夢路に赴く猫の唄
雨の降り止まぬ陰鬱とした黒い空に、気を滅入らせる感傷など持ち合わせていないと思っていた。
疎らな人の気配の中、擦れ違う将兵の面持ちも何処か陰りを帯びた様。
恐らく、自分の顔も他者にはそう見えているのだろう。
…それとも、そんな感傷とは。
傍に居たい口実という。
更に「らしくない」感情か―――…

サアァと降り続ける雨音が耳の中に響く。
然程、強い雨足ではないのだが止めどない降り様に、聴覚は雨音に切り裂かれ。
まだ昼を過ぎたばかりだというのに広がる灰色の世界。
雨粒を見詰める張コウは、自然と溜め息を漏らした。
何であろうか、雨に伴い今の時期にしては冷えた空気。

(…確か、彼処に居たな。)

雨は恋しくさせる。
他の誰でもない、代わりの無い温もりを。
ふっ、と。
自嘲した様な短い息を吐き、張コウは雨空に背を向けて目指す部屋へと歩を進め始めた。

―――…

「居るか?郭淮…っと。」

…もくもく…

(読書中、か。)

郭淮が居るであろう部屋を訪れた張コウだったが、中からは動く気配らしい気配が感じ取れず。
不在なのかと控え目に室内の様子を窺うと、積み上げた兵法書を読み耽る猫の姿。
悪天の過ごし方としては、上等なのかもしれない。

「…なかへ どうぞ、ちょーこーどの。」
「ああ、いや…特段の用事がある訳ではない。読書の邪魔になるなら出ていくが。」
「だいじょうぶですよ、ちょうど"ひとくぎり"ついたところですから。」
「…そうか。」

静かに戸を閉じた張コウは、薄暗い室内の中で書を読む為に点けられた灯りに吸い寄せられる。
灯りの傍には、つまり猫の姿の郭淮が居る訳で。
読み終えた書を片し、尻尾を少しだけ揺らして張コウを見上げる郭淮の表情には、ほんのりと笑みが見え。
先程までの感傷が薄れていくのを感じ取りながら、張コウは猫の隣に座した。

「そっち側に積み重ねているのは読み終えた分か?俺にも、どれか貸してくれ。」
「おや、ちょーこーどのも"どくしょ"ですか。」
「さっきも言ったがお前の邪魔をしに来た訳ではないからな、倣う事にした。」
「なるほど、しかし"へいほうしょ"ばかりですが。」
「…それに何か問題があるか?」

勝手な感傷で押し掛けた手前、読書を妨げる気は無く。
張コウも、此処に居る分には構わないというのであれば自分も大人しく読書に付き合おうと思ったのだが。
それに対してどうも、言い方に何かを含んでいる。

「じっせんで つちかわれた"りんきおうへん"さに、いらぬ"ちえ"をつける きがしまして。」
「…買い被られているのか余計な事はするなと言われているのか、お前に言われると分からんな。」
「ふふ、それは もうしわけありません。」
「まあ確かに、実戦主義的な言い方をしがちだが。」

相変わらず口の減らない猫だが、それが良い。
どんな会話であっても、話す間は切り裂く雨音も失せ。

「…そうですね、これからの"いくさ"には こちらなどが ひつようになってくるかと。」
「じゃあ、それを―――」
「ただ、わたしも"いまから"よむところでして。」
「…だから読み終わった書で構わんと…」
「ですので、わたしを ひざにのせていただけたら、"いっしょによむ"ことが できますよ。」
「……乗せ…良いのか?」
「ええ、むしろ ちょーこーどのが よければ。」

そんな申し出になるとは思わなかった展開に張コウは一瞬、何を言われたのか固まったが。
猫の方から許可が下りたのに、断る道理は無い。
少しでも座り易いようにと張コウは脚を組み直し。

「…座ってくれ。」
「はい、しつれいします。」

……ぽすん。

座らせる体勢が整った張コウに、郭淮は書を持って近付くと、組まれた脚の上へそっと腰を下ろす。
ぱらり、と。
すぐさま書が開き広げられた音が続き。

「よみすすめるのが"はやいおそい"ありましたら、えんりょせず おっしゃってください。」
「…分かった。」

多分、いや間違いなく。
こんな状況になって張コウが素直に書へ目を向けるなどと、郭淮は思っていない。
現に張コウの視線は灯りを受けて橙に色付く猫耳と、身体に触れ寄せる尻尾に注がれ。
そこまで見透かされている筈だ。

(丁度良い椅子の扱いな気がするが…まあ良いか。)

黙々と読み進める郭淮の様子を窺いながら。
一寸は書をチラリと覗き。
しかし矢張り―――気になってしまうのは。

(…撫でたら小言を言われるだろうな…)

柔らかな橙に色付く猫耳を撫でたいし、時折自分の身体を撫でる尻尾をぎゅむぎゅむしたい。
だが読書の邪魔はしないと宣言した手前、その誘惑には耐えるべきで。
なかなか難しい…けれど。
少なくとも、感じ取りたいと願った温もりを得ている。
それで充分ではないか。

……かくんっ。
ウト…ウト…っ…

「…む…郭淮…?」

撫で愛でたい気持ちを抑え、郭淮が書を読む様子を見守っていた張コウだったが。
次第に、その進みが遅くなっているとは感じていた。
特に読み込みたい部分なのだろうと解釈していたが…どうも、様子が違う。

「もう…ちょーこーどのが、いけないんです…」
「なっ、何だ急に。」

どうした事かと表情を窺おうとした矢先、張コウは不意に口を開いた郭淮に咎められ。
もしかして、撫でたいとずっと考えている悶々とした空気を放っている件について咎められたのかと。
初めはそう思ったが、表現的に異なる気がする。

「…ねこは…"あめのひ"は、こうどうを ひかえます。」
「そ、そうなのか。」
「"いごこちのよい"ばしょで、ねむりたい…のです。」
「…ん?…つまり、それは…」
「ですから…わたしが"こうなる"のは…ちょーこーどのが、いけないんですから…ね…」
「おい、郭わ…えっ?」

……こてん。

「すー…すぅ…」
「な…お、おい。ええ…?」

あまりの呆気なさに、間抜けな声を出していると張コウ自身が誰よりも思っている。
頭を張コウの胸元に預けた猫の寝息は本物で。
暫しポカンと、その寝顔を見詰めていたが。

(普段から、このくらい容易ければ…いや、そう思わせる駆け引き自体が猫の算段の内、か。)

張コウは双眸を細め笑むと。
郭淮を起こさぬ様、今にも取り落としそうになっている書を回収して脇に片し。
決して余計な力は込めず、そうっと抱き締め。

(…幾らなんでも、流石にこの状況で撫でるなというのは酷だぞ郭淮…ふふっ…)

栗色の髪と、ほんのり橙の猫耳を優しく撫でる。
ぴくりと郭淮は身体を震わせたが、起きる気配は無く。
次第に次第に、深い眠りへと誘われて―――

(…俺も眠るとするか、今日は猫に倣う日だな。)

猫を抱き寄せながら双眸を閉じた張コウの耳には、まだまだ止まぬ雨音と小さな寝息。
どうしてだろうか、あれだけ憂鬱だった雨音が。
今は穏やかな眠りを誘う子守唄の様。

(全く…単純だな、俺は。)

郭淮の、猫の温もりを感じながら。
やがて静かな室内には、ふたつ目の寝息。
雨音に混じり、夢路へと赴く。

■終劇■

◆ほんのちょこっとだけ、梅雨意識の小噺でした。
前回の迅速淮にゃん登場小噺は、単なる設定説明であり寧ろ魏武看破の話だったので(笑)
今回からはサクサクとイチャコラしますよ(*´∀`)
まあ大体ぷちあにまる化の話を書くと、ちょっと状況設定が変わったくらいで、くっ付いてにゃんにゃんして終わる話ばかりですが。
…自分でも分かっているんですけど(苦笑)
体格差でケモ耳尻尾でぎゅむっとくっついているシチュは何本書いても楽しいので、しょうがないね。
看破淮にゃんも、また書きたいです(*´ω`*)

2018/06/30 了



あきゅろす。
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