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龍の宝珠
十五
 初めに口を開いたのは、聡影だった。
「班夫人もここに来たそうだな」
「はい、つい先程まで…」
 聡影はうなずきつつ、窓辺にある机の脇に向かった。

 摘花が改めて部屋を見渡すと、そこには書物がずらりと並んでいた。
 机の上には、何も書かれていない真っ白な紙が置かれている。
 窓の向こうの広葉樹が、その紙の上に緑を映じている。
 聡影の横顔の前で、時々緑がゆれる。
 端正な横顔は、見れば見るほど阿周の横顔にそっくりだった。

 聡影は、摘花が立っているそばに椅子があること、そしてそばの卓上に湯飲みがあることに気付いていたようだった。
「それは、ちゃんと飲んだのか?」
「いえ、わたしは大丈夫です…」
 摘花がそう答えると、聡影は口の中でそうかと言い、一旦口を閉じた。
 そして、改めて話し始めた。
「母上のところには、あれから趙修令だけでなく父上もいらして。父上がなだめてなんとか落ち着いたが…」
「それならようございました。ですが、わたしはもう、おいとまをちょうだいしたいと存じます。わたしのせいで、あんなことになってしまって…」
「いや、おまえのせいではない。……誰のせいでもないんだ。いとまごいなどする必要はない」
「……聡影さま」

 摘花は、意を決した。
 尋ねるなら、今しかないと思った。
「聡影さまは、阿周さまなのですか?」

 そして趙修令にも尋ねた。
「阿周さまは、聡影さまなのですか?」

 趙修令はただ無言だった。
 無言で、聡影に目をやった。

 聡影はその視線には目をやらず、微動だにしなかった。
「班夫人から聞いたか」
「はい…」
「何と聞いた?」
 摘花は二人を見比べた。

「聡影さまは、阿周さまだと…。皇后様がお産みになった聡影さまはお亡くなりになってしまったので、それで同い年である、趙修令さまのご子息の阿周さまを引き取って、聡影さまと入れ替えたと。阿周さまを、死んだことにして…」
 するとその摘花の言葉に、聡影は横顔のまま笑った。
「やはり少し違う。私は、趙修令の息子ではないんだ」
「え?」

 では、やっぱり班夫人の言葉は真実ではない?
 そう思った摘花に、聡影は続けた。
「班夫人は、一つだけ誤解をしている。一つ、だが、最も肝心のところを。
私は、趙修令の実子ではない。ただ、生まれてすぐに夫妻に預けられ、その手元で育てられただけなんだ」
「え?……それは……いったい?」
 どういうことだろう?

「聡影さま…」
 趙修令が、ようやく口を開いた。
 その心配そうな口調に、聡影は彼を見やって笑った。
「もういいだろう。いや、せめてこの子にだけは話しておきたい。私が、話しておきたいんだ」
 そして、そこで真剣な顔で趙修令を見つめた。
「私のわがままをお許し願えますか、父上」

 その言葉に摘花は、思わず息を飲んだ。
 なぜ、皇子たる聡影が、趙修令に対し父上と呼びかけるのだろう?
 なぜ?

「父上、お願いです」
 聡影の重ねての言葉に、趙修令もまたじっと彼を見つめた。
 そして、そっと目を伏せた。
「……おまえがわがままを言うなんて、そういえば初めてだな。おまえは聞き分けのよい子だったから……」
「父上…」
「おまえの好きにするといい。おまえは本当に立派になった。もう、いまさら一々わしの指示など、あおがなくともよいだろう」

 趙修令は、そう言うと穏やかなほほ笑みを浮かべた。
 そしてそのまま、摘花を見やった。
「おまえがこの子と並んでいるのを、この目で再び見ることが出来るなんて、あのときは夢にも思わなかったよ」
 そう言い残すと、そのまま静かに部屋を出て行った。

「趙さま…」
「おそらく父上のところへ向かうのだろう」
 聡影のその言葉に、摘花は再び彼を見やった。
「あの…父上とは、どなたなんでしょうか」
 聡影はほほ笑みを浮かべると、ゆっくりと口を開いた。

「私は、生後すぐに母を失ったそうで、そのまま趙修令夫妻に預けられ、十歳になるまで養育してもらったんだ。だから実子ではないのだが、はたから見たら間違いなく、私は趙修令の一人息子だったろう。おまえにだってそう見えていたろう?」
 聡影は続けた。
「ただし、その生母というのが、今の陛下の側室だったんだ。もちろん、実の父は陛下だ」
「え…」

 そこで聡影は、懐かしそうに摘花を見やった。
「あのとき、街中で迷子になっていた女の子。話を聞くと、家の周りに咲く花を見ていただけだったのに、気付いたらこんなところにいると言った。不安そうな、今にも泣き出しそうな顔をしていて…。
かわいそうなんだけれど、でもかわいくて。
毎日一緒に遊んで、とても楽しかった。おまえは、私が何を言っても何をしても、いつも目を輝かせてすごいすごいと言ってくれて。
赤い絹地の椅子がお気に入りだったな。足がつかないのに一生懸命に座っていたのがおかしくて、かわいくて…」

 その話を、摘花は聡影にはしたことがない。
 そしてこんな些細なことを、趙修令が聡影に話すわけがない。

 聡影は、机の引き出しに手を伸ばした。
 そして、そこから何かを取り出したのだ。
 美しい絹地に包まれている。
 その覆いを、聡影はゆっくりと広げた。
「それは…!」

 そこから現れたのは、摘花も見覚えのあるものだった。
 黄金の鞘に、白玉の柄。
 黄金の鞘には龍の浮き彫り。
 十年ぶりに見た。

 間違いない。
 それは、阿周が持っていた短剣だったのだ。

 摘花は吸い寄せられるように聡影のそばに向かった。
 聡影は、短剣を摘花に見せてくれる。

 近くで見てみると、黄金の龍のその手の中に、握られているはずの宝珠はなかった。
 ただその跡があるだけだ。

 摘花は錦の袋を取り出すと、水晶をそこから取り出した。
 それを見た聡影は、うれしそうに笑った。
「おまえが持っていてくれたなんて」
「……」
 何と言ったらいいのだろう?
 あのときのうるわしい短剣が、いま、目の前にあるのだ。
 阿周の持っていた短剣が。

 聡影は、一旦短剣を机の上に置くと、静かに語り始めた。
「あの日……おまえが来る少し前に、父上に呼ばれたんだ。ああ、父上とは、趙修令だ。
趙修令は私を呼び寄せたものの、何も言わなかった。だいぶ長い時間、私はただ父上の前に立っていただけだった。
あの時すでに、父上のところに都からの使者が来ていたんだ。都からの使者の話を聞き、私に話をしようと思ったが、父上はすぐには話せなかったらしい。
何かを言いたそうにしていたが、何も言わなかった。

私は、おまえが来る時間を過ぎていたことを知っていたから、少しそわそわしていたんだと思う。それに気付いた父上は、ただ、あの剣は持っているかとだけ尋ねた。私がはいと答えると、行っていいと言ったので、私はおまえのところに戻ったんだ。
その時点で、私はまだ短剣の意味を知らなかったのだが。
夕方になって、帰るおまえを見送ると、また父上が呼んでいるという。
そこで、父上は話してくれたんだ。

私は、都の皇帝陛下と、その側室の方の間に生まれた皇子だということ。
その側室の方は、私を産み落とすとすぐにこの世を去ったこと。
当然皇子として宮中で養育するべきだったのだが、当時、後宮では皇后様がご自分のお気に召さない側室を、次々に追い出していたそうだ。
お気に召さないとは、つまりは陛下のご寵愛を受けている方だ。

私の生母は、懐妊した段階で追い出される前に宮中から出ていたそうだ。
懐妊が皇后様のお耳に入ったら何を言われるかわからない、そういう状態だったようだ。
何しろ、皇后様より早い懐妊だったから…。
それは陛下もご存じで、生まれたのが皇子だったと知ってこの短剣を授けたんだ」

 聡影は、机上の短剣に視線を送った。

「皇后様も当時懐妊中だったそうだが、私はその時点で、陛下の第一子だった。
陛下は皇后様のお気の強さを承知なさっていたから、ご自分を差し置いて第一子が生まれたこと、しかもそれは世継ぎたる資格のある男子であることを知ったら、私自身に危害が加えられると思われたそうだ。
当時の皇后様は、それくらいお気が強く、そして嫉妬深かったそうだから。

だから、陛下は私を子供のなかった趙修令に預けたんだ。
ただ、短剣だけを授けて。
短剣は、皇子である証明のようなものだ。

だが私は、一生趙修令の息子として生きるはずだった。
短剣のことも、ただ、守り刀としか聞いていなかったんだ。
父上が、決して誰にも見せるなと言ったことに何の疑問も感じなかった。
守り刀を他人にむやみに見せるものではないと言われ、そういうものだと思ったんだ。
皇子である証だからなんて、夢にも思わなかった。
だがあのとき……」

 聡影は、一旦言葉を切った。


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