君色桜桃唄
―――…困っ…た…―――

ゆら、ゆらとしなる枝の先。
それは、紛う事無く私の体重が掛かっているからであり。
しなるだけならばまだしも、後方ではメキメキといった鈍くも乾いた…木が、崩壊を告げる音が時折聞こえてくる。
僅かに、動こうとする度。

…そもそも、こうなった事には。
今日は、木漏れ日を受けながら思案に暮れようと思い立ち。
そうして辿り着いたのが此処で。
良い場所を探そうと、奥へ奥へ踏み込むに至って気が付いた事には…どうも、此処は果樹園らしく。
漸くに良い日向を見つけたのに惜しいが、管理者と鉢合わせて面倒が起きる前に、と。
身を翻したところで…迷っている私自身に気が付いた。
深い考え無しに入り込んでしまった迂闊を呪おうとも、今はとにかく行動するしかない。

その、行動した結果。
見晴らしを求めたつもりが…枝先で、身動きが取れなくなっている訳だ。
…情けない話ではあるが、焦りから己の運動神経に関する評価を曇らせていた結果であり。
総て自業自得だとは思うものの。

「……こまっ…た……」

うな垂れて呟くも、そうするだけでまた揺れてしまう。
向かいの枝へと飛び移るか、それとも、そろり幹へと後退するか。
さもなくば、あとは落下を待つばかり。

「ほっほ!そこな猫、猫。どうした?まだ実は熟しておらんぞ?」
「…そ、それはみればわかる!」

…思わず言い返したが、此処の管理者か?
今の一声で、また枝が揺れ動く。
揺れる中で恐る恐る声の主を見下ろせば、私を見上げて笑む男がひとり。

「…その…すまんが、たすけてくれ…おりられんのだ…」
「そうか、そうか。どれ、そこで大人しくしておれよ。」

瞬間に迷いはしたが、そんな場合ではないと助けを乞うてみれば、その男はするすると私が居る木を登り始めて。
嗚呼、どうやら一先ずの命は繋がりそうだと。

「そら、手を伸ばせるかの?」
「ま、まってくれ…」

ミキッ…

「…う…っ…」

しかし当然といえば当然の事、私の方まで男が来てしまえば枝は折れる。
精一杯、手を差し伸べてくれてはいるが…あと、僅かが遠い。

「もう少…し……よっ、と…!」
「…う、わ…っ…!」

指先が触れた、と思った刹那。
勢い良く引っ張られて一瞬宙を浮き、そのまま胸元へと抱き留められる。
…その、枝とは比べ物にならない確かな心地に安堵を覚えて。
不覚にも、思わず身体を摺り寄せていた。

「ほっほ!よし、よし、怖かったか?」
「…だ、だいじょうぶだ…」

何がそんなに嬉しいのか、ぐしぐしと私の頭を撫でながら「よかったの」と繰り返して笑む男に。
しかしどうしてか。
身体にぴったりと小さく巻き込んでいた尻尾は、ゆるりゆるりと波打ち。
変わり者…だとは思うが、悪い、という気はしない。


人間的な意味でも―――或いは、それ以外。


「い、いや、それより…こんなところで ながいをしていたら…」
「ん?」

メキッ…ミ、シッ……バキィッ!!

「うわああぁぁああ!?」
「うおっと!?」

…「折れる」事が既に前提だったであろう枝に、それなりの太さを持つとはいえ更なる体重を加えたのだから必然。
為す術無く叩き付けられる覚悟を決めてか、只の反射であるか。
眼を伏して衝撃に備え―――

ドッシャアアァァアアッ!

「…っ、う……?」
「…あたた…すまん、すまん。大丈夫かの?猫や。」
「……あ、ああ…ちょっと…あしを、ひっかけたくらいだ……」

…離さず、に。
いてくれたから…のう。

「…って、お、おい!ち!ちがでてるっ!」
「ああ、いかんなあ、ちゃんと手当てをせねばならんが…取り敢えず、応急処置をするかの。」
「……っ……」

そう言って、少し擦り切れた私の足を優しく持ち上げると。
躊躇無く口唇が私の傷口へ触れられ、流れ落ちそうになる紅を絡め取る。
つきりとした痛みは、柔らかの中に掻き消され。

「…い、いや、そうではなくてだな!わたしのあしよりも、きみだ!あたまからでているぞ!?」
「んん…?おお。」

寧ろ気が付き難いものなのかもしれないが、それにしても…という量だ。
私の足の心配をしている場合か。

「これは、これは…やれ、私も手当てをせんといかんな。では、家に戻るとするか…猫も、来るであろう?」
「い、いや…わたしは…」
「ほっほ!遠慮するな、するな。そら、おぶってやろう。」
「あ、あるけるから…こ、こら!はなしをきかないか!」

有無を言わさず背負われて、歩き出した男に。

男に…





「…のう…なまえは、なんというのだ?」
「ああ、徐庶じゃよ。」
「じょしょ…じょくん、か。」
「ほっほ!猫は名があるのか?」
「……ほーとー……だ。」

徐君の背に揺られて。
再び、ゆら、ゆら。



けれど違う、ユラ、ユラ。



―――…


「読書中か?ホウ統。」
「あ…すまないな、かってに よませてもらっていた。」
「いやいや、構わんよ。好きなだけ読んでいいからの。」

あれから…数日。
足はもう、正直なところ治っているし。
此処に長居をする理由は無かったのだが。
ふと、見上げた徐君の本棚に収められた蔵書に眼を留めて以来、厚かましいとは思ったが密かに読み進めさせて貰っていた。
…最も、熱中する余り今しがた露見してしまったが。
心中、どきりとしたが徐君が咎める様子は無く部屋を後にする。


……寧ろ、「好きなだけ」と……


ひとつ、息を吐いて本を閉じる。
挟んだ栞は、枝から落ちた際に徐君の肩へ付いていた果樹の葉。
あの木には…桜桃、さくらんぼが生るのだと話してくれた。
そんな木々を見やれば、微かに色付き始めている事が窺えて。
徐々に徐々に、紅い実となるのだろう。


…何故だろうか?
楽しみに想うのは。



今度は一緒に、私も笑って桜桃の木へ登る事が出来るであろうか。



―――…


「…だいぶ、みがじゅくしてきたのう…」

果樹の園は、サワサワとした心地良い初夏の風と光に包まれて。
見上げた桜桃は、健やかに成長を遂げようとしている。
そんな木の根元に座り込み、持ち出してきた書を共に一日を過ごすつもりだったのだが。

どうした事か―――刻が経つにつれて増す晴れぬ心地は、虫の知らせと呼ばれるものか?

ざわつく胸騒ぎを覚え、居ても立ってもいられず。
払う土もそこそこに走り出した。

「…じょくん…」



君に、何か。



「……これは……」

帰った…というのが、正しい表現かどうかは分からない。
しかし、とにかく戻った徐君の室内は綺麗に片付けられていて。
元々、簡素な部屋ではあったが…正に、何も無い。

「ほっほ!探したぞ、ホウ統。」
「じょ、じょくん…」

呆然と立ち竦む私の後ろから、徐君の声。
驚いて振り向けば、身支度を整えて―――何処、へ?

「実はのう、引っ越す事自体は前々より決まっておったのだが…日和を予定よりも早くせねばならなくなってなあ。」
「…ひっこし…」
「まあ、此処から持ち出す荷物で残っていたのは本くらいだから、準備はすぐに済んだがの。」

本…

「そ、そうか……では、これもかえさないとのう……」

半分程、読み進めた本を徐君の前に差し出す。
嘘吐きだ、などとは思わない。
ただ、残念を思うのは…


想うのは。
中途となってしまった知識欲なのだと、無理矢理に押し込めた。


「…持っていても構わんぞ?」
「そ、そういうわけには いかないだろう。」

持っていたら、君を思い出してしまう。

「向こうに着くまで、道中暇だと思うがなあ。」
「……えっ?」

俯いたままでいる私に、柔らかに降り注ぐ様な徐君の言の葉。
如何な事かと顔を上げて見上げれば、やはり、何事も無いかの様に笑んでくれていて。

「ほっほ!順番が違えたか。…お前さんさえ良ければ…私と一緒に引越し先へ行かんか?」
「…!…」

私と目線を合わせてしゃがみ込み、耳も纏めてぐしぐしと頭を撫でる君。
何だってそんな…

そんな…



当たり前、みたいに。



ぎゅ…

「ん?」
「…きみひとりだと…しんぱいだから…のう……ついて、いく…」
「そうか、そうか。やれ、嬉しよのう…ほっほ!」

裾を掴んだ私の掌を、すっぽりと包む君の掌。
本当に嬉しそうにしてくれて、ひとしきり私を撫で終えたかと思うと、ふわり身体が浮き上がり。



あの時と同じ様、しっかりと抱き締めてくれる。



君と私、間にはまだ、分からない事が多いけれど。
どうしてか心配は要らない。
桜桃の実が盛りを迎えて熟す遠くない先、きっと、私と君も同様。



それを運命の、などと言ったら君は笑うだろうか。
…斯様な事を想う私自身、可笑しくて仕方の無いものだが―――



君が見えているのかどうかは分からない。
けれど、君に初めて触れた時―――しかと、双眸が捉えたもの。
君と私を繋いでいた、もの。



まるで、ふたつ寄り添い生る桜桃の実を結ぶ茎の様だった。

■終劇■

◆書き終わってから色々桜桃の木の事を調べたんですけれど、農園とかの仕様では木をそんなに大きくしないみたいですね(爆)
放任主義で育てれば5〜8mとかにはなるみたいですけれども。
桜桃の木が庭にあった知り合いが居て、それこそかなり立派で高い木だった記憶で書いたから(汗)
まあ、庶っちの家の農園業は副業的なものという事で。
て…適当な奴で済みません…すげー繊細なんだぜ桜桃って…orz

2008/05/22 了



あきゅろす。
無料HPエムペ!