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龍の宝珠
十八[完]
 摘花も再度行ってみると、皇帝のそばにいたのは先程と同様、趙修令だけだった。
 洪佑生はつい先程までここにいたが、いまは一人別室にいるという。
 趙修令が苦笑して、行ってやりなさいと言うので、どうかしたのかと摘花はその部屋に向かった。
 すると父親は、ぐったりしたように椅子に腰を下ろしていたのだ。
 そばにはなんと、医者までいる。

「お父さま!どうかなさいましたか?」
 慌てて駆け寄った摘花に、父親は声を荒らげた。
「どうしたもこうしたもないだろう!」
 その声にはいつものように張りがあり、摘花は内心ほっとした。
「趙修令さまから急に、おまえの嫁ぎ先が決まったと連絡があって、うかがったらそこには陛下までいらして…。何事かと思えば、どうしておまえが聡影さまの…」

 医者が言うには、その話を聞いて、父親は卒倒しかかったそうだ。
「えっ!?」
「ご心配には及びません。もう大丈夫でございます」
 確かに声は元気だし、顔色も悪くはない。
 現に、医者はそこで部屋を出て行った。
「まったく、おまえは昔から、出かけた先々で騒ぎを引き起こして…。いや、それはよくわかってはいたし、慣れているつもりではあったが、まさかこんなことに…。さすがのわしも、一瞬気が遠くなってしまった」
「はあ…」
「趙修令さまも趙修令さまだ。確かに、おまえの嫁ぎ先の件はお願いしてあったし、その願いを聞き届けていただいて感謝している。だが、まさか、どうしてそれがこんなに大それたご縁なのだ。
しかも、聡影さま御自らお望みとか。陛下も大層およろこびで…。いや確かに、聡影さまがおまえをかわいがっているという話は耳にしていたが…」
「あの、お父さま、そのお話なんですが…」
 摘花は、言うか言うまいか迷った。

 聡影が、あの阿周であると。
 あのときの阿周は、今は聡影であると。

 少しだけでも、話しておくほうがいいのではないだろうか?

 父親は、口ごもる摘花のことをじっと見つめた。
 だがすぐに、自ら口を開いたのだ。
「おまえは、すべてを聞いたのか?ご本人から、あるいは、趙修令さまからでも」
「……お父さま?」
 洪佑生は、一人首を振った。
「わしは知らない。何も聞いていない。おまえも、何も言わなくていい。きっとそのほうがいいだろうから。ただ…」
 そこで父親は、摘花を見てほほ笑んだ。
「聡影さまがおまえを見つめるまなざし。あれは、その昔、阿周さまがおまえをかわいがっていたあの頃のご様子にそっくりだ。
初めてそれを拝見したとき、あっと思ったんだ。やはり、とな…」
「やはり…?」
 父親はうなずいた。
「おまえが言っていた通りだ。確かに聡影さまは、阿周さまによく似ておられる。わしもそれは、お見掛けするごとに思っていた。しかし他人の空似ということもあるだろうし、あまり気にしないようにしていた。
趙修令さまも、まるでわが子のようにかわいがっていらっしゃるが、それとて、阿周さまと同い年だからと思うようにしていた。だが、おまえまで似ていると言い出したときは、動揺したが…」

 洪佑生は続けた。
「実はあの日、趙修令さまのお屋敷に馬車がやってきたことは知っていたんだ。小さいが、立派な馬車がな」
「え…?」
「やって来たときは空っぽだったので、誰かを迎えに来たのだろうということは容易に想像がついた。何事だろうかと思っていたら、その馬車は、夜中に出て行った。まるで人目を避けるように…。
翌朝、阿周さまが亡くなったとうかがい、ああ、ではあの馬車に乗って、どこかへ行かれたのだと察した。
だが同時に、これは決してご夫妻に尋ねてはいけないことだということもわかったんだ。
ご葬儀までしっかり出されたということは、この件に関しては決して何も聞くな、という無言のご命令だったのだ」

 そうだったのか、と、摘花はおとなしくうなずいた。
 どうして話してくれなかったのか、などと思わなかった。

「話さなくて悪かったね」
「いいえお父さま。むしろ、話してくれなくてようございました。そんなことを聞かされたら、わたしはどうしていたか。それこそ、聞いた時点で阿周さまを探しに家を飛び出したあげく、迷子になって、どこかで行方知れずになってしまったかもしれません。本当に二度と会えなくなってしまうところでした」
 それに対し、父親もまたあっさりとうなずいた。
「そう、何しろおまえは、後先考えずに行動してしまうから。こんな話を聞かせたら、今度は何をしでかしてくれるのかわからん」
 まったくその通りだと、摘花もうなずくしかない。

「まあもっとも、変に話して混乱させてもいけないとも思ったがね。
いなくなって以来ずっと、どこでどうなさっているのかと気にはなっていたが、阿周さまのお噂はとんと耳に入ってこない。
まあ、当然といえば当然だ。阿周さまは、あの時点で間違いなく亡くなったのだから。
それがまさかなあ……。
おまえをかわいがる様子を見て、間違いないと思ったんだ。
こんなところにいらしたのかと。
深い理由があるのは、明らかだ。

聡影さまが、陛下によく似ていらっしゃるというのも事実だ。陛下のお目のかけようからいっても、間違いなく陛下の御子だ。
それに昔、皇后様が側室の女性に対し冷たい仕打ちをなさっていたことなんかも噂では耳にしていたし、趙さまは昔から陛下のご信頼を得ていらしたし……まあ、そんなところだろうと。
班夫人が何やらおっしゃっていたのも、わしからしたら、もしややはり阿周さまなのではという思いを増すものでしかなかったな」
 摘花は黙ってうなずいた。

「それにしても、やはり道理で、阿周さまはご立派だったはずだ。非凡な才をお持ちなのは、わしでもすぐにわかるほどだった。あれだけご優秀だったのは、やはり血がそうさせていたのだなあ」
 洪佑生がしみじみとそう言ったとき、聡影が部屋にやってきた。
 それを見た洪佑生はすぐに席を立ち、聡影にうやうやしく頭を下げた。

 その聡影は、まず洪佑生に話しかけた。
「具合はもういいのか?」
「ご心配をお掛けして申し訳ございません。おかげさまでもう大丈夫でございます。あまりの驚きでつい…。とんだ失態をお見せしてしまいました」
 聡影はそれに笑った。
 そして、言ったのだ。
「おまえは昔から、この子には振り回されっぱなしだな。十年もたったから、変わっただろうかと思っていたが、さほど変わってはいなくて」
 そう言いながら聡影は、摘花へ目をやった。
 だがそれを見た洪佑生は、その動きに対し異議をはさむように口を開いた。
「いいえ聡影さま。この娘は何も言ってはおりません。わたくしが勝手に、想像をたくましくしているだけでございます」
 聡影はほほ笑んだまま、静かにうなずいた。

「その上で、申し上げます。あの頃は本当に、この娘がお世話になりました。お礼を申し述べるのが遅くなって申し訳ございません」
 聡影はただ首を振った。
「それに加えて、この度はさらにこんな娘をおそばに置いても構わないと…」
 と、そこで洪佑生は、摘花に向かって言った。
「粗忽なおまえをあんなに可愛がってくださり、あげくの果てにもらってもよいと自らおっしゃるお心の広い方は、そうそうこの世にいるものではない。まさに、二人といないだろう」
「……はあ」
 確かに。
「おまえ、聡影さまには決してご迷惑をかけるんじゃないぞ」
 摘花もおとなしくうなずいた。

 しかし、洪佑生はさらに聡影に話しかけた。
「よくご存じかと思いますが、この娘はわかっていても粗相をしでかしてしまうのです。どうかどうか、この娘をよい方向にお導きくださいませ」
「お父さま、ご心配なく。今後はよくよく気をつけますから」
「よくよく気をつけていても、何かしらしでかしてしまうだろうに」
「……」
 その通りかもしれない。

 摘花はもう口を閉じてしまった。
 だが聡影は、そのあたりのことは何も気にならないかのように笑った。
「よくわかっているから大丈夫」

 その後、洪佑生は再度、皇帝に呼ばれて部屋を出て行った。
 それを摘花は扉のそばで見送ったあと、部屋の中にいる聡影を振り返った。
 窓から入る光を受けて立っている姿は相も変わらずとても凛々しい。
 そして今思うに、断定できなかったことがおかしいくらいに、あの頃の阿周のおもかげをよく残していた。

 本当に、何にも変わっていない。
 ただあの頃よりも、さらに立派になっただけだ。

 それに何より、父親の言うとおりだ。
 こんな自分をもらってもいいと言ってくれる人は、阿周以外にはいないだろう。
 情けないことだが、確かにそうだと思うのだ。

 そう考えた摘花がついため息をつくと、聡影は首をかしげた。
「どうした?」
「いえ、お父さまの言うとおりだと思いまして…。その、つまり、わたしをそばに置いてもいいとおっしゃってくださるのは、世の中広しとはいえ阿周さまくらいしかいないだろうと…」
 聡影は苦笑した。
「そんなことはあるまい」
 そう言うと、自ら摘花のほうに歩いてきた。
「現に私は驚いたのだから。あの小さかった娘が、こんなに…」

 聡影は摘花の前に立つと、髪をそっとなでた。
 髪をなでた手は、そのまま摘花の頬を押さえる。
「こんなに美しくなって…見違えるほどだ」
 摘花はその言葉に対し、何も言えなかった。
 口を開く前に、そこは聡影のくちびるでふさがれていたからだった。

 皇后も、落ち着いたあとは摘花の輿入れに賛成した。
 むしろ事情を承知している娘のほうがいいだろうという、皇帝の言に納得したのだった。
 班夫人のほうはその後、皇帝から相当きつい叱責があり、すっかりおとなしくなってしまった。
 そんな中、摘花は無事に輿入れした。
 すっかりおとなしく、とは残念ながらならなかったが、皇帝にも皇后にもよく仕え、聡影とも仲睦まじく暮らしたのだった。

〜完〜


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