花の名は知らず、花の香に眩む
歪み、白く霞む視界。
嗚呼―――この眩暈は「また」、なのか。
しかし今は駄目だ、悟られてはならない。
何故なら、何故なら…


「…わ、い…おい、郭淮!」
「―――…ッ…申し訳ありません張コウ殿、少し…ぼうっと…何でしょうか?」
「何かもなにも、お前の様子がおかしくなってからずっと呼んでいたのだぞ、本当に少し呆けただけなのか?」
「えっ…」

全く、気付かなかった。
どうにか持ち直した視界が映し出したのは、控え目に調度品が置かれた室内と、心配そうな表情の張コウ。
数日前から郭淮は自身の体調が優れないと感じており。
病で迷惑を掛けた経験から、今以上の進行はしないように努めていたのだが。
それでも、日々の戦況による疲労や緊張によって身心は快方に向かわず。
此処に至って、表面化したのだろう。
視界だけではなく病の影は既に聴覚にも及び、蝕まれてしまっているのか。

「…すみません。ですが、大丈夫ですから。」
「大丈夫だと言われて"そうか"と返せるような顔色をしておらんぞ。…病だな?」
「…情けない話ですけれど、その様です…」

ふうっ、と。
張コウから息が漏れる。
それは何であれ郭淮が返事をした事による、安堵の息であったのかもしれない。
しかし身心の弱る郭淮からすると、自分への呆れの意味なのだと受け取ってしまった。

(折角、明るい内から二人きりの時間を作って頂いたのに…呆れられても仕方がない。)
「…適当な掛布を持ってくる、横になれ。」
「です、が。」
「お前の時間を今日一日、預かったのは幸いだ。…俺に迷惑を掛ける等と考えずに休め。」
「(…察されたか…)では、そうします…」
「ああ、大人しくしているんだぞ。」

軽く郭淮の頭を撫でるそれは、子供を扱う様。
安心させる為の「敢えて」なのだ。
弱る心に、その温情は確かに沁みる―――けれども。
霞む視界の中ではあるが、静かに立ち上がり部屋から出る張コウの背を追う。
そうして、その背を捉える事が出来なくなった時。
郭淮は力の入らぬ己の身体を、ずるりと流れるままに床へと横たえさせた。

(頭が…痛む。何か…枕代わりに…もう、何でも…)

思考にも霞が及び始めたのか、気怠さも相まって手の届く範囲で済ませる事しか考えが回らない。
偶々、近くに置いていた外套を手繰り寄せて枕代わりにすると、響く様な頭の痛みは幾らか和らぎ。
これならば何とか眠れそうだし、今すぐにでも眠り落ちてしまいたい、のに。
張コウの事を想い、眠りは妨げられてしまう。

(…張コウ殿に気を遣わせてしまった。…"まだ"…嫌われてはいないのかもしれないが…)

これが積み重なり続けたら、どうなるのだろう?

(嫌だ、私は。私は―――張コウ殿の事が…)

ぐるぐると巡る度にズキズキと思考が傷む。
考える事も想う事も、徐々に徐々に白く歪み始め。
眩暈の内に在る中で瞬間、総ての思考が停止すると。
郭淮は漸く、眠りを得る事が出来た。


―――…


どれだけの時間、眠りに就いていたのだろうか。
夢を記憶する様な隙も無い、泥の如き眠りから郭淮は目覚めて状況の理解を開始する。
夜にはなっていないらしい。
それと、自分の身体には。

(…掛布…張コウ殿が持ってきて下さったのか…)

張コウ以外の誰かとは考え難いだろう。
郭淮の身体が冷えない様、掛布はしっかりと身体を包み込んで掛けられており。
深い眠りに就く事が出来たのは、この掛布によるところが大きいのではないかと思われた。
だから。
感謝を伝えたいのに。
室内に張コウの姿は無くて。

(…当然か、こんな状態の私の傍に居ても…)

病の影響と目覚めばかりで状況認識は捗らないが、今この部屋に居るのは自分だけであるとは感じ取れ。
込み上げる寂しさを抑えると、感情を誤魔化す為に自身の体調へと確認の矛先を向ける。

(頭痛はかなり良くなったな…それだけでも違う。)

全身の倦怠感は残っているが眩暈も落ち着き、眠る前の身体のどうにも出来なさは軽減した模様。
単純に睡眠不足もあったのかもしれない。
緩慢ながら横たえさせていた身体を起こすと、掛布の他に増えている物がある事に気付く。

(…花…なんて活けていただろうか…?)

郭淮の傍に、ひっそりと置かれた小振りの花器。
この部屋に入った時から体調は悪化していたので、調度品に対する記憶は曖昧なのだが。
花器に活けた花なら他に飾る場が有るだろう。
何も、眠っていた床等に置かなくても。

スッ…

(…良い香りだ。)

よくよく見ると花器を用いて活けられてはいるものの、無造作感が窺える花々の集合。
その中から郭淮は一輪を手にし、花の香を愉しむ。
鼻腔を擽る香は決して強い芳香ではなく。
華やかさも乏しいが、それだけに何処かしら芯の通った生命力とでもいうのか。
寒空がまだ続く季節にも関わらず、咲いているのだ。
郭淮も名を知らぬ花々には、小さいながらも確かな力強さを感じ取れるものがあり。

(…何故だろう。とても安らぎ…生気が戻る心地だ…)

一輪を花器に挿し戻すと、揺れた花々から舞う芳香。
ただただそれだけの事なのに、郭淮はじわりじわりと身心が癒されるを実感し。
ささやかな花弁達を見詰めている―――と。

「起きた…いや、もしかして起こしたか?」
「!…張コウ殿…いえ、自然と目覚めたので張コウ殿のせいで起きたのではありません。」
「そうか、なら良いんだがな。」

郭淮がまだ眠っているものだと仮定してか、極力気配を殺して張コウが部屋に戻ってきた。
自身の物音で起こしたのではないかと、張コウは表情を曇らせるも。
目覚めは自然であり、それでいて郭淮が自ら身体を起こしている事を理解して安心したモノに変わる。
そんな張コウの様子に釣られてか、郭淮もまた知らず知らずに安堵の表情を浮かべ。
ふ、と。
張コウの表情ばかりに目をやっていたが、その手には"らしくない"物を持っている事に気付く。

「その花々…は。」
「ん、ああ、コレ…か。」
「この花器の花々は、やはり張コウ殿が用意して下さったのですね。」
「…まあ、そういう事だ。」

自分でも"らしくない"と思っているのだろう。
照れ隠しからか認める言葉は短い。
郭淮の傍の花器に張コウは近付くと、新たに摘んできた手の中の花を挿し活けて。

「探す意思を持って辺りを見れば、今の時期でも花は咲いているものだな。」
「…どうして…花を?」
「実際はどうなのか知らんが、花が傍に在るのは落ち着くと聞いた。…少しでも気が紛れれば、という事だ。」
「とても良く効きましたよ、ありがとう御座います。」

何となく郭淮の顔を直視が出来ない張コウだったが。
花を探し出した手を、そっと取られ。
遠慮がちに目を向ければ、淀み無く感謝を述べ伝えて柔和に微笑む郭淮と目が合う。
まだ病で憔悴した様子はあるものの、気を遣い、取り繕った笑みではない。
取られた手に導かれ、張コウは郭淮の傍に座す。
微かだが満ちる花の芳香の中、言葉は産まれず。
ゆるりと過ぎ行く時、張コウはじっと郭淮を見守り続けていると、不意に郭淮から産み出た言の葉。

「―――……好き、です。」
「えっ?…ああ、花がか。なら、どんな花が特に好みなのか聞いておきたい…」
「ふふ…違いますよ。」
「?…なら、何が。」
「花は…嬉しいですし、好きになりました。でも、今、私が好きだと言っているのは…張コウ殿に、です。」
「俺…俺に?本当か?」

コクリと小さく頷く郭淮。
張コウは両想いだと信じてはいるのだが、郭淮が素直になりきれない恋愛性質上、ハッキリと「好き」を聞いた事が無い。
遠回しに伝える様な言い方なら何度もあるけれど。
だから今回も花の事だと誤魔化されると思ったのだ。
しかし今の郭淮は取ったままの張コウの手をぎゅっと握り、真っ直ぐに「好き」を伝えている。

「…ふふっ、弱っているから…です。私の事だからまた言えなくなると思うので、覚えておいて下さい。」
「当たり前だ、一生忘れん。…郭淮…」
「ッ、ちょ、うこう…どの…伝染する病だったら…」
「知った事か、お前に好きだと言われて己を抑えられる程、俺は出来ておらん。」
「もっ…う…まだ完治した訳では…ふッ…」

強引に奪われる口唇。
だがそこに嫌悪などある筈がなく。
捩じ込まれた舌が咥内をたっぷりと貪り、酸素を求めようにも張コウは許してくれない。
こうなっては、満足するまで委ねるしかなく。
くらくらとした目眩を郭淮は感じ取る。
けれどもそれは病の眩暈ではない。

(だからといって―――…)

どうやら体調は快方に向かっているようだ。
目眩の原因を花の香のせいにして。
郭淮は口付けをもっとと強請るように、恋路に不器用だけれど真っ直ぐな恋人の身体を抱き締めた。

■終劇■

◆今年も郭淮の旧暦命日に合わせて、何か小噺を更新したいとネタ模索をしていたら。
さんぽけがサービス終了という報が届き、気持ちの遣り場がゴチャゴチャになりまして(苦笑)
ええ…瞬きの時に口を「へ」の字にするぷち郭淮を見れなくなってしまうのか…悲しい(´・ω・)
そんな状況でしたが、何とか更新。
自力でのネタ出しが難しくなってきている為、診断メーカーの結果に今回も頼っております…感謝◎

【好きカプでこんなシチュどうですか】
いつもはそんなことしないのに、急に花束なんて買ってきて、「どうしても、日頃の気持ちを伝えたかった」なんて言われて、その言葉と花の香りにくらくらする神速迅速
#好きカプシチュ
https://shindanmaker.com/856579

花が登場するシチュ…時期的に…
いやでも今の暦だと2月23日で早春と言えなくもないし、冬咲きの花があったんだと考えよう。
結果のシチュエーションそのままではないですね。
花束を買ってというか作ってきたのは張コウさんですが、日頃の気持ち…「好き」を口にしたのは淮の方という形になりました。
ウチの迅速淮が「好き」を明確に伝える場面は滅多に無い事だと思うので、特別な日を意識した話だから、という事です(*´ω`*)

2019/01/30 了



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