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龍の宝珠

「おお摘花、ずいぶんと久しぶりだな。これはまた美しい娘になって。見違えたじゃないか」
「お懐かしゅうございます」
 趙修令は、十歳年を取ってはいたが、それ以外は以前とあまり変わらないように摘花には見えた。
 その夫人も健在で、摘花を見て大きくなった綺麗になったとまるで我が子のことのように喜んでくれる。
 それもそのはずだ、と摘花はかすかに思う。
 夫妻には現在、成長を喜ぶべき子はないのだ。

「そうよね、あなたがよくうちに来ていたのはもう十年も前のことですものね……」
 十年前。
 大きな屋敷には、確かに夫妻の間に息子が一人いた。
 当時、十歳くらいだったはずだ。
 阿周(あしゅう)と呼ばれ、夫妻にとてもかわいがられていた。
 その息子と、摘花はよく一緒に遊んでいたのだ。

 遊んでいた、というよりは、遊んでもらっていた、というほうが正しいかもしれない。
 摘花よりわずかに上であるだけなのに、阿周は大変に聡明で思慮深く、摘花はそんな彼にいつもいつもかわいがってもらっていたのだ。

 毎朝遊びに行くたび、阿周は本を読んでいた。
 しかも難しそうな本だ。
 ただただ感心し、尊敬のまなざしを向ける摘花に、阿周は大したことはないんだよと笑う。
 字を書かせればこれまた美しく、絵も優雅なものを描き、馬も上手に乗りこなし弓も剣もその当時の年齢にしては人並み以上にこなす。
 何でもできて頼りがいのある阿周のことを、摘花は心から慕っていた。

 しかも彼は、周囲の人間にとても優しかった。
 摘花に対してはもちろん、使用人たちにもとても親切だった。
 十歳にしてすでに、人の上に立つ才覚があったのだろうと、今思い出すにつけ摘花は感心するのだ。

 阿周の両親、つまり趙修令夫妻は、いつも摘花を歓迎してくれた。
 だが摘花の両親は、あまり阿周さまの邪魔をするなといつも摘花を叱った。
 今思うに、確かに自分は、相当阿周の邪魔をしていただろうと思う。
 文武の鍛錬をする時間を割いて、自分と遊んでくれていたのだから。

 一緒に庭を散歩しては、日が暮れるまでともに過ごした。
 屋敷に泊まらせてもらったことも一度や二度のことではない。
 思えば趙修令は当時から皇帝に目をかけられていて、周囲は一目置くような存在だった。
 だからこそ摘花の父親は毎日恐縮していたが、趙修令は、同じ年頃の子と遊ぶ機会は貴重だからと摘花のこともかわいがってくれていた。
 阿周に兄弟はいなかったのだ。

 そもそもなぜ知り合ったのかというと、一人で家を出て迷子になってしまった摘花を、阿周が見つけてくれたのだ。
 誰もいない隙にちょっと家を出て、家の周りを散歩していただけだったのに、道端の花に気を取られているうち、気がつくとどこにいるのかわからなくなっていたのだ。
 街中を心細い思いで歩いていた摘花に、従者を連れて外出していた阿周が、声をかけてくれたのだ。

 「こんなところで、一人でどうしたの?」

 事情を説明すると、阿周はまず自分の屋敷に連れ帰ってくれた。
 そこで無事に父親と再会できたのだ。
 父親は平身低頭感謝し、迷惑をかけたことを謝罪し、帰宅後は一人で外出した摘花をこっぴどく叱ったのだが、摘花はその叱責などろくに聞いてはいなかった。
「また明日、うちに遊びにおいでよ」
 そう言ってくれた阿周のことだけを考えていたのだ。

 それからだ。
 毎日阿周と一緒に過ごすようになったのだ。

 阿周と過ごした日々は、あっという間に過ぎた。
 楽しすぎたのかもしれない。
 ある日のこと、遊びに行った摘花は、夫人の顔色がいつになく優れないことに気付いた。
 体の具合でも悪いのかと聞くと、なんでもないのよと言う。
 阿周の様子にも何も変わったことはない。
 趙修令の様子にも特に変わったところはなかったようだ。

 あれはなんだったのか。
 夫人はなんとなく元気がなかった。
 まさか、予感を感じていたのか。

 阿周の死の知らせを受け取ったのは、その翌日だった。

 前日の別れのとき、阿周は言ったのに。
「じゃあまた明日ね」
 でもその明日は、二度と来なかった。
 阿周は、約束をたがえるような人じゃなかったのに。

 病だったのか、事故だったのか、それは摘花には知らされなかった。
 どうしてと両親に詰め寄ると、両親も本当に原因を知らなかったようで、困ったように顔を見合わせていた。
「病気なの?だって昨日まで元気だったのよ。それなのにどうして死んじゃうの?」
「そうだな、きっと、病気ではないだろう…。単純な事故であれば、言うだろう。だからきっと、人にはあまり伝えたくないような理由なのだろう」
「どんな?」
 そう尋ねると、父親も母親も首をひねるばかりだった。
「ねえ、どうして死んじゃったの?」
 しつこく尋ねると、父親は最後に怒ったように言った。
「とにかく、阿周さまは亡くなってしまった、これが事実だ。つまりおまえはもう二度と、阿周さまには会えないということだ。二度と遊んでもらえないということだ」
「二度と?」
「そう、もう二度と。決して会えない」
 それを聞いた摘花は、声を上げて泣いた。

 阿周の死去の原因は、摘花の両親だけでなく誰にも知らされなかったようだった。
 だからだろう、摘花の家の使用人たちは好き勝手に言い合っていた。
 噂話に余念のない使用人たちを摘花の父親は叱り付けたが、それでも話はやむことはない。

 亡くなったという知らせが街を駆け巡ったその前の晩、深夜にもかかわらず屋敷の周辺が妙にざわついていたらしかった。
 見慣れぬ人間が何人も屋敷を出たり入ったりしていたとかで、これは複数の人が見聞きしているという。
 立派な馬車が出て行くのを見たという者もいて、あれはなんだったのかと皆さらに好き勝手に話し合う。

 あのおうちの坊っちゃんが亡くなったのはご両親のせいだろうという者がいて、この説が使用人たちの間では有力だった。
 趙修令夫妻の過失によるもので、だから原因を人に話せないのだと。

 そして、摘花が毎日あまりに悲しんでいたからだろうか。
 街でさらに別の噂を聞きつけてくれた者がいた。
 深夜に出立した馬車。
 その中に、阿周らしき姿がいるのを見た者がいるというのだ。
 それを聞いた摘花は目を輝かせた。
 では阿周は死んでなどおらず、ちょっとどこかへ出かけただけなのだ。

 だがそれを両親に話すと、父親はことさらに大きなため息をついた。
「おまえ、葬儀を見ただろう」
 母親は困ったような顔をした。
「あなたが阿周さまを慕うのはわかるけれど、それは残念ながらきっと、見間違いよ。だって夜中なのよ、辺りは真っ暗じゃないの。それにね」
 母親は、摘花を諭した。
「もし、仮にそうだとしたら、阿周さまはあなたに何かおっしゃるはずではないかしら?明日から、どこそこへ行くと」
 そして母親も、最後に摘花に言った。
「阿周さまは、残念ながら亡くなってしまったのよ。お葬式もあげたじゃないの」

 葬儀をあげた、それはそうだ。
 自分もそれはこの目で見た。
 でも、屋敷の者は言うのだ。

 阿周は、馬車に乗ってどこかに出かけた。
 それがどこかは我々には見当もつかないが、少なくとも誰にも言えないようなところへ出かけた。
 だから、夜中にこっそりと出立したのだと。
 だから、摘花にも何も言わなかったのだと。
 そしてきっと、その両親ももう二度と会えないのだと。
 二度と会えないのであれば死んでしまったも同じだということで、だから死んだと言ったのだと。
 だからあえて、葬儀まで出したのだと。

 摘花はしばらくはそれを信じて、いつかきっと会えるはずだと思っていた。
 どこかで生きているのなら、もしかしたら会えるかもしれないのだから。

 だが、これらのいかにももっともらしい話は、摘花をなぐさめるためにしてくれた話だと、摘花もじきに察することが出来た。
 もっともらしい噂や、いかにもらしい憶測を話してくれただけなのだ。

 阿周はやはり、死んだのだった。
 人には言えない、何らかの事情で急に亡くなったのだ。
 なぜなら、それから何年たっても、現在の阿周のことは噂話ですら聞かないのだった。
 阿周、つまり趙修令の息子の話は。
 摘花の父親はあれから全国に転勤になり、あちこちでいろいろな話を耳にしたが、趙修令の息子が死んだことを知っている者にはたくさん出会っても、生きているという話は誰からもまったく聞かないのだった。

 それに。
 もしも生きているならば、きっと自分の前に現れるはず。
 会えはしなくても、連絡くらいはくれるはず。
 だって、また明日、と言ったのだから。


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