Lifriend-2 「お姉さん!この辺住んでるんですね!」 呼び止められた。初音のいた空間というよりは部屋を出される時は意識が飛んだような感覚になる。アパート近くに立っていた。命を分けた好青年が小さな女の子と手を繋いで声を掛けてきた。 「あなたは」 彼の背後をひらりと舞うモンシロチョウに目を奪われた。 「片岡二三貴っていいます」 柴犬のような印象を受ける、小麦色の肌に茶髪の青年。年下のように思えたが医療従事者のようで見た目と実年齢にギャップがあるだけなのかもしれない。 「そちらは」 「妹です!」 歳が離れすぎているような気がしたが、家庭の事情だろう。ずっと笑みを絶やさない片岡に何かを見透かされているような気分になり、すぐに会話を切ってこの場を立ち去りたかった。 「お元気そうでよかったです」 別れの言葉を切り出そうとして、まとめようとするが片岡の目が泳ぎはじめる。何か知っている。実は知っている、そんな言葉が来たら、どうしたらいいのだろう。 「あ、あの」 意を決したのか片岡は口を開く。こちらも意を決さなければならないのだろうか。 「この前一緒にいた男の人って…」 躊躇いがちに初音との関係を問われる。説明すると長くなる関係。信じてもらえるかすら怪しい関係。己が生み出した幻覚。夢。他に何があるだろう。まだ認めたくない節も多々あって。 「深く入り込んですみません、何てこと訊いてるんだろ、オレ…」 捨て犬のような雰囲気をまとった片岡に反射的に取り繕ってしまう。 「いとこなの、いとこ。ちょっと干渉的な」 素早く頭を回転させた結果、出た嘘がこれだ。そしてさらにあの場と辻褄が合う補足をつける。片岡の表情はすぐに明るくなり、きらきらとした瞳で見つめられた。 「じゃあ、オレにも、まだ…」 「何してんだ、遅ぇよ」 片岡の言葉は続かなかった。初音の声に遮られたから。片岡が少し落ち込んだのを妹が不思議そうに見上げている。 「気にしないで。何?」 初音がいつの間にか居る。遠めに手を揚げ呼んでいる。一瞥したが片岡の用を優先した。けれど片岡は初音の方を気にするばかりで言葉を続けさせようとしない。近付いてくる初音に怯えているのか。 「ごめんね、あのお兄さん、怖いよね」 言い方が自然と子どもを相手にしているようで。年下かも知れないが、2つ、3つくらいだろう。もしかしたら同い年かも知れない。或いは年上の可能性もなくはない。だが自然と出てしまった。 「誰が怖いお兄さんだ」 並ぶほど近寄ってきてから片岡を冷たい目で見下ろした。 「いや、あの、ごめんなさい。お姉さん、また今度…」 諦めたのか、片岡は妹の手を繋ぎ直して会釈してから去っていく。 「何してるの」 「お前の監視するって言っただろ」 「会話の邪魔するとは聞いてないけど」 あからさまに嫌なカオをすれば、知りません、と言わんばかりに両手を上げて肩を竦めて見せる。 「どうだ?命を半分あげたヤツと喋るのは」 「あなたと喋った後だと何の感慨もない」 片岡の離れていく背中を見つめる。妹がはしゃいで片岡を見上げている。片岡も妹を見下ろして笑う。買い物帰りかビニール袋を下げている。 「アイツ、かわいいな。アイツ、かわいいわ」 初音が繰り返す。楽しんでいる。近所の犬を見て喜ぶ子どもみたいだ。 「大事な話だったかも知れないのに」 「…アイツにとってはな」 冷たそうで寡黙そうな顔が笑うと一気に幼くなる。笑い方もあまり綺麗ではない。 「知ってるの?」 「分かるだろ。流れ的に」 「っていうか聞こえてたの」 「俺の聴覚ナメない方がいいよ」 「今、人間なんでしょ。あまり突飛なコトしないでよ」 初音は悪戯を企むような表情で頷く。 「俺がいとことか、笑うしかないわ」 何が何でも煽りたいらしく、初音の言葉に苛立ちながらもアパートに戻っていく。 「狭い部屋だな。豚箱みたい」 アパートに帰れば1人でいられると思っていた。電気ポットで湯を沸かしていると初音の声がする。 「部屋には上げないって言ったじゃない」 「納得。狭いもんな」 初音は胡坐をかいて宙に浮いている。初めて見た時と同じ格好だ。 「この辺のアパートなんてこれくらいだよ」 初音は部屋を見回している。興味なさそうに返事をされる。 「出て行って。狭いの嫌なんでしょ」 「イヤなんて言ってないだろ」 「…部屋には上げないって言ったじゃない」 沸騰の合図がする。電気ポットに2人分のティーカップを用意し、インスタントコーヒーと湯を注ぐ。初音にティーカップを差し出すと、首を傾げられる。 「猫舌なの?」 「出て行けって言ったり、茶、出したり厄介な女だな」 「コーヒーだけど。言っても出ていかないでしょ」 苛立った顔を浮かべられ、受け取られないティーカップをテーブルの上に置く。 「だって監視するって言っただろ。何度言わせる?3度目か?」 宙に浮いていた身体を床に着けてティーカップに口を付ける。 「拒否権は?」 「あるワケないだろ。あると思ったの?室内で首吊られたり、手首切られたり、薬大量に飲まれる可能性だってあるだろ。飛び降りは…なさそうだな?」 「何ソレ。しろってこと?」 「面倒臭い女」 吐き捨てられた言葉の内容の割りに無邪気に笑う。 「もう死ぬ気とか、ないし」 「どうだか。お前の自殺願望に惹かれてお前見つけたワケだし」 「風呂場にもついてくるの?トイレは?」 目を丸くされ、不安が過る。 「その2件はイヤなのか?」 「全部嫌なのは前提のはずだけど」 「俺は別にお前の裸とか気にならないけど」 暫く考えてから初音はどうだ?と言いたそうに目配せする。 「そういう問題?私は嫌。付き合ってもいない男に裸見せるなんて」 信じられない。批難の声を上げれば初音は意味をよく理解できていなさそうだ。 「いや、俺、男じゃないし、いいだろ?」 頭が悪いのだろうか。初音も自分が何を言っているのか分かっていないのか、首を傾げている。 「そういう嘘平気で吐く?」 「いきなり嘘吐き呼ばわりするなよ」 初音との会話に頭痛を起こしたような気分になる。どこからどう見ても男のように思えたが、僅かな可能性として否定はできない。 「女なの?」 「いや、男とか女とかないから」 声は男だ。額の形も男性的。喉仏はある。ティーカップを握っている手の指の長さも形も男性的。爪もだ。眉間も眉も男性的だ。ただあくまでひとつの基準であり絶対ではない。だが第一印象として、視覚的にも聴覚的にも男性だと判断していた。かといって女でもないという。 「風呂とトイレも問題ないな?」 「…待って。私の認識の問題じゃない?」 ひとの都合を考えられないのか、悪態を吐きはじめる。 「人間は身体に性別が現れるんだろ。脱ごうか」 開いた口が塞がらない。おふざけに付き合わされているのだろうか。 「人間て面倒臭いな」 「あなたはどう見ても人間なのに…とりあえず、私はあなたのこと、男だと思ってるからダメ。それこそ自殺もの」 冗談ではなさそうだと初音は受け取ったらしい。 「裸にこだわるんだな」 「相手選んでるだけ。そういう職業でもないし、あなたは医者でもない」 「…納得いかねぇけど分かった。それでお前が守れるならまぁいいか」 初音の他意のない言葉が引っ掛かって返答に困る。 「あのさ」 「なんだよ。また文句か」 「人間でいる間は…っていうか、人間と関わっている間は、言葉、きちんと選んだ方がいいよ。誤解生むと傷付く人出ちゃうから」 はっきりしない言い方に初音はまた片眉を上げて、は?と理解が出来ていない様子を見せる。 「守るって言葉。大切な人に使うの、人間は。この人のためだけに、って。特別って意味。相手のために何でも出来るって意味」 「…?人間の歌だといっぱいあるだろ、この前ガソリンスタンドで2回くらい流れてた」 「…あなた今までどこにいたの…」 「見てたよ、ずっと。人間のこと。どいつにするかなって。でも何の話だったか、俺も忘れた…って話をアンタにして、思っくそ拒否られたのは覚えてる」 拗ねているようだ。 「だから、ああいうのは特別な感情がないとダメなの」 「特別、トクベツってうるさいな。俺が見てきたヤツらはみんなやってた」 「それはその人たちが特別な関係なの!」 声を荒げてからここがアパートであり、隣の住民たちがいてもおかしくない日で時間帯だと思い出す。 「俺とアンタは特別じゃないんだ?」 真顔で問われると顔が熱くなるような気がした。 「ある意味特別かも…でもそういう意味じゃなくて」 「面倒臭い女。分かったよ。そう言うからにはアンタがいうその特別、アンタは知ってるんだろ?」 挑発している。図体ばかりが大きい子ども。 「返答に困る。…知ってるよ。っていうか、知ってたよ」 「じゃあいいや。何だよ。知ってるのか」 つまらなそうに初音は後頭部に手を回す。 「なぁ」 「何」 互いに黙っていた空間を破ったのは初音。 「片岡クンは特別?」 思いもよらなかった名前を挙げられる。 「何でそこで彼が出てくるの」 「だって命半分あげた相手だし」 「それはあなたが―」 初音が強く首を振った。 「アンタが決めた。アンタの迷いまくって混同した頭の中、アンタは確かにアイツに生きることを望んでた。だから俺が勝手にやったコトじゃない」 責められているような気分だ。同時に弁解を聞いているような。 「私は別に…」 「あの男だから?あの男じゃなくても?」 逃がさない。視線を掴まれている。誤魔化しも無言も許さないと初音の目が咎めるように見据えられる。 「いつも見透かしたこと言うクセに」 「アンタの口から聞きたいんだよ。片岡クンは?」 読心が得意なら、このような手間は無意味だ。 「特別に決まっているでしょ。命半分渡した相手なんだから。死に損なってる姿だって見た。それで今こんなことになって、それで特別じゃないって言えるワケ?」 返答に満足しているようだが、同時に意地の悪い笑みも浮かべている。 「アンタ、本当、マジものの面倒臭い女だわ」 いじめっ子の笑み。悪役の笑み。残酷な楽しさを知っているような笑み。 「あなたは特別の意味知らないものね。言い方が悪かったかも」 「いや。何となく分かった。特別って結構苦いのな」 味覚的な感想を述べられたところで、味覚で感じたことはない。また暫く無言が場を支配する。 「なぁ」 そしてそれを破るのもまた初音。 「俺と片岡クンの特別はどう違うの」 またその話に戻される。終わった話題だと思っていた。底意地の悪い笑み付きの問い。答えを見透かしている。だが直接口で言わせたがる。 「私は面倒臭い女かもしれないけど、あなたは人間臭い幻覚ね」 初音の意外なことを言われたという表情が、美青年の顔面を壊す。 「命半分渡すのも初めてで特別だし、血を吸う幻覚を見るのも初めて」 突然視界が覆われる。香りがする。何の匂いだかは分からないけれど、爽やかな、けれど少し清涼感のあるような。 「初めてが、特別?」 眉間に皺を寄せた顔は怒っているようで、怒っているわけではないようで。 「俺は幻覚じゃない」 重量感と転がる視界。見知った天井。火災報知器と照明器具。背中にはよく知る毛足の長いラグの柔らかい感触。 「俺はここにいる。幻覚じゃないだろ」 納得いかない。不服だ。不満だ。残念だ。初音が訴えたい気持ちが頭に滑り込んでくる。 「俺の特別になれよ、じゃあ」 天井を背に顔を見つめる初音。端整な顔が近付いてくる。 「ふざけないで」 ぺちん、と横から頬を包むように叩く。まるで寝ている相手を起こす時のように。 「私の説明が悪かったみたい」 「何すんだよ」 「ごめんだけど、どうしても譲れない特別があるから」 「…」 初音の頬に添えたままの手に、初音も手を添える。温度はあるけれど、体温という感じはしない。 「早く言っとけよ」 手を取って、初音が身体を起こすのを手伝う。 「どういう意味だか分かってやったの?」 「俺が見てきたヤツらが流れで同じコトしてたから、これも特別の証だと思った」 見た目は20代前半か後半か。30代には届いていなそうだが、中身があまりにも幼い。 「あなた、歳は」 「53歳」 冗談だろうか。そう思うと同時に頭に「1万と」がつくのだろうかとも思う。人外であるという点を考えれば妥当のような、けれどリアルな数字だ。半身半疑で反応に困りながら返事の言葉を探す。 「もし人間でいうとしたら2歳にもなってない」 顔面から殴られた、そんな気分だ。2倍3倍もの長い間存在していながら同時に十何分の1しか存在していないことにもなる。 「人間のガキと同じ扱いするなよ?」 反応と対応に困りながら黙って見つめていると訝しんでこちらを見た。 「人間に世話になるのは初めてだけど、まぁ、そういうコトだから」 「世話になるって言ったって…」 「アンタは嫌がるかもしれないけど、アンタの言う特別って俺でいうとアンタが該当するみたいだから」 「うん?」 何か難しいことを考えているらしく言葉がたどたどしい。 「アンタに死なれると困る。だから守る。なんで死なれると困るのか、まだ思い出せないけど、片岡クンがかわいいから。今はそれでいいから。アンタはそれじゃダメか」 「分かった。それでいいよ」 初音の穏やかな笑みを見た気がする。 [*前へ][次へ#] [戻る] |