『その人、桜の香』
先程から交わした言といえば、ふたつ、みっつ。
それも、おおよそ相槌とも呼べぬ様な短き言の葉。
つ、と。
空となった客人の杯に酒を注ぐ行為は、既に幾度目か。
饒舌になる様な素振りも無く。
只管に酔いを巡らせて、今宵を忘れようとしているかの様。
(偶に来るけどね、こういうお客さん。)
華々しく賑わう歓楽の場を訪れるには…似つかわしくない珍客の類、という事になるであろう眼前の男は。
ひとりで、この娼館へと赴いた訳ではなかった。
…「こちらの趣向」を持つ者が、上司にでも居るのだろう。
酔狂に付き合わされ、自らの意志で此処へ来た訳ではない…という様子は、一見して察する事が出来。
そういった手合いは。
次の上客へと変容する場合もあるが。
大概は否、である。
(楽といえば、楽だけどねえ。)
酌だけで話が済むのなら、手っ取り早い。
自分を気に入るのはありがたいが、それで色々と面倒な客も居る。
そんな手合いよりは、余程。
要するに、割り切る事には慣れている。
好かれようとも、蔑まれようとも、変わらずに居続ける。
そういう事を続けてきたのだと。
それが出来ねば務まらぬ、とも。
なのに。
(…何だろう、ね。)
先程から、黙々と杯を空ける眼前の男から。
双眸が離せず。
自分が、何かに魅かれている。
「…俺の顔に、何か付いているか?」
「…ああ、やっとまともに話してくれましたねえ。見詰め続けていた甲斐がありましたよ。」
気取られまいと。
笑みを繕いながら、返した刹那。
ふ、と。
目線を此方に向けられて、悟った。
嗚呼、そうか。
桜花の―――香り。
実際に、という訳ではない。
そんな季節ではない。
しかし、確かに。
その男が纏う香は、魔性に惹き付ける桜の香。
魅惑を、想うのは。
「…つまらんか?」
「別に気にしなくてもいいですよ、貴方みたいな方は偶に来ますから。」
(好きで、見ていただけですよ。)
…好き、で?
「…随分と如才無く話すな。…この娼館でも一、二と聞いたが…そういった見の振りが良いのか?」
「う〜ん…俺は元々、こういう性分なんですけどねえ。」
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