかすめる。
「後ろからだなんて、卑怯だよ」
「僕はユーリ殿を拒絶するつもりはないでゴザル」
「うん」
「ユーリ殿が記憶を失っていても、誰だか分からなくても構わないでゴザル」
「……う、ん」
「だからごめん」
後ろから絡めている僕の腕に彼女の涙がぽたぽたと零れ落ちる。
「草陰くんが照れ屋なの知ってるもん……」
「もっと色んな僕を知ってほしい、って言ったら嫌でゴザルか?」
恐る恐る放った言葉のあとの沈黙。ユーリ殿は僕の腕の中で押し黙って動かない。ただ後ろから見える耳が真っ赤なことに気づいた。
「……ご飯冷める。早く帰るの!」
ユーリ殿は僕の手を取って、軽い足取りで帰路へたった。
君が僕に触れたのが、そんな小さな理由じゃないとしたら、僕は君に期待しても許されるのだろうか。
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