A
空けられた杯が、再びに目の前へ。
それまでと異なるのは、向けられている双眸。

かちりと、瞬間に杯と徳利が触れたのは。
そのせいなのか。

「…まあ、面倒が無さそうだからじゃないですかね?後腐れとか。」
「…成る程。」

そうしてまた、静寂。
仕切りを通して聞こえる、一夜の色恋華の喧騒を除いて。
まるで、この場だけが今宵も咲く賑わいの華から隔絶されているかの様。

「……名、は…何と、申し上げたらよいですかね。」

それに耐えかねた訳では無いが。
これまでを破り、自ら男の名を問うて。

「…上客になる見込みの無い人間には、興味が無いものだとばかり思っていたが…そうはいかぬか?」
「破格に、お時間を取っていただきましたしねえ。何であれ、お相手をさせていただくのに…名無しじゃあ、不便ですよ。」

大体。

「…興味の無い事は、俺よりも―――」
「張コウ、だ。」
「……張コウ殿の方だと思いますけれどね。」

何の前置きも無く、割り込む様に告げられた名を呼ぶ。
やはり、どこかで―――「知りたい」と願っていたのか。
とくりと、臓腑が熱を持ったのを感じ。

「…俺は、"興味が無い"と明言した覚えは無いのだがな…」
「え?」
「斯様な場所で遊ぶ作法を心得ておらん…それだけだ。」
「…そんな気構えをしなくてもいいですよ。」

嗚呼、幽かに浮かぶ男の笑み。
自嘲と取れるそれは儚げに咲き、胸を打つ。


自分を―――見ようとは、してくれていたのか。


「…名は、何だ?」
「…?…俺の名なら、指名の時に―――」
「"その名"には、興味が無い。」

同じ様に、ぴしゃりと放たれた言。
意味を反芻して想えば、くすぶる胸中の熱が上がる。

「…本当、遊び慣れていないんですねえ。」
「悪かったな。」
「悪い、とは申しませんけれどね。」

割り切る事が、当たり前。

なのに。


このひとに、そんな事を言われてしまっては。


「……特別、ですからね。だけど、口外したら駄目ですよ。」
「ああ。」

自らのものなのに、封じていたそれを。
自らの意志で。

「―――俺の名は、郭淮と申しますよ。」
「…郭淮…」

小さく返された久方の名を聞き。
それが、目の前の男の口から発せられた事に悦びを覚える。

「少し、呑みが過ぎた様だ…郭淮。」

ふわ、と。
身体を引き寄せられて。
酒気に当てられた、仄紅い男の顔を見上げ臨む格好に。

「構いませんよ。…そもそも…酔いに、来られたんじゃないですかね?」
「…ふ…そうだったな…では、存分に頂かせてもらおう…」

そのまま、重ねられた口唇は。
酒が持つ香気よりも、やはり、桜の香に彩られ。



伏した眼の奥で、郭淮は。
今宵、深き酔いに溺れ耽るのは―――自分の方であろうと予見していた。



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