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Lifriend-10
「おかえり」
 初音が帰ってきた。玄関まで行くと、複雑な表情を向けられる。
「ただいま」
「最期だからさ、何か特別なコトしてみたくて」
 キッチンスペースに置いてある酒を見せる。
「…お祝いみたいだな?」
 靴を脱ぎながら玄関に座り込んでいる。
「私は寿命、分かったからね。片岡くんは知らないんでしょ。何の整理も出来ないまま…」
「暗いカオすんなよ。あと少しなんだ。酒の相手、付き合うぜ」
 初音は玄関のドアを見つめながらそう言った。

 甘味や酸味に隠れた苦味を流し込みながら初音は酔わないようで、ゆっくりだが大量の缶を空けていく。
「初音く…、お酒、強くない?」
「弱いのにこんな買うなよ」
 呂律が回らなくなってきた。身体が熱くなり、眠気が襲う。
「私が寝ちゃっても、血、飲んで大丈夫だからね」
「意識ない相手の血飲めるかよ」
 閉じていく視界の中、初音が新しい缶をまた開けて、傾けていく。
「このまま起きなかったら…イヤだから…」
 意識を失う前に必死に頭を働かせる。言いたいことは山ほどある。
「アンタからいっぱいもらったから。いいって。もういいんだ。何も考えずに寝てくれ」
 肩に軽い何かを掛けられる。心地良い温度。薄手の初音の上着だと気付く。断ろうにも断れなかった。

 目が覚める。生きている。空き缶だらけだったはずのテーブルの上には何もない。夢だったのか。夢ではない。肩に薄手の上着が掛けられたまま、「撮影いってくる」とあまり綺麗な字ではない書置きがあった。今日を迎えられた。初音は片岡に紹介された雑誌の撮影に行ってしまったが、片岡のまどかの送迎に同行する話はどうなったのだろう。とりあえず行ってみるのがいいだろうと考えて出掛ける支度をする。

「こんにちは」
 片岡は時間通りにやってくる。今日もまた上下の薄いブルーの服だ。忘れずに大人気キャラクターのマスコットがついたボールペンを胸ポケットに挿している。勤務先が小児科だからだろうか。
「こんにちは。初音くんは…」
「はい、大丈夫です、撮影ですよね。注目度高い記事ですからどうなるか楽しみです」
 今日が命日だと無自覚に悟っているのだろうか。いつにも増して清々しく見える。
「もう何も相談なく片岡くんに紹介してもらったところ辞めちゃってさ。ごめんね」
「いいえ、いいんですよ。役に立てたなら幸いです」
 他意はなさそうに見える。身構えてしまう。
「初音さん、昨日大丈夫でした?」
「何が?」
「少し具合悪そうだったので。貧血…ってカンジでもなかったですけど」
 片岡の肩にモンシロチョウが止まる。羽根を開閉している。蝶に好かれるのだろうか。その自覚は、片岡にはなさそうだ。
「特に体調不良とかはないみたいだったよ。お酒がんがん飲んでたし」
 モンシロチョウからすぐに意識を逸らす。すぐに飛び立った。
「初音さん、やっぱお酒強いんだ」
「片岡くんは強くないの?」
「弱くはないつもりですけど、強くもないと思います」
 笑みを向けられる。また口説かれるのでは、と身構えていたが今日はそういうつもりはないのかもしれない。話は酒からつまみ、簡単な料理へと移っていく。不自然なほどに片岡は好意をぶつけてこない。けれどそれでよかった。それがありがたかった。そうしているうちに幼稚園にはすぐに着いた。まどかは初音の姿を探すけれど今日は居ないと察すると少し残念そうではあったが、口に出すことはなかった。まどかを連れて高層ビル、高級マンションが建ち並ぶ地区へと向かう。
 まどかをよろしくお願いします。深々と頭を下げる片岡を傍で見ていた。
「今日で最後ですから」
 片岡の発言に固まる。
「何が…?」
 恐る恐る訊ねる。とぼけたうちに入るのだろうか。
「ああ、まどかをここに預けるのがです。きちんと母が…いいえ、うちの人が面倒看られたらいいんですけどね…ホントは」
 片岡が静かに答える。思っていた内容と違ったことに安堵する。
「忙しいんだね」
「ネグレクトも同然ですよ。育てる気なんてもともとなかったんです」
 愚痴るでもなく、やはり片岡は淡々としている。産んだ時には経済的に自立している息子が、兄がいるのだ。
「妹っていうよりも認識的には娘なのかも。でもオレには心の準備とかそういうのなかったですし。だから壁作っちゃって」
 笑顔が消えた。珍しいと思った。
「なかなか慣れないです。成人してから妹できても。妹いない時間の方がずっと長いし」
 勤務中に特例で休憩をもらい送迎。退勤後に再び迎え。
「両親がそうしたように放っておく、ってコトは出来ないんですけどね」
 片岡の顔から表情がなくなる。片岡も、今日か、今日でなくても近いうちには。
「いつも笑ってたね。どうしてなの」
 問いがふと口をついて出る。片岡がもともと大きな目をさらに大きくした。
「君はいつも笑ってた。なんで?」
「なんで…って…そうでした?」
「無意識だった?いつも笑ってた。でも必ず楽しくて嬉しいワケじゃないんだなって」
 戸惑っている片岡の目は泳ぐ。その顔に笑みはない。
「職業柄じゃないですか…?」
 これ以上触れられたくない、空気がそう言っている。誰にも1つや2つはあるのだろう。
「そう…」
「嘘です。無責任に笑うことを押し付けられるんです。君が笑えば世界が明るくなるんですって。オレはそんなたいそうなものじゃないですけど」
 片岡の声は懺悔のようだった。

 高層マンションの仰々しいエントランスを出る。公園などが設けられ、周りは庭園のようだ。そこから片岡の勤務先の近くまで向かった。
「貴方にはもう言い寄りません。今日で最後にします」
 暫く流れていた沈黙を破られる。身構える。また何か言われるのだろうか。真っ直ぐな瞳に刺し殺されそうだ。
「最後なんて、別に」
 今日は最期。片岡の余命も近いうちだ。だが片岡が言いたいのはそういうことではない。まるで未来があるように語る片岡に理性さえなくなれば抱き締めて頭を撫でていたかもしれない。
「いいえ。オレのケジメです。ありがとうございました。初音さんにもよろしくお伝えください」
 深々と頭を下げられる。
「貴方と会えて…初音さんと会えてよかったです。そろそろオレも前向いていきたいな、なんて思って」
 すぐにはムリですけど、貴方を想うのも…。小さな言葉が消えていく。
「片岡く…」
 顔は笑おうとするけれど中身が伴わないらしい。引き攣って歪んでいる。
「笑わなくていいよ。今どう思ってるの?素直でいいから」
 面倒臭い女だ、とはっきりした自覚がまた浮かび上がる。
「ごめんなさい。ホントはもっと貴方たちと居たいけど、そろそろマジでケジメつけたいんで」
 微かに口角が上がる。寂しげな子どもを思わせたが同時に諦めを知った少年のようにも思える。
「分かった。じゃあ、ね」
 薄いブルーの上下の後ろ姿が消えるまで見つめる。人混みに紛れていく。片岡が「その他大勢」に馴染んでいく。自分が今日死ぬことを片岡は知らないでいて欲しい。そう思った。丁度良かったのかもしれない。片岡に余計な喪失感を覚えさせたくない。何も知らずに生きていて…ほしかった。短くて今日、長くてあと少し。寿命を知っていてそれを告げないことは正しかったのか、分からないけれど。


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